在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
ポートキー様
ポートキー様はやはり芸術分野の方だと感じます。
瑞々しい感性で思った事を綺麗に表現なさる。
短いお付き合いですが、ポートキー様から色んな事を学ばせて貰ってます。
聞いてくださいよ。。。
私、近頃、マジで老眼が出始めてきました。
つ、、つらいっすよ~。
元々近眼でしたので、メガネかコンタクト一本で、仕事をしていたのですが、ここ最近、一つの物を近くで見る時に、眼鏡→裸眼。コンタクト時→老眼鏡。になってしまうんですよね。
もう、あかん~!!って感じです。
「同じ目」で一つの物を見つめる事が出来ない、、のです。
そうなると、物の表情が違って見える。
遠くから近くから思い通り物が見れていた頃に戻りたいー!!!
昨日、今日のカーネーションみての感想です(笑)
地域、時代さん
面白い考え方ですねさんがあちらで呼びかけたことについて
>その感覚が「わかりません。」
と、地域、時代さんが書かれてたので、
私なりの考えを書きました。
「いや、適性さんのためを思って…」なんて、
面白い考え方ですねさん本人の口からはなかなか言えないでしょうから、
私が替わりに。まるで的外れかもしれませんが。
お節介っちゃあ、お節介なんですが、
ただ、どちらのスレに関わっている人も
その人なりに「良かれ」と思って考え、行動されているのだ
ということを伝えようとしたつもりです。
ですので、
面白い考え方ですねさんがあちらにコメントされた行為を支持することによって
弱点さんやさくらさんの考えを変えてやろう、
などという意識はまったくありません。
おふたりの意志は当然ですが、尊重しているつもりです。
さらに念のためですが、私が最近、
「互いに建設であれば」とか「捕るつもりのないキャッチボール」と
批判的に書いている対象は、
弱点さんやさくらさんのことではありません。視点さんでもない。
適性さんが「不毛」と書かれている対象と一致します。
さらに念のためですが、私が最近、
「互いに建設であれば」とか「捕るつもりのないキャッチボール」と
批判的に書いている対象は、
弱点さんやさくらさんのことではありません。視点さんでもない。
適性さんが「不毛」と書かれている対象と一致します。
↑
シルバースプーン様
同じですよ。
■地域、時代さん
私は、別に、愛情が深いとも思っていません・・・私も、ちょっと、おせっかいなだけです。
>私は未来様と弱点様が「適性さんが思うように、私は思わない」これは、2人の本当の気持ちだと思います。
>適性様が何度2人にあーではないのか?こうではないのか、と語りかけても2人は「そうは思わない」です。
>これはね。
>2人の本当の気持ち、なんですよ。
・・
>しかし、「そうは思わない」のが2人です。
>それでエエ。私はそう思っているのです。
私も、それでいいです。
私は・・ほんとうに「自分は、そうは思わない。感じない」なら・・かまわない。(ほんとに・・が条件ですけど)
だって、「そう」なんだろうから。それは、ご自由にです。
きっと・・そこは、変わらないでしょう。
それに・・「ここまで」なら、「自分」の話でしかない・・問題でもない。
基本は、あの女性陣二人の、存在や発言をなんでも否定する必要はない・・・
でも「否定すべきと思う発言」があれば、やはり否定します。
コミュニケーションは複数でするものです。
自分から、外に出る発言は、その人の責任になります。言葉は、他人に影響を与えますから。
議論で、けっこう大切なのは、「認識」です。
私が、よく質問したのは、主観的な「どう思う?どう感じる」というよりも、客観的な「どう認識しているの?」です。
これを、どう認識しているのか、どういう評価するかを、お互いに表明することで、異同が、明確になる。
そして、「他人が、どう思うのか、どう感じるのか」認識ぐらいは、できてるハズという前提もある。
(だって、皆が、表明してるのだから・・読めば認識ぐらいできる)
「思う」ではない・・「認識」しているのか?ということ。はとても重要。
私が、違和感を感じていたのは・・
「認識」していることさえ「言わない」ことが多く。自分は、自分は・・の「主観」の繰り返し。
認識しているのか、してないのかは、自分の話なのに・・・。
また、認識できるなら、それが、社会的に妥当か?も判断可能だが・・判断も・・しない。
だから・・彼女達の「認識」は、推測はできますが・・実は、不明なんですよね。
「多くの他者」が問題だと言っても、それを認識しても「やはり問題ない」「見過ごせ」「いいじゃない」「私は判断しない」「もっと大事なことがある」と放置できるのは・・理由がある。
○なにも考えないなのか・・・
もしくは
○「そう感じて」欲しい・・(この場合、酷いけど、そういわれるだけの理由があると実は、思っている)
もしくは
○とにかく、どんなものでも、気に入った発言者を擁護したい
ぐらいしか・・私は、考えられない。
ですからね・・・攻撃している人と、ある意味、「一体」なんだと解釈してますよ。
弾を供給し、防御もする。弾を撃たなくても、十分です。
それから・・
>それに対して、降りた人達、私が思うのは「男なんでしょ?お2人を守ってあげないのですか?」という事。
降りる・・それは、私は、自由だと思いますよ~。そこまでいうのは、酷な人「も」います。
そもそも、女性人2人が、あの主張の自由を、あの人達を・・守りたいと思ったから、そこにいるわけです。
どちらかというと「守る」側の人です。
ただ、今は、「守る」人はいないが・・主張を、あの自由を、「守ろう」とは、しているのでしょう。
私が思うに・・
弱点さんは・・・「強烈な」子供の自主性への拘り。親の介入への拒否感。
さくらさんは・・「強烈な」弱者への拘り。
そこの、「相性」が、とても、いいのでしょう。だから、私からすればですが、あれだけ・・あまりに「好意的」解釈をするのです。というか「したい」のでしょう。都合の悪い事実は、目をつぶり、解釈も拒みましたし。
その「強烈」さが・・・「何か」に転化しているのです。そして「何か」を擁護し、「何か」を拒否するのでしょう。
あの方の主張は、この二人にとって、「守るべき」ものなので、こちらのスレッドには、それが「ない」のですから・・基本はこちらに、来るハズはないでしょう。
また、理由はともかく、自分が「守るべき」ものを、排除している、適性への反発もあるでしょうね。
何度も書きますが・・、
誰でも、考えに、偏りや、拘りがあるのです。あたりまえです。価値観の違いもあるのです。
それがあるのは、自分の「中」の話です。
しかし、自分の思いを外部に出し、内容によっては、他人の中で「大切にしているもの」に手を突っ込むことにもなるのですから・・・そこへの、配慮は「要らない」という明確に主張する人とは・・別に、もう、いいでしょう。という気がします。その環境は、向こうでは、確保されているのですから。
私にとっては、議論する上で、ある程度の「相手への配慮」は、共通認識だという思いは、まったく、変わりません。
私が言っているのは・・簡単です
私は、自分が主張したいことの為に、『理由の無い、もしくは理由がまったく不十分な、誹謗中書』も「しょうがない」という発想は、「誹謗中傷」と感じる側としては『受け付けない』というだけです。『反論』することもあるでしょう。
それは、そういうものを、あからさまに擁護する人にも、同じです。
ところが・・反論がくると・・すぐ、個人批判だとか、発言の自由の侵害という、そして、自分達を「無条件」に守る「論法」は、私は「大嫌い」です。
批判するなら、その反応ぐらい、受け止めろ。です。受け止められないなら「するな」です。
それは、ずっと同じでしょう。これからも。
しかし、それは、あの女性陣二人の、「存在」や「発言」を「なんでも」否定するものではありません。
否定する必要もないのに、否定はしません。必要があれば・・する。です。
大嫌いついでに・・・書いちゃいますが・・
私は・・・・
「弱者」や「貧困」などなど、そういうものを、「別の話」と絡めながら「それ」をすることは(しないことは)「恥ずべきこと」と攻め立てて「罪悪感」を煽るような主張が・・・「大嫌い」なんです。
この「正しそうなこと」を『絡めながら』・・・ってのが・・・。
あなた達は「恵まれている」んだから、もっと、もっと、罪悪感を感じろ、感じろ。
というのが透けてくる感じがします。
私は「そういうもの」に、対してできることは「各自」が判断することであって、感じ方も「各自」が自分が素直に感じたままでいい。(勿論、いろいろな情報などでによって、自分の判断や感じ方が、変化することも、大切ですよ)
「罪悪感を感じないのは、おかしい。」と言われれば・・それは「罪悪感を感じろ」と「命令?」されているのと・・かわらない。
「罪悪感」みたいなものを、人を動かす道具に使うのは・・・
自分から、納得して、動くのと、雲泥の差がある。
どこかに、書いてあった話だが・・
今回の震災で、学生が「私たちも、現地に行ったほうがいいんでしょうか?」と相談された人が。
間髪いれず「やめておけ」と言ったらしい。
なぜか・・
その時に、どうも「これ」は、ある意味「正しいこと」への「同調圧力」ではないか?。
と「違和感」を感じたからだそうです。
その人が思ったことは・・
各自、自分で考えて、自分の「距離感」で、自分が「納得して」すべきこと。
それを、ふっとばして、「正しいこと」への「同調圧力」で流されるのはよくない。
一度、自分で、しっかり、考えるべきだ・・ということ。
何が、自分らしい、方法なのか・・・
「何でも自分で考えて、自分で決め、自分で行動すべし」・・なんでしょ。
「こんなとこで、ぬくぬくして、罪悪感がないのか?お前は?」というような・・「正しそうな圧力」も外からの圧力。
当然・・震災のボランティアは、素晴らしいと思うし。
とりあえず、そんなことも「考えず」に、行くのも「あり」だとも思う。行きたいと思えは行けばいい。
しかし、人間は「限定的」な存在であって、では、アフリカの飢餓は、○○の戦争は、○○の虐待は・・すべて、自分の距離感で、するしかない。
アフリカの飢餓は、○○の戦争は、○○の虐待 全部、大変な問題だ・・・それは「正しい」。
でも、訴える人は、自分の訴える問題、を他人にも、身近な問題として感じて欲しいのだが・・・相手が、自分の「距離感」で感じないとき・・・・「それを」攻め立てるのは、おかしい。
それは「自分の距離感」の「押し付け」でもあるということに、気づいていないのか?と思う。
だって、「他」の問題には、同じような「距離感」もってないのだから・・・
問題をアピールすることで、
そこに、多くの人が、「問題意識を持つ」ことができるように、なれば、すばらしい。しかし・・
「罪悪感」を感じさせるという「圧力」・・・は、違和感があるし、なんか違うと私は、思う。
もし、それを理由でする、行為なら、まるで「罪滅ぼし」?。
ほかに、やる気にさせる方法も絶対に、あるだろうに。
子供の虐待でのいいわけは・・よく「しつけ」をしていた。が使われる。
しつけの為には、ある程度の、体罰も容認?。別に、いいです。
虐待に近い、体罰・・ありましたね。場所や環境によっては、即効性もあるし・・精神的に強くなるかもしれません。
表面上は「いい子」になるかもしれません。
が・・
「しつけ」という、「正しいこと」「しなくてはいけないこと」を全面にして、自分のストレスの捌け口にした事実を、隠しているのでしょ。
その境界を、曖昧に、しているのでしょう。親の権利だと言っているのでしょう。
で、その判断は、自分にあると、主張しているのでしょう。
「しつけ」は、相手を、強制的に、自分の考えに、従わせる行為です。
エデュでも・・
大人が、大人を「しつけよう」と思い・・そこに「暴力性」を、感じると・・つい反発したくなります。




































