女子美の中高大連携授業
私立高校出身者にノーベル賞受賞者が少ない理由と受験教育の弊害
日本のノーベル賞受賞者の学歴を調べてみると
大学は京都大学東京大学出身の人が多くほぼ全員が国公立大学出身で
高校は公立高校出身の人がほとんどで私立高校出身者は2人だけでした。
その私立高校は灘高校と同志社高校で
野依先生が灘高に通っていた頃はまだ進学校化していなかったそうですし
同志社高校は大学の附属高校で進学校ではない・・・
大学はさておき中高一貫私立出身者にノーベル賞受賞者が少ないのは偶然でしょうか?
自分は中高一貫私立校の受験教育と私立高校中学に入るまでの塾での受験教育に何か問題があると思うんですが皆さんはどう思いますか?
例えば私学や塾の受け身の受験勉強によって
テストの点数や偏差値以外に興味を持たない(学問に対する好奇心がない)人間に育ってしまったり
大学以降の勉強(自分からテーマを見つけて研究するという能動的な学問)ができなくなってしまうというのはよくあることなんでしょうか?
◎大手の講師はかって大手1番の謎
四谷大塚・日能研・サピックス・早稲アカと大手で1番2番だった人というのが, 同じ大手で講師になる人が多いのはなぜなのでしょうか。素朴な疑問ですね。
大手で偏差値が1番と2番とかで, 開成や灘に合格し, 東大へと進んで, 行きついた先がなぜ塾の講師なのか。なかには大学院まで進んでいる人も多い。なのになぜ塾講師が終点なのか。彼らがこぞって「教えるのが好き」だったからなのか。
大手の塾はそういう人が講師をやっているから単純にすごいと思って感心して終わるのが世の人々なのかもしれない。前記の素朴な疑問は疑問にもならないのか。
そういえば東大医学部いや全国の医学部から, なぜノーベル賞が出ないのか。彼らは進学塾で日能研1番とかサピックス1番とかとにかくトップテンにいた天才少年たちであったはずではないのか。そういう天才少年たちが行きつくところが, 古巣の大手進学塾の講師職なのか。
そういう疑問を呈している人がいました。
進学塾のトップテンにいた天才少年たちは, とにかく試験が得意です。だから東大医学部に合格し, あるいは司法試験に合格し, 医者や弁護士に, あるいは官僚にあるいは大手企業の社員にとなっていったのです。
しかし, そういう彼らは未知の研究ということがまるでできないらしいのです。すでに答えのわかっていることならどんなに難解でも解いてしまう彼らには絶対にできないのが, 新たにものを創造したり, 未知の分野を開拓したりすることらしいのです。
大学の研究職というのはそういう仕事をするところです。だからたくさんの創造的論文を書かなければならない。ところが彼らにはまともな論文が書けないというのです。ほとんど論文を書けないままに, 最後に見つけた天職が大手塾の講師だったといういうのです。
日能研で1番だった医者といのは, どうなのか。世の名医というのは, 決して名のある医学部を出ていないことは周知のことではないか。医学部はどこも偏差値70以上ですが。そういえば, 灘高から東大医学部へ現役で合格し現在精神科医の和田秀樹氏が, 受験研究家なる肩書で受験のハウツーものを書きまくっているのも決して不思議ではない気がする。
サッピクスで1番, 東大法学部, 司法試験現役合格という人もいる。そういう人が司法試験予備校の講師になるというのもある。研究職には残れないのか。一流の法律家にはなれないのか。 彼ら結局日能研1番, サッピクス1番でその分野で1番を極めたときに ピークを終えたということなのか。かれらに唯一できたのは, 天才時代に自分がやったことを今度は教えることだったのか。偏差値1番のときに習い覚えたことのみが人生でいちばん大きなものになっていたということなのか。
それはそれとして, こうした大手の天才たちが, 官僚になったらどうなるのであろうか。与えられたことだけを卒なくこなす有能な役人になるのであろうか。
実は日能研1番などの学問1番が, 社会で投影された姿が現代の役人・医者・弁護士・政治家なのではないのか。吉田松陰は天才であった。彼の私塾松下村塾から傑出した人たちが出たのはなぜなのであろうか。日本の将来を論じることのなくなった偏差値一辺倒の大手塾の中からは学問の天才は生まれても, 未知を開拓する憂いの士は生まれない。
事なかれ主義の小心な役人いや大学教授(論文を何年も書いていない教授がたくさんいる)がここまで蔓延するようになったのはどうしてなのか。
国家百年の計を見越した政治家が出てこないのはどうしてなのか。無用なダムや道路をつくることに何の疑問も差し挟まず, 税金を湯水のように使う官僚役人というのものが再生産される構造というものは, あまりにも組織化されて制度化された社会のもたらした弊なのか。
教育とは, 世を憂い身を挺して私心なく日本の将来を考える人をこそつくらなければならないのではなかったのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある塾を経営している人のブログです。同じようなことを考える人は医学界だけではなく教育界のなかにもいるようだ。自分で教えているだけに思い当るところがあるのかもしれない。
本当に日本の将来を考えるなら・・・・小さくまとまる受験秀才を輩出する・・・・・・・今の中学受験は改めなければならないだろう。
少し前に引用した理三生?・・・の独白の続きもコピーしておきます。
これ読んで東大医学部からノーベル賞がでそうだなんて・・・・・・思いますか?
(出身校や本当に理三かすべて不明です。なりすましかもしれませんが・・・・・。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
理三生として過ごした1年
なんか読者の中には僕がいつまでも受験にすがっている残念な人みたいに思っている方がいらっしゃるようですが、僕は別に全く現状には満足しておらず、むしろ日々将来に焦っているくらいですよ。
でも、本当に合格出来て嬉しかったなー。特に数学で最後の最後に成果を出せたのは本当に嬉しかったな。東大の数学はめちゃくちゃ難しいかもしれませんが、
解けるようになったら本当に嬉しいですし、この経験が僕にとって何にも変えがたいものになったことは言うまでもありません。
まさに、『いかにして問題をとくか』っていうのを身を持って経験出来ましたね(笑)。
(注)『いかにして問題をとくか』という本は結構面白い本ですよ。
それから、多くの理三生に実際に会えて、世の中で天才天才を崇められている人間がどんなものなのかっていうのも実感しました。
やっぱり仲のいい友人と一緒にテスト勉強とかしていると、
頭の回転の速さや覚えるスピードには驚きます。超天才とも思いませんが、やっぱり高校の友人とかと比べると全然違うなって思いますね。
かといって、彼ら彼女らもごく普通の生活を送っています。
部活やサークル、麻雀やゲーム、バイト、勉強など、それぞれ好きなことをして普通の生活をしています。先輩を見ていてもそれは一緒です。
何か凄いことをやっているような人なんか居ません。みんな普通の生活をしているのです。 そしてごくごく普通に大学を卒業し、医師となり、そこそこ裕福な生活をして、普通に幸せな人生を歩み、老いて死んでいくのでしょう。
こういう現状を見ていると、理三が入試の難易度がふざけてるほど難しいわりに、東大医学部のライフサイエンスの研究がそこまで成果を出していないこととか
臨床の世界でめっちゃ活躍しているってわけでもないこととか、何だか妙に納得しちゃうんですよね。
僕も例外じゃないんだろうなぁ…。何か凄いことをやりたいとは思いつつも、勉強すればするほど守りの人生しか見えてこない…笑。
はっきり言って人生はそんなに甘いもんじゃなかったです。
ちょっと勉強の才能があったり頭が良いくらいじゃ、莫大な金を稼ぐことも無理だし、世界を変えるみたいな大それたこと出来ないですよ。
まあ、ちょびちょびとお金を稼いで、好きな女性と幸せな生活を送るというのも、全然良い人生なんですけどね。
何だか高校生の時に思い描いてた夢と比べると、
随分ちっぽけになってしまったものだ。今は少しでも人生を豊かにするために、お金に関する勉強をちょこちょこしています。




































