在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
養育者は、社会の変化を前提としないので「解りきった結果」を子どもに授けたがる。その方が合理的だし割に合うからと・・・。でも、人生に豊かさを齎すのは「未知の結果」への苦労話を沢山出来ることだと思う。また、その過程で別の方向に結果を見出すこともあるでしょうし。偶然にもその結果を知り得たなら、最高にハッピーでしょうね。
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信頼感様
深く同意です。
またね、私は思うんですよ。
親が考える子供の幸せって、自分の歩んできた道から発せられる事が多いですよね。
私は時代の最先端という芸術分野におりますので、常にこの事を感じています。
「親の世代の考え方は古い。」と。
特に近頃は強く感じます「ああ、感覚が錆びてきてるな」と。。。
近頃は自分の分野の若者達と接する事が多いので、彼等のファッション、彼等の持ち物、また、異性に対する「好き♪」一つとっても、「え?」と思う事が多い。
以前は、それがなかったんですよ。
私が「今は、これでしょ」って感じる事がかなり上手く時代に沿っていた。
近頃は、少しズレる。。。。(昨日も、仕事でその事を実感した出来事がありました)
ですので、仕事や子供が進む分野に関しては、「自分の目で見て、感じた、自分の’これだ!’で歩んで欲しい。」と願っています。
子供の嗅覚の方を信用した方がエエんやろうな、って思っています。
選択の妥当性ってのは、せめぎあうものですよね。
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適性様
ですよね。
そのせめぎ合いを上手く自分の中で消化する力を養う事が「学ぶ」という事なのかな?と薄ぼんやりと思っています。
しかし、すでに、「まわりの様子を伺って」という、時代でないことは、たしかでしょうから。
日本人はダメだ・・という話よりも、「悪くない可能性」についての方が、建設的なのでは?と思うのですよね。
いろいろ「自由に変形する」日本人を、他の日本人が「みなさん、そうされてますよ」と受け入れる可能性もあるわけですから。応援しましょう。
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ですね。否定して「ダメだダメだ」の中からは、何も生まれてこないと思います。
ダメだから→動く。事はとても大切だと思いますが。。。
ですので、「行動」「動こうよ」と常に自分自身に言い聞かせています。
嫌な事、めんどくさい事も多いんですけどね~。。。
でも、とりあえず、やってみれば、「経験」できるので、必ず何か得るものがあるように思います。
昨日、京都関西はエエ天気ですね~♪
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また、やってる。。。
自分で自分に突っ込み。
昨日、私は京都には行ってない。。。
「昨日、今日と関西は~」の間違いです。
京都に行ってたら、企業人様に教えて貰ったお菓子、絶対ゲットしてたから!!!(笑)
地域、時代さん
ああよかった!
昨日京都にいらっしゃったのかと思って、ちょっと心配してしまいました。
ひどい事故があったものですから・・・。
企業人様に教えてもらった京都のお菓子って松風でしたっけ?
私は、京都といえば昔から鍵善の水ようかん(竹に入っててチュルンって出てくるやつ)が大好きなんですよね~♪
これからの季節にはいいですよ。
地域時代様
>私は、調和を大切に考える一方で、自分の仕事に対しては非常にギラギラ
>で貪欲です。
>若い頃は私利私欲でしかなかったとはっきりと思います。
>でも、ある程度私利私欲を追求したら、そこからすごくフラットに周囲の
>事を考える事が出来安くなるんじゃないかな、って思います。
「私利私欲」というのは加藤典洋が使っている言葉で、私としては仮置きです。「自分の仕事に対してギラギラ」というのも殆ど同義だと思います。
実は目の前で面白いことが起こってます。今日は自宅勤務なんで(自宅勤務がかなり自由に選択できる会社です)メールを見ながら、こちらにロムしてるんですが(厳密に言えば就業規則違反?)、海外店のスタッフと東京オフィス日本人若手のやり取りで、外人は自分の仕事をこうやりたい、東京で承認して協力せいとガンガン言ってきてます。かなり無理筋なんですが引かない。日本人若手は私に日本語メールで「勘弁して欲しいです。空気読んで欲しいです。」と言って来たんですが、「そんなこと言ってないで自分の考えを主張せい、出来れば、どうやったら可能になるか考えて議論しろ」と返したところです。
こういうことは結構良くあります。外人にしてみれば当然の主張と思っているんですが、言われた日本人は被害者意識が出てきて「KY」に逃げ込む。だから日本人はダメだという訳ではありませんが、ここは頑張らないといけないところ。空気に逃げてしまったらそれこそダメだと思うんです。「お互い自己主張をして、そのぶつかり合いの中から本当の共通理解が生まれるんだよ。一緒に仕事することからは逃げられないんだから、共通理解を持つことは重要だろ。空気ってなんだよ。持ってきて見せてくれよ。」と言ってます。
前レスでも出しましたが日本人としては「空気」というのは結構重いんですね。一時期、子供たちの間でKYというのが流行ってましたが、私は空気読まないといかんという風潮が嫌いで子供にもそう言ってました。ここ数年会社の新人採用面接官をやっていて、その際に必ずKYってどう思うという質問出すんですが、ほぼ全員「空気は読まないといけない」と。その度にちょっと落胆です。たまに空気読むことなんて重要じゃないという答えが返ってくると、他の受け答えがダメでも〇つけたりして...。空気読めることは良いのかもしれないですが、大抵の場合日本人は「敢えて空気読まない行動を取る」勇気が必要だと思っています。
勉強・受験の話に紐を付けると、難関大目指して一生懸命勉強する理由はなんなの?という質問に、まあそう言うもんだから、そういうのが日本の空気でしょ、みたいな話になってるんじゃないかな、と...。
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「今回は一報だけでなく、ダブルチェックが必要だった」
「すぐにレーダーからロストしたとの情報があったため」
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レーダーからロストした・・・・だからJアラートを出さなかった?
何故そんなにも「失敗」を恐れる??
頼むから「誰か」、「判断」して欲しい。(無念)
米・・・「発射したぞ!!」
韓・・・「発射したぞ!!」
日・・・「みんな発射したって言ってるよ・・確認しよう!!」
米・・・「失敗だった」
韓・・・「失敗だった」
日・・・「ニュースで失敗って言ってるよ・・・みんながそういうならウチもそう発表しよう!!」
日・・・「メンツは保たれたよな!?だってミスしてないしさ」
「北だってきっと成功したって発表するさ」
「ウチもメンツを保ったから成功だ!!!」
「それじゃ、後出しジャンケンの言い訳だけ考えておこう!!」
高校生親さん、神戸観光案内2さん
はじめまして!
皆さんのお話、興味深く拝見していました。
高校生親さんのおっしゃる、あえて空気を読まず独自に突破口を見出していく場面があっていいこと、
社会で通用するには、それができるように子どもを育てていくという点に賛同します。
ただ、日本の教育はどちらかというと空気を読むことを評価されることが多いように思います。
神戸観光案内2さんの息子さんのお話を拝見した時、まるでうちの上の子のこと?と思いました。
奇遇にも、中高で個人プレーの部活に所属して、大学で合唱団に入ったのも同じです。
上の子は人に合わせるよりも自分の興味を追求したい方で、公立中での内申は凡庸な物でした。
努力はしていましたが、大変だったところも多々あります。
「どういった生徒像が期待されているか」ということを理解して言動に表わせるお子さんのほうが
評価は高いということ、特に公立中では高校受験が絡むため、好むと好まざるに関わらず
学校が提示する生徒像を目指す必要があるということ、この部分が私には疑問でした。
幅広く何でもできる子どもがいてもいいと思いますが、一点集中で能力を表す子どももいますから。
親としては、子どもが良いところを見失わないように認め励ましつつ、学校も否定できずに
かなり中途半端な状況でした。
その後、上の子は大学で大好きで最も得意な分野に進みました。
将来の方向も明確なため、今はこの上なく生き生きしてます。
自分の興味を追及していればおのずと評価、成績が上がり、モチベーションを高く維持できているようなので
結果的には幸せと言えるかもしれませんが、中学時代どのように過ごせばよかったかについては
子ども自身いまだに答えが出ないようです(自分をそのまま認めてもらえない時代があったから、
その後自分のやりたいことを伸び伸びとできる喜びが大きかったかも、とポジティブにとらえてはいますが)。
高校生親さんはリーダーシップについても言及されていますね。
こちらの関連スレで以前話が出たように記憶していますが、
日本には、リーダーとは何かという柱になる思想が薄く、
育成のためのメソッドも確立していないのではと感じました。
状況を俯瞰的に見通しつつ、通常の価値観にとらわれず
行き詰まりを打破していく思い切りやパワー(単に一方的な力というだけでなく)も
必要と思いますので、特に、日本の公立のように狭い価値観の中で期待される人間像を求めるような教育、
みんな同じようにという教育で育成できるものなのか、という疑問があります。




































