在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
■視点さん
>教養=自己満足。
>役に立たないのが教養。
視点さん「らしい」答え、ありがとうございます。
いさぎよく、「反」教養主義って感じですね~。まあ、それもありでしょう。
拳一つで、天下を取る・・って感じでしょうか。
適性さま
私まで声を掛けてくださってありがとうございます。
では、かた~い、ユーモアの欠片もない持論を・・・
教養とは『恕を育てる力、未来を担う力、孤高に耐える力、の礎』
恕は仁にいつか置き換えたいけれど、難しい・・・
このスレを見て感じたことは、
同じ高学歴(またはそのように見える人)でも、教養があるなと感じられる人とそうでない人との差は、やはり、「人への思い」があるかないかのような気がします。
そして、教養があるなと感じる人のところには、自然と人が集まってきますね。
なんとかして、うちの子供にも、そんな人間になってもらおう。
あっ、
視点さんのところにも、別の意味で人が集まってきますが、上で言っているのは、視点さんのことではありませんよー。
念のため。
前回の私の投稿、一部書き換えです。
>教養とは「ひとの考えに傾倒しすぎず、バランスをとりながら自分の糧にできる軸」のようなもの、です。
を、
教養とは「ひとの考えに傾倒しすぎず、バランスをとりながら自分の糧にできるようにするための軸」のような
もの、です。
と訂正させてください。わかりにくい書き方をしてすみません。
教養については、よくわからなくなっているので、お答えしにくいですが。
視点さんのお答えに、感覚的には、いちばん近いです。
しかし。
アメリカの一流大学では、リベラル アーツの教育を、学部時代に、けっこう厳しくやるわけです。たぶん、専門科目だけ、というのは許されず、それこそ、いろいろな分野の本を、週に10冊以上読んで、山のようなテストとレポートとディベートをこなすわけです。
アメリカが、いろいろな民族の集合体で、歴史が浅いために、さまざまな価値観に直面しながらビジネスをやったり研究したりすることになる、あるいは、外国に侵略していくことになる、そのためのリベラルアーツではないか、とも考えるわけです。
個人に対しては、よくわかりませんが、アメリカの指導層をマスとして見たときに、ある種とツールとして、リベラルアーツが機能している、実に実利的な教育なのではないかとも思っています。
教養のなんのと言う以前に、日本の文化や宗教についてのバックグラウンドは最低限の素養で、これが無いと、けっこう、グローバルマーケットで苦労しますけれどね。




































