女子美の中高大連携授業
私立高校出身者にノーベル賞受賞者が少ない理由と受験教育の弊害
日本のノーベル賞受賞者の学歴を調べてみると
大学は京都大学東京大学出身の人が多くほぼ全員が国公立大学出身で
高校は公立高校出身の人がほとんどで私立高校出身者は2人だけでした。
その私立高校は灘高校と同志社高校で
野依先生が灘高に通っていた頃はまだ進学校化していなかったそうですし
同志社高校は大学の附属高校で進学校ではない・・・
大学はさておき中高一貫私立出身者にノーベル賞受賞者が少ないのは偶然でしょうか?
自分は中高一貫私立校の受験教育と私立高校中学に入るまでの塾での受験教育に何か問題があると思うんですが皆さんはどう思いますか?
例えば私学や塾の受け身の受験勉強によって
テストの点数や偏差値以外に興味を持たない(学問に対する好奇心がない)人間に育ってしまったり
大学以降の勉強(自分からテーマを見つけて研究するという能動的な学問)ができなくなってしまうというのはよくあることなんでしょうか?
[第6回] なぜ東大からノーベル賞が出にくいか
「四行教授」のぬるま湯の罪
純粋培養のひ弱さ
東大では、この時代になってもいわゆる「四行教授」のステータスが高いという信じがたい現状がある。四行教授とは、履歴書に「東京大学卒、東大助手、東大助教授、東大教授」(これからは准教授などが入って5、6行になる人も多いだろうが基本的には変わらない)の4行しかないという、純粋培養の道を歩んだ人のことだ。これが最も由緒正しく、付け加えるとしても2、3年の海外留学で箔(はく)をつける程度。東大に限らず、役所、企業にもある硬直化した日本の組織の特徴をよくあらわしている。
ちなみに日本で教育を受けた自然科学系のノーベル賞受賞者には、「四行教授」は1人もいない。
実は、こうした構造の根は深い。
日本では、勉強のできる子供が中学生ぐらいで自我に目覚める頃から、親や親類、学校や地域など周囲の期待を感じるようになる。
入試偏差値最難関とされる東大理科3類の場合、定員は100人足らずで、灘、開成などの全国的超有名進学校の出身者がほぼ半分を占める。残りは約40人~50人で、年によっては合格者の出ない県もあり、郷土の期待を一身に背負う。「春の選抜高校野球大会の代表校」の様相だ。
いったん東大に入れば優越意識に駆られる。なぜわざわざ外に行くのか、とリスクをとろうとしない精神構造になりがちだ。しかし、チャレンジを避けるのは、世界のトップになれる可能性をつんでいることに等しい。ぬくぬくとした羊水にくるまれた、ひ弱な秀才で終わってしまう。残念なことだ。
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黒川清氏はこう書いている。
桜蔭トップで理3に入った人が理3入学後~研修医までの生活をつづった本をだしているが・・・・・・・・学問に対する憧れや興味のようなものは丸でない。この人は別の週刊誌に「自分で選んだ本」を読んだことがないと書いていた。
このスレの初めの方に書いたのだが・・・・・あまり反響がないことにびっくりした。自分で選んだ本がないということは問題意識や興味に応じた読書や自分でさらに深く探求しようとして一般書を読んだことがないということだ。
普通は文庫なり新書でも高校生なら読むだろう。この子は教科書、参考書?など以外に「自ら求める読書」をしたことがないと語っている。
どんな女医になるのか知らないが・・・・これでは人間としてのは幅が広がらないのではないか? 親に大事にされマザコンで育って受験勉強ばかりやっている人間が理3に入るとしたらノーベル賞なんぞはもちろん患者さんの気持ちがわかる医者にもなれないだろう。
部活や音楽活動はおろか、本すら読まない。
興味のあることは偏差値と試験の点数という受験マシーン。
それが実態なんですね。
部活が盛んだなんて書いてても、実態は生徒の大半が塾通い。
(きっと、理Ⅲや京医志望はほぼ全員塾通いでしょう)
そんなのは学問ですばらしい結果をだせるはずもなければ、まともな医者になれるはずもない。
中高一貫私立→鉄緑→理Ⅲ卒が研究でも臨床でも結果を出せないのも必然かと。
お受験私学もそうですが、東大医学部も、同じ経歴の金太郎飴みたいなのを集めても、イノベーションなんかおこせるはずないですね。
山中先生のチームもいろんな経歴の人の集まっているのでしょう。
学問的な能力は必要ですけど、いろいろな経歴のを集め多様性を確保しようとする米国の大学に勝てないのも必然ですね。
黒川 清先生は以前から”他流試合”をアピールしています。UCLAの内科のprofessorをしていたが、当時第4内科の教授をされていた尾形悦郎先生が渡米し、頭を下げて、それに応じてUCLAの教授postを捨てて、東大の第4内科の助教授(!)として赴任したという、あり得ない人事がなされました。
そして第1内科の教授に選ばれました。
また、世界腎臓病会議を会頭として開催するにあたり、オファーがあったことと合わせて、東大の教授の任期を半年残してあっさりと辞めて、東海大学の教授に異動しています。
現在、国際学術会議その他で70歳を過ぎてまだactiveに活躍されています。
外の世界を知る、他流試合をするということは、どの分野においても重要なことと思います。




































