女子美の中高大連携授業
必死な中受は無意味?
最近,小学校から必死に中学受験のために勉強して何の意味があるのか?と考えてしまいます。
元々,「小学中学までは地元公立でのんびりと,高校から必死に勉強すればいい。」と考えておりましたが,近所に評判の良い,いわゆる「中堅」の私立中学があるのを知り,大手塾の中では最も「楽」といわれている塾に5年生の途中から入塾させました。
しかし,一旦入塾すると,平日も1時間以上塾で居残り勉強したり,夏休み中も塾が無い日でも,自習室に行き3時間以上勉強しています。息子には「○○中学でいいんだからそんなにがんばらなくていい。」と言っても,「もっと上の中学を目指す。」と言い張り,完全に塾に洗脳?されているようです。
9時には寝るように言ってはいますが,最近は10時近くになる日もあり,不健康なのではと心配です。また,地元の友人からも「付き合いが悪くなった」みたいなことを言われているのも気になります。
そこで皆様に質問です。
例えば,必死に勉強すれば御三家に入れるような能力の子供がいたとします。
その子供が,
①大手塾に入り,小学生3年間を必死に勉強して御三家に入るケース
②塾には6年のみ通い,のんびり勉強していわゆる「中堅」校に入るケース
③中学受験をせず,地元公立に行くケース
の3ケースを想定します。
それぞれのケースで,A:大学受験という中期的視点,B:人生という長期的視点
に立って考えた時,その子供の将来にどのような違いが生じるのでしょうか?
もちろん,ある一定の収入があり,子供が一定の学力がある御家庭であれば,この不況下でも,都内では半数以上中学受験を選択することを考えると,A・B両方の視点から見て,①のケースが統計学的には正しいことになります。
私は,視点Aでは,①=②>③,視点Bでは,①=②=③のような気がしますがいかがでしょうか?
ある人は,ハイレベルな中で切磋琢磨することが重要と言います。またある人は,貧富の差や様々な価値観の家庭があるなかでもまれた人間のほうが,社会にでてから活躍できると言います。
「学ぶ」ことは依然重要ですが,かつてのように高学歴であれば,将来を約束される時代ではなくなりました。
友人と遊ぶ約束もせず,塾に向かう息子を見て,時々不安になります。「これでいいのだろうか?」と。
中学受験自体全く無意味ではないでしょうが,小学校の半分の期間を受験に費やしたり,小学生なのに夏休みに朝から晩まで勉強する意味ってあるのでしょうか?レベルの低い質問ですいません。ご意見お待ちしてます。
確かに必死すぎる中学受験は意味は殆どないと思う。
大学受験は中学3年ぐらいからやれば十分間に合うし。
だが、それには、どうしても基礎学力が必要。これについては、公立中学では大幅に以前と比べ平均的基礎学力がかなり低下しているそうだ。特に国語力。
ある程度、できる子なら小学校5年生から中学2年生までの助走期間で基礎学力を高めればよく、公立中学でも大学受験に備えることは十分可能であろう。最近の公立中高一貫校の設立は、それを補完するものと期待できる。
現在の問題は、中学受験が現在のように厳しくなると、難関中学に入ることだけが目的となってしまうことにある。
家庭教師などでの詰め込みで、この助走期間中に才能を伸び切らせてしまうと、中学に入ってから伸び悩むであろう。
しかし、反面、高校受験に余分なエネルギーを消費されずに済み、その分、先取り勉強で大学受験に力を入れることができるという点では意味がある。
なぜなら、現在、最難関とされている慶応医学部などの私立難関医大は3浪以上の受験生を事実上排除しているからである。
これは私立難関医大が、裕福な家庭に育った育ちの良い中学受験成功者を青田刈り、囲い込みしたいという意思の現れであり、そのような現実から受験生を持つ親としては目をそむけるわけにはいかない。
三浪って、あまり聞かないし、中高一貫生も難関私立医大には経済的に行けない人の方が多いと思いますよ。
自分が御三家出身とかで、今現在社会人生活にどう活きてきているのか、聞きたいてすね。(あくまで自分がね。よく主人が、子供が、などは書き込みをみますが、あまり自分が・・というのは見ないので。)




































