在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
シルバースプーン様
「働かないアリ」は怠惰だが、同情の余地はある。
だが道徳心の欠如は看過できないレヴェル。
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さすがですね!!
その結論に持っていく所がさすがシルバ二アファミリー。って違うか?(笑)
我が家だったら「おお、、なんじゃこりゃ~!」で終わってしまいそうでした。
エエ話、ありがとうございます。
シルバースプーン様~。
今のマイルド視点様、エエ感ですよね?(甘いっすか?)
あれぐらいしっかり書いて下されば、常に批判されてるこちら側(我が家は灘ではないので、少し状況は違うのですが)も、「おいおい!!」って感じになりませんよね。
量的様、公立一貫様
>公立一貫さんの試案にも、すこしご考慮いただけたら嬉しい部分です。
スミマセン、スルーするつもりはなかったのですが、若干疑問もありまして・・・。
① 働き蜂の理論って正しいのか?という疑問です。臨床的実験結果としてあるのなら、(クラスと学力の関係)それを拝見したいなって思います。下位25%の蜂は別の役割があったんじゃないかなって疑問です。
パレートの法則なら多少判るのですが・・・商品や部品という個性のある無生物なら適用できますが、人間に当てはめるとちょっとちがうような。多様な個性を持つ人間に対して一元的価値観(学力)で個人を評価して尚且つその評価が4年後の企業の評価(要求)を満たせなかったからこそ、難関大学に合格しても「大学までの人」と旧スレで揶揄されていたように感じています。働き蜂の理論は価値観が一元的だし、少しだけ排他的部分を感じてしまって・・・。「働かない(←コレ一元的価値観)蜂の25%が他の役割を担っているのでは?」という疑問があるように、学力というモノサシで測った下位25%の子どもたちは、75%の子どもたちが考えもしないような空想(抽象思考)をしているかもって思ってしまうのです。(特に難関校なら大勢いると思う)その多様性を認められる社会でありたいし、私の考えは習熟度別編成ってワカラナイ=ストレスからの解放が目的です。知的好奇心旺盛なデキルお子さんは、別のプログラムでさらに伸ばしてくださいって発想です。
② 量的様の「キャラ論」を実は、よくわかっておりません。私が参加する前のお話のようでお手すきの時にごくごく簡単で結構ですのでエキスを教えてください。
おっとシルバースプーン様とかぶったか。
どの国でも今に残る有名な建物はその国が繁栄した時代の富で、大きさ、優雅さや芸術性を競い、贅を尽くして建てられたものが多いということでした。絵画は覇権を握った繁栄の時代を鑑賞者に伝え、建物は繁栄の名残を感じさせてくれました。
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量的様 離陸様
確かに、建築物というのは、やはり時の権力者やハンパない大金持ちのパトロンがいた時代の豪華絢爛のものは、見るものを圧倒し、当時の彼等の「力」をまざまざと見せつけてくれますよね。
ポートキー様は、私よりしっかりと美術について学んでらっしゃると思います。
私は、自分の分野の実践あるのみ、、みたいな感じですので、自分の分野には深いですが、分野外の事については、それほど深い知識はないんですよ~。
ポートキー様、是非是非私達に色んな事を教えて下さい<(_ _)>
コロンビア大学ビジネススクールの講義の話
信頼感様、見て下さったのですね!
しかも、動画をアップして下さってるので、皆さんにもわかりやすいかと。
私ね、あの話の中での「アメリカ人は徹底的な個人主義を教えられている」という所が、やはり日本人なんで、イマイチピンとこないんですよね。
育ってしまった大人とのやり取りしか基本してきてませんので。。。
あの第二の講義で、私が考えた一つを書かせて頂きますね。(考えた事は、いっぱいあります)
アメリカ人の子育ては、もちろん00系によって違うのですが、「母親が子供についていないといけない」というものではないように思うのですね。
子育てに対して、日本のような母子密着の閉塞感がない、、というか。
日本では、「お母さんと一緒」が基本でしょ。
しかし、社会的なシステムがそれを最重要視していない。
その変わり、私が長兄の嫁さんや、嫁さんの友人達を見ていると、もうね、キスはすごいし、赤ちゃんなんか、親が食べてしまいそうな位、口で体をタッチするし、ボディータッチがものすごい。
そして、常に「あなたは最高」「00は素晴らしい」の賞賛の嵐の中、子供を育てているのですね。
特に幼児期までは。
その傍らで、お父さんは男の子には徹底的に「お母さんは弱い存在なんだ、男ならば、お母さんを守れ」と語りかけていく。
接触時間は短い、お母さんがストレスを感じたら、すぐ他人に頼るのですが、「目の前にいる時」は、もう、本当にこれでもか!!って位愛情表現をする。
そこら辺が母親が、子供に「信頼感を与える時」の母性の伝え方の大きな違いかな、、と。
日本のお母さん達は、基本的に「傍にいて、見守ってやる」事を大切にしているような気がするのですよね。
日本では、「お母さんと一緒」が基本でしょ。
しかし、社会的なシステムがそれを最重要視していない。
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わかりにくい書き方で申し訳ありません。
しかし、アメリカでは、社会的なシステムがそれを日本ほど再重要視していない。
です。
動機様
日本は今まで自国の大学を出て、自国の企業でまかなえてこれた。
これは、一般的なアメリカ人と一緒なんですよ。
アメリカ人も大半の人は、世界をまたにかける仕事をするようなビジネスマンじゃない限り、自分の国を出ないし、また、自分の州だけで一生を終える人が大半で。。。
でも、アメリカの場合、英語が公用語なので、特にそれでも自分が何か、、と思ったら他国の人がこちらに合わせてくれる。
日本の場合、それが出来ない、、と。
私は、ここなんじゃないかな、、と思うんですよね。
信頼感さん、
大した話ではないのです。読んで、「な~んだ」というようなことですけれども、
p.369
【2280818】量的
【2280850】適性さん
【2280854】量的
【2280858】量的
【2280900】量的
なんかで、さわりの話をしていて
P.618
【2310172】
で、少しそれを教育において考えて見ています。「ひとりひとりキャラが立つ」ということは、少し教育をじっくりこしを据えて見て構成し直すときに
注目されて良いのではなかろうか、との提案です。
>
「キャラ論」を実は、よくわかっておりません。私が参加する前のお話のようでお手すきの時にごくごく簡単で結構ですのでエキスを教えてください。




































