在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
私見ですが、「職人」とは、父権主義によって主体性、自律性を抑圧し、「あるべき姿」を正確に紡ぎだすこと(アウトプット)なのだとう思います。
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信頼感様
なるほど~。そのように考えるのですね。
面白いです。
父性は自由を嫌い、母性は自由を好く、地域、時代様の周り職人さんは、仰るように2つを体得されているのでしょうね。素晴らしいですね。
↑
ここ、少し違うんです。
信頼感様の「父性」と「母性」の分け方は、私の職業でも「どんぴしゃり」当てはまります。
職人さん達(呼び方は違う)は、信頼感様がおっしゃるように「父性」を持った方達がやはり圧倒的に多いです。
ですので、私は、自分が持っていないものをその方達にたくさんたくさん教えて貰うのですね。
ですので、信頼感様の「父性と母性」は、なるほど!!!ですよ。
ですので、仕事上、私が一番怖いのは、代理店でも委託側の企業でもなく、職人さん達です。
そして、私の場合、大概、職人さん達が言う事の方があっている。のですね。
私はその時その時ばらばらに思考が飛びますが、彼等は常に一つの事を何度も何度も思考して、何度も何度も体得してらっしゃる。
物作りに対する厳しく的確な目線は、私など足元にも及びません。
>「絶対に嫌だよ!嫌だよ!!」って拒否られました。
兄弟、姉妹一緒だと、キャンプ。ハードル低いんでしょうね。(涙)
娘さん達が羨ましいです。
そりゃ、一人でキャンプに参加するってなった際は、ブルーでしたよ。
でも、経験してみれば、「行って良かった!」になるし、土産話の山ですよ。今年はもっと長く行くとか云ってるし・・・。まぁ、でも、女子の方が「度胸がある」・・のかもしれませんね。成績もキャンプ参加後は8→10になり、ヤル気(好き)ってスゴイなって思いました。
信頼感様
私達が「ここ、こうやってああやって、でどうですか?」って聞くでしょ。
年配の職人さんに「できません」(ぴしゃり)。
「や、、やっぱり?やっぱり、、そうなのぉ~!!!!」(BY 武井君風)
「どうする?出来ないんだって。無理なんだって。。どうよ?私達どうするよ?」って、私達は一から考え直しです(笑)。
信頼感様がおっしゃって下さった意味がなんとなくわかりました。
前に私が「性差を超えてる」って話からですね。
私達側は、性差を超えてるものがほとんどです。→信頼感様は、ここを覚えて下さっていたのですね。<(_ _)>
でも、職人さん達の方は、超えてない方がほとんどです。
量的様、、’刺激的’過ぎましたか?(笑)
地域、時代様
>私達側は、性差を超えてるものがほとんどです。→信頼感様は、ここを覚えて下さっていたのですね。<(_ _)>
えぇ??・・何?、スミマセン・・・それ意識してません。
そんな話、ありましたっけ???
いや、単純に父性、母性の話です。父性も母性も男女問わず等しく内在している感性ってことです。
>私達が「ここ、こうやってああやって、でどうですか?」って聞くでしょ。
年配の職人さんに「できません」(ぴしゃり)。
あぁ、わかりますよ・・・ソフトを作っていた頃、プログラマーに散々云われました。最終的には出来たけど・・(笑)
父性は出来ない理由を求め、母性は出来る理由を求めるんだろうと思います。人間、両方を持ってるんだけど、職人は父性が圧倒的に強い・・だから自由を抑制して均一な品質を保てる。
適性さん
教育にはあんまり関係ないのですが、最近ちょっとおもしろいと思ったのが
「マイノリティ憑依」という概念。
物言わぬマイノリティに成り代わって彼らの意見を代弁することで、
代弁者は加害者を自由に糾弾できる神の視点を手に入れることができるというもの。
「被害者ではない人たちを全員、加害者の側に押しやれてしまうこと
自分たち被害者以外はすべて加害者として断罪できてしまうこと。
そういう気持ちよさ」、それが「マイノリティ憑依」によって得られる最も大きな果実である。
「抑圧された民族の立場に、理念的に同化して「自分は批判の視座をつかんだんだ」
と思い込んでしまうと、その瞬間に全ての言葉はメロドラマ的な情緒主義に陥ってしまう。」
Twitterや掲示板で大変良く目にする光景である。
「マイノリティ憑依」は今後様々な問題の批判に適用されるだろうが
「批判している人間も当事者性を失っているという点で同類」ということを理解せずに、
「お前それ『マイノリティ憑依』だよバーカ」と言うと、自分が投げたブーメランにぶつかる。
だからどうしたという話なのですが、そういう概念もあるということで、
メタなレベルで物事を考えようということかなと勝手に解釈してます。
マイノリティとかマジョリティって、社会の中では入れ子になっていたりして、
あるコミュニティではマジョリティだけど、よそではマイノリティだったりします。
結局、多様性を受け入れて、社会の「共通善」に向けて一人ひとりが考え行動しよう、
平たく言えば、そういう意識を持って「できることをしよう」ってことですかね。
将来を担う子供たちを育てているわけですから、子供には是非そういう視点を持てる
人間になってくれたらなあと思うのですが。 思うだけ・・・。
■キュレーターさん
>やれやれ・・・
>適性さん、
>直前の私のレスは、スルーしてください。
>あなたにご迷惑をかけたようです。
いやいや、迷惑だなんて・・・スルーしませんよ。
そんなこと、気にしないで、書き込んで下さいね(笑)
>「マイノリティ憑依」という概念。
>物言わぬマイノリティに成り代わって彼らの意見を代弁することで、
>代弁者は加害者を自由に糾弾できる神の視点を手に入れることができるというもの。
>「被害者ではない人たちを全員、加害者の側に押しやれてしまうこと
>自分たち被害者以外はすべて加害者として断罪できてしまうこと。
>そういう気持ちよさ」、それが「マイノリティ憑依」によって得られる最も大きな果実である
なかなか面白いですねー。
>結局、多様性を受け入れて、社会の「共通善」に向けて一人ひとりが考え行動しよう、
>平たく言えば、そういう意識を持って「できることをしよう」ってことですかね。
これは、同意します。
どーも、だれかが、期待してるようなので・・・書かないとなー(笑)
この・・
>「被害者ではない人たちを全員、加害者の側に押しやれてしまうこと
・・・簡単に・・・加害者にされる。
でも、よーく、わかりますよ。ここの人達は・・「体験中」ですから・・
ネットでも・・
『マイノリティ憑依は弱者と同化することで自己を正当化する免罪符として機能します。』
と、説明しているようですね。そこが、便利ですよね。「攻撃」も「防御」も。
たぶん・・マイノリティーや弱者に対する「加害者」としての「自覚のなさ」を「責める」ような文体になるでしょうね。「加害者である」と、するなら、「断罪」は可能ですから。
これ、前に書いた・・「呪いの言葉」でもそうです。構造的に、非常ーに似てますね。
ある人々を『欲深く、役立たずな××達』という印象(イメージ)が残る文章で定義し。
それが、弱者、マイノリティーを作り出す「加害者」として語られますからね。
で、その立場の代表として、自己正当化し、相手を叩くわけです。
まあ、ここの話では・・「私立」が、現在の教育の現状の「加害者」である。
そして、批判をうけてしかるべき人達である。(多くは、人間性について)
私は、よく、「私学に行ったり、塾に行くことで、誰かに、なにか責任でも発生するのか?」と聞くのです。「私学に行かない子や、塾に行かない子に対して、なにか、責任があるのか?」と聞くのです。
すごーく単純なことですけど・・・けっこう大事です。
でないと・・すぐに「加害者」にされてしまうからです。ほんとに・・されます。
だれかは、「責任の問題ではない」・・その行為が、恥ずべき行為だ・・・というのですが。
私が言っているのは・・・ふつーでしょ?
●「私学に行っても、塾に行っても」誰かに「とやかく」いわれる筋合いの「話」ではない。
悪いことではないし、まして、加害者扱い?どうして?
たった「これだけ」のことも、どーも「ゆるされない」ようです。「いやな感じ」ですほんとに・・
>「お前それ『マイノリティ憑依』だよバーカ」と言うと、自分が投げたブーメランにぶつかる。
この話も・・似たようなものありました・・「呪いの言葉」の時の、反応も・・
『「呪いの言葉」というのが「呪いの言葉」だ。』
これ・・・・同じでしょ?。お約束?です。「オウム返し」です。
でも、その指摘は、それでも意味があるハズですよ。たとえ、ブーメランが戻ってこようとも・・かまわないと思います。問題にしてるのは・・・「加害者の設定」です。
『マイノリティ憑依』「呪いの言葉」両方とも「加害者」の設定(範囲や、程度)が、かなり自由度が高く、その人の「好き放題」ってとこでしょうね。そこが、普通と、まったく、違うのですよ。
>被害者ではない人たちを全員、加害者の側に押しやれてしまう
のですから・・・・・
同じ「責任」でも・・多くの人が共感できると思えるだろう・・・・
「世界の問題は、世界の人々、ひとりひとりが、『責任を負っている』のです。」
というのとは・・・まったく「別」であることは明白です。
これは、「断罪される加害者」としての「責任」では「ない」ですよね。
「断罪される加害者」として使われる「責任」は、まったく、別の「機能」です。
この「責任」の機能は・・気持ちよく「攻撃」できるです。そして反撃を許さない。
憂さ晴らし的であるのですが・・・「俺、いいことしてるー」的でもあるとこが・・する人には、魅力的なんでしょう。『神の視点』『強烈な全能感』は、同じことです。
言いたい放題、誹謗中傷も、「裏表のない、正義の言葉」になるよですから。そりゃ、『本人は』気持ちいいでしょう。さらに、「いじわる」してるという自覚さえ「いらない」ようだし。
たぶん、『本人は』気持ちいいってのが・・大きいでしょうね。老婆心は、たいがい「苦しい」もんです。
では、『マイノリティ憑依』や「呪いの言葉」の傾向が「強い人」が・・「その対象(ターゲット)を含む」問題を「解決しよう」とすると、どうなるのか?どんな主張になるのでしょうか?
例えば教育問題・・・
■■ 日本の教育関係の公費支出のGDP比はOECD加盟国の中で最低である。■■
を問題にしているなら・・・『GDP比』それを「引き上げる」べき・・ということでしょう。
普通は・・「他」の予算を削り、公費支出に占める割合を「上げる」わけです。(優先事項だから)
そうですよね??
『GDP比』ですから。「割合」が「低い」ことを問題にしているわけです。
「割合」が「高く」なれば・・・予算は基本「増えます」よね。これで、問題は、改善はされます。
で、文句を言う先は、国でしょ。予算をつける国の教育へ「取り組み」です。
さて・・「加害者?」を「私学」に設定した人は・・・しかしながら・・何を求めたのか?
不思議なことに・・「最低」レベルのままでもいい。らしい。・・なぜ、そうなるのでしょうか?
悪者?加害者?として、定義づけれれた、私学への予算を削り(無くし)、公立に回すことによって、解決しようとする。だから、「それ」でいいと。
『GDP比』最低は??どこに?どうも、国の教育への「取り組み」を問題にしていたのではないようですね。
予算の削られた、私学の教育の劣化など・・眼中にないのでしょう。ターゲットであり「悪者で加害者」ですから。それを、切に「希望」しているのですから、当然ですが。
たぶん「悪者、加害者」は、ペナルティーを課すべきという主張でしょうね。
「公立の教育のみ」、潤うことしか目指していないのですから・・・お金もかからず、一石二鳥でしょう・・
しかし・・私立に行く子は・・「日本国民ではない」のでしょうかね?
日本の予算から教育費を流してはいけない「存在」なのでしょうかね?まあ、そう主張してますが・・
そういうことで・・結論が「流れる方向」は、ほぼ『決まっている』わけです。
その為の「いろいろ」言うわけです・・憲法違反だ・・私学とは・・・と。
得意な言葉は『公平』です。これが『免罪符』として、大きな善だ、正義だ、ということになる。
ある意味「脅し」「強制」的な発言の『免罪符』としてつかわれているわけです。
主張の、正当性を保つには・・「私学が嫌いだから」だけでは・・・さすがに問題ですから。
お金を貰わない私学が好きなら・・自分で作るか、そういう学校を見つけて、子供を入れるか、寄付でもすればいい。そして、日本に根付かせればいい。と思うのだが・・・・
潰すことに、熱心なだけに思える。嫌いだから・・・




































