在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立高校出身者にノーベル賞受賞者が少ない理由と受験教育の弊害
日本のノーベル賞受賞者の学歴を調べてみると
大学は京都大学東京大学出身の人が多くほぼ全員が国公立大学出身で
高校は公立高校出身の人がほとんどで私立高校出身者は2人だけでした。
その私立高校は灘高校と同志社高校で
野依先生が灘高に通っていた頃はまだ進学校化していなかったそうですし
同志社高校は大学の附属高校で進学校ではない・・・
大学はさておき中高一貫私立出身者にノーベル賞受賞者が少ないのは偶然でしょうか?
自分は中高一貫私立校の受験教育と私立高校中学に入るまでの塾での受験教育に何か問題があると思うんですが皆さんはどう思いますか?
例えば私学や塾の受け身の受験勉強によって
テストの点数や偏差値以外に興味を持たない(学問に対する好奇心がない)人間に育ってしまったり
大学以降の勉強(自分からテーマを見つけて研究するという能動的な学問)ができなくなってしまうというのはよくあることなんでしょうか?
視点様
>全体なんて論じてないのに、全体が言われてるって
昨日も書きましたが、あなたの表現方法にも問題があると思います。
「あなたの表現方法にも」です。
自分の書いたことを理解できるかできないかは読み手の勝手では、老婆心があるとは言えません。
老婆心があれば、老婆心の対象者に「確かにそうかもしれない」という気持ちが生まれるような表現をしなくちゃ。
視点様は対象者に老婆心を持ってお書きなのでしょうか?
信頼感様が『彼自身「嫌いなんです」って発言された』と書かれたのは、私立中学の価値 2校め 970ページ【2407757】のことなんでしょうかね?
「2校め」の970ページの視点さんの発言にたいして、、
>嫌いなのは、これで十分わかった。(知ってるけど)(適性さん)
とあり、つぎのページで
>ほら~。「嫌い」ってはっきり言うたやん。(地域、時代さん)
>またこの理由が単に「嫌い」って。。。絶句やわ。(採用担当さん)
とつづいたので、「嫌い」が一人歩きしたのでしょうね。
それと別のトリックで、
中高一貫私学の生徒の一部のモデルとして、
●●といった困った事例が想定される・・
と問題提起をしたときに。
中高一貫私学のすべての生徒への中傷だ!
と抗議をしたら、
おかしいでしょう。
「一部」の話なのに、「全体」を中傷された
と抗議してるわけですね。【A】
しかし、そういう抗議をするタイプの人は、
否定するときは、逆の論理を使うわけです。
「一部」がそうだからといって、「全部」が
そうだとは言えない。【B】
ほら、抗議と否定では、【A】【B】の論理が逆ですよね。
これが同一人物から、出てきます。
私がご都合主義というのは、そういう理由です。
無常感様
>中高一貫私学の生徒の一部のモデルとして、
>●●といった困った事例が想定される・・
>と問題提起をしたときに。
>中高一貫私学のすべての生徒への中傷だ!
>と抗議をしたら、
>おかしいでしょう。
はい、その通りです。
この問題提起する場合に、「一部のモデル」なのにあたかも全体かのような表現すれば、「中高一貫私学のすべての生徒への中傷だ」という抗議も出てもおかしくありません。
「一部のモデル」なのに、意図的に全体かのような表現する人もいます。
こういう場合は問題提起ではなく、相手が反発するのが目的なのでしょうけど。
問題提起ならば、その問題についての議論するには、できるだけ相手の反発を招かず、自分の真意を理解してもらえるような表現をすべきだと思います。
この種のスレッドは、”社会学的アプローチ”が必要なものだと思います。
社会学の論文は、一種の”思い込み”がないと成立しません。
「こうであるはずだ」と考えたところが発想の起点になり、その発想を裏付けるためのデータなり実例を集めていくのが、社会学的なアプローチです。
もちろん、集めたものが自説を否定するものだった場合には、勇気をもって自説を捨てるのが良心的な研究者です。
しかし、どうしても自説を捨てきれず、都合のいいデータ等だけで、なんとかうまく構築したいという気持ちが出てくるのは、人情です。
そのため、研究者の作った論文でさえ、社会学的なアプローチが胡散臭くなってしまう危険性を含んでいるのです。
このスレッドを全部読んだ訳ではありませんが、極めて胡散臭い話の連続です。
ノーベル賞の授賞者が私立高校出身者に少ない理由と、受験教育の弊害を結びつけるには、多くのデータ検証が必要になると思いますが、一人のノーベル賞受賞者のインタビューや著書の一節だけを書きだして、自説を通そうとするなど、あまりに強引でしょう。
自分の考えに合うものだけを持ってきて主張するのは、掲示板だから仕方ない側面はありますが、それにしては断定が過ぎるところがあります。
もっとも、時代に踊らされている側面はないとは言えません。
ネット時代になって、簡単に(wikipediaなどで)情報が取れるようになったため、検索で見つけた内容を、検証もなしに持ってきてしまうのは、仕方ないことかもしれません。
でも、それらで自説を証明することはまずありません。
結果として、イメージ対イメージのぶつかり合いしかないように見えます。
日本人は、欧米人に比べて論理思考に弱いと言われるのですが、それは欧米では小学校時代に習う「ゆりの花は美しい」と「ゆりの花は白い」との違い(主観と客観の違い)が、日本ではほとんど教えられることがないことが原因ではないかという説があります。
このスレッドを見て、そのことを思い出しました。
主観の対立と、言葉尻を捉えての批判合戦。
それを楽しんでいるような雰囲気も見受けられるので、それはそれでいいのかもしれませんけどね。
ロバチェフスキーさんが、おっしゃることはそのとおりなんですが、
「自然に」ひとり歩き、したわけでは、
なかったですよ。
なにがなんでも、視点さんを悪者にしたい・・
そういうバイアスがかかってました。
だから、当時、私は反論したわけです。




































