在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
観光案内さま、神戸観光案内2さま、シルバースプーンさま
実は仕事で今月末、神戸やポートエリアに十年ぶりかで伺うところです。
わたくしも参考にさせていただきます。ポートライナーの京コンピューター前という駅を出張手配で最近知ったところでした。
わたしにはとてもタイムリーなので嬉しいやら驚くやらです。
>だから、自分の感情を抑えて空気を読もうとする。自由に振る舞う仲間を許せない。
または、自分に返ってくるのが嫌なので、人と干渉することを避ける様になる。
・「何故、感情を抑え空気を読もうとするのか?」・・・
「傷つきたくない」からだと・・。
・「何故、自由に振舞う仲間を許せないのか?」・・・
自己が傷つかない為に「相手にも踏み込まない」というローカルルールを侵害された嫌悪なのでしょうか。
>なんで、向こうがしないのに、自分だけやらないといけないの?損するじゃん。という気質。
感情(道徳性、ボランタリー)が起点となる行為ですが、市場規範(割に合うかどうか)が起点となっているようです。女性に高価なプレゼントをする際、男性はつい相手への愛情の深さを示そうとプレゼントの値段を伝えてしまうことがあります。プレゼントというボランタリーが値段を伝えた瞬間、市場規範(ビジネス、合理性)に変化してしまう・・・「割に合う女性なのか」・・・感情ではなく合理性を重要視すると判断されてしまうようです。
>ひとつの問題は、大学がゴールだと思っている学生が結構多いことです。いまだ、良い大学に入れば、良い就職ができるという神話は崩れておらず(実際にある程度はそうなので)、受験の過熱が生じることですね。良い大学に入れたいというのは、自分もそうですが親として当然の気持ちですよね。(別スレのコメント)
「難関大学で学び学歴を得る」のか「学歴を得る為に難関大学を目指すのか」前者はボランタリー精神だし、後者は、ビジネス、合理性なのだと思います。どちらの意識もバランスして有するものだと思います。ただ、現状は、合理性に偏っているのではと。ビジネス、合理性という市場規範で学問を捉えるなら、対価が必要になります。快の行為か、行為の先の快なのか・・・。学生に刷り込んだ大人の責任かと・・・。準備不足のまま社会に送り出され責任をとらされるのは、学生達ですから。
地域、時代さん
>うちの母、中学生レベルの会話力しかないんですが、身ぶり手ぶりでガンガン話す母の英語は結構通じます。
お母さん、ガッツがあっていいですね~
ロザンの菅ちゃんも、良くあれで通じるなあ・・・って、いつも笑ってテレビをみているのですが、あのガッツは侮れないですね。
How long Japan?で、「日本に来てどのくらいに期間ですか?」の問いかけが通じるんですから、驚きです(笑)
公立一貫様
「こだま」という題でしたので「心の投影」という意味なのかなって・・・想像していました。
>「遊ぼう」っていふと、
>「遊ぼう」っていふ。
共感すると相手も共感してくれる
>「馬鹿」っていふと
>「馬鹿」っていふ。
反発すると反発される
「人は自分を映す鏡」だと云います。相手が怒っていると思いこみ「馬鹿」っていうと「馬鹿」って返ってくる。怒っていると感じたのは、自分の心のフィルターのせい。自分の心に反応してしまったから。
共感、反発、寂しさを受け入れて謝罪すること、全て相手に投影した自分の気持ち。
相手がいるから自分がワカル・・・それは誰にでも。
作者の気持ち等わかりませんが、詩の解釈って面白いですよね。
すみません。ずっとROM専だったんですが、面白い考え方ですね様と信頼感様の書き込みにつられて
また出てきてしまいました。
実は大学生の息子がおります。
男の子の割に家で学校のことなどよく話します。
彼の所属する部活では、この春から彼の学年が執行部役員になるのですが、この子たちが、まあとにかく
話し合いが好きなようなんです。
暇さえあれば来年度の運営方針等々、額を寄せ集めて侃々諤々。
聞いてみると、みなそれぞれ筋道立てて意見を主張し、だまって成り行きを見守っているなんて子はいない様子です。
もっとも、議論が白熱し過ぎて胸ぐらのつかみあいから殴り合いまでに発展することもあり、いつも冷静で生産的に
とはいかないようですが。
それにしても、上級生からはやりこめられ、下級生からは突き上げられながらも忍耐強く話し合いを重ねて
方針を練り上げていき、実際に行動に移して時にはOBや大学側までも動かすその様に、いまどきの大学生も捨てたもの
じゃないな、と思ったりしているのです。
彼らの中には私立の中高一貫校出身者もいますし公立高出身者ももちろん。
でももうそんなこと関係ないようですよ。さまざまな能力においても、どちらがどう、という差はない、と息子。
もちろんあくまで彼の周囲に限った話です。
そして決して一般的な話でもないのかなと、今日思いました。
金子みすずさんは、かなり数奇な運命をたどった女性でした。
悲しくて短い人生を歩んだ女性でした。
今残っている500篇ほどの詩は、20歳から5年くらいの間に書かれたものだそうです。
数年前に、彼女の生涯を描いたドラマを見たことがあります。
松たか子さんがみすず役を演じておられました。
はかなくて悲しい日々の中で、なぜあのような美しい詩を残せたのか・・・。
私は、彼女の心の中の凛とした何かを感じて、とても感動しました。
こだまでしょうか。いいえ誰でも。
これは、文法的に補足説明すれば単純に「それは、こだまの話でしょうか?いいえ誰でもそう言うのですよ。」となると思います。
そして、その言葉の奥には、皆さんが書かれているような「心」が潜んでいるのでしょうね。
金子みすずさんの詩の著作権は、没後50年過ぎているので、普通で考えると消滅しています。
しかし、多くの詩が未発表だったため、その多くを後年発掘して出版した側などが著作権の存在を主張していて微妙な状況になっています。
ですが、まあ一般的にはこういう場で詩をコピーするのはあまり問題ないと思われます。
という判断で、私が好きなみすずさんの詩をコピペします・・・
**********************************
こころ
おかあさまは
おとなで大きいけれど、
おかあさまの
おこころはちいさい。
だって、おかあさまはいいました、
ちいさいわたしでいっぱいだって。
わたしは子どもで
ちいさいけれど、
ちいさいわたしの
こころは大きい。
だって、大きいおかあさまで、
まだいっぱいにならないで、
いろんなことをおもうから。
**********************************
子供は、とても幼くして、もう親を超えているんですね。
ハッとさせられました。




































