在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立高校出身者にノーベル賞受賞者が少ない理由と受験教育の弊害
日本のノーベル賞受賞者の学歴を調べてみると
大学は京都大学東京大学出身の人が多くほぼ全員が国公立大学出身で
高校は公立高校出身の人がほとんどで私立高校出身者は2人だけでした。
その私立高校は灘高校と同志社高校で
野依先生が灘高に通っていた頃はまだ進学校化していなかったそうですし
同志社高校は大学の附属高校で進学校ではない・・・
大学はさておき中高一貫私立出身者にノーベル賞受賞者が少ないのは偶然でしょうか?
自分は中高一貫私立校の受験教育と私立高校中学に入るまでの塾での受験教育に何か問題があると思うんですが皆さんはどう思いますか?
例えば私学や塾の受け身の受験勉強によって
テストの点数や偏差値以外に興味を持たない(学問に対する好奇心がない)人間に育ってしまったり
大学以降の勉強(自分からテーマを見つけて研究するという能動的な学問)ができなくなってしまうというのはよくあることなんでしょうか?
>『〇〇がしたいから〇〇大学〇〇学部を選ぶ』どころか、○○がしたいのなら、
受け身の高校や大学の授業など待たずに、自学自習で最先端の英文の論文を読み込み、
したい○○を自分で始める。
こいつも同様。
大学で基礎を学んでから言う台詞だよ。
意味不明さん
>およそこの世において予備校発表の統計より信頼おける数値はありません。
>かかる明白な数値の前に、個人の体験談など、何百集まろうと、全く無意味です。
>もし、あなたのご子息が灘の学生であり、iPSなどに興味を持つなら、それは真に由々しき事態です。予備校の統計を逸脱する行動には、必ず嘘が混じります。
>あるいは、親の幻想です。
おっしゃる通りなのですが、ドリー世代さんが言われる学校は灘じゃないと思いますよ。
以前 Rikejo(リケジョ)というサイトを紹介されていましたから。
視点様
>>「老婆心」があるのならそれなりの表現すべきだと思います。
>>いかがでしょうか?
>
>だから、具体的な私の文章を、こう直したらって指摘いただけます?
「老婆心」とは、ある種の「思いやり」の発露だと思います。
実生活での発言では、相手に対して攻撃的な場合と「思いやり」のある場合では、おのずと表現方法が変わりますよね。
あなたの以前の書き込みを読むと、あなたのお子さんはもう大学生のはずでしょう。
そういう年齢のあなたなら、「老婆心」からの発言をどのようにするかはお分かりのはずです。
もう一度、私の昨日の書き込みの一部を引用します。
『Aの中にはBというマイナス面がある』という文面を『Aの全てにはBというマイナスがある』ととられかねない表現よりも『Aの中にはBというマイナス面があるのではないでしょうか』という表現の方が、多くの人が受け入れてくれるのではないかと私は思うのです。
なんか日本語の使い方がおかしいのですが、
老婆心は、必要を超えた気遣いをいうのであって、
思いやりとは関係無いですよ。
場合によっては、余計なことだったりもします。
だから、老婆心「ながら 」と書くわけです。
無常感様
>なんか日本語の使い方がおかしいのですが
それはあなたの感性でしょう。
あなたの感性と私の感性が違うだけです。
>老婆心は、必要を超えた気遣いをいうのであって、
>思いやりとは関係無いですよ。
あなたのご意見であって、私の意見は違います。
ネット辞書では、
【老婆心】
年とった女性が、度を越してあれこれと気を遣うこと。転じて、必要以上に世話をやこうとする自分の気持ちを、へりくだっていう語。《大辞泉》
仏語。年とった女性が必要以上に気を遣うことから自分の心遣いを、度を越しているかもしれないが、とへりくだっていう語。老婆心切。《大辞林》
【おもいやり】
他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情。《大辞泉》
その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情。《大辞林》
あなたは老婆心を思いやりとは無関係と見なし、私は老婆心をある種の思いやりと感じるのです。
>場合によっては、余計なことだったりもします。
思いやりも、場合によっては、余計なことだったりもします。
もちろん、【老婆心】=【おもいやり】ではありません。




































