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子育て、受験、大学、教育その他の井戸端会議

【2857653】
スレッド作成者: 動機が大事だよね (ID:LkM/3kPO.g2)
2013年 02月 11日 18:01

私学の価値の両スレッドが機能不全に陥っていますので・・・・・のんびり何かを語る井戸端会議の場所を作りました。


体罰問題は「私学の価値ゼロ」で煮詰まったやり取りをしていますのでそちらでお願いします。


たらようさん、公立一貫さんに・・・・最近の鴨たちの様子について


冬鳥は全部そろいました。強風でさざ波が立つ中で元気に追いかけっこしています。川沿いにシラサギとアオサギの来る場所があるのですが・・・・・・周りに鴨も沢山来ますので餌の多い場所なんでしょう。


先日シラサギが小魚を捕まえる瞬間を見ました。早業で剣豪の一閃と言う感じです。
水面すれすれにシラサギのつがい?が飛んでいくのは実に優雅で見とれてしまいます。


そうそう、話題の映画「レ・ミゼラブル」見ました。外国文学は縁遠いので概略しか知りませんでしたが・・・・・泣かせる場面、感動の場面が沢山ありました。


娘(実は預かった子)の恋人が革命戦争の決戦前夜に・・・・・眠っている姿を見ながらジャン・バルジャンが歌うところなど娘を持つ父親ならぐっとくるところです。


そうか?・・・・・公立一貫さん同志社で合唱やってましたよね。釈迦に説法でした。歌も素晴らしいです。もっとも音楽万年2~3の私の耳ですが。ラッセル・クロウがあれだけ歌えるとは知りませんでした。


もしご覧になっていたら感想などお聞かせ下さい。

【3014626】 投稿者: 離陸   (ID:JwHhTXxOVUw)
投稿日時:2013年 06月 23日 22:02

大きな訂正箇所(定義づけの誤り)がありました。
読み直しせずに投稿してしまい、どうも失礼しました。

θについては、イワンのばかさんの指摘にありましたとおり、以下のように再定義しました。


(訂正)
************


この「考え方」というものを、少し定量的に考えてみました。
「考え方」を、個人の想いのベクトルの実社会の要請のベクトルに相対する指標として考えてみます。



個人の考え方= ベクトルP = |a| x ベクトルp ・・・(1)
  
  |a|はスカラーで、個人の想いのスケール
   ベクトルpは、単位ベクトルで、個人の想いの方向性、を意味する


実社会における上記の個人の考え方に対応する領域での要請(需要)=ベクトルS = |b| x ベクトルs ・・・(2)

   |b|はスカラーで、実社会において上記の個人の想いに対応する領域での需要のスケール
    ベクトルsは、単位ベクトルで、実社会において上記の個人の想いに対応する領域の方向、を意味する


「考え方」というのは、上記(1),(2)両者のベクトルの一致度とそれぞれのスケールの積で表される、
つまり、個人の考え方=ベクトルPと、実社会における上記の個人の考え方に対応する領域での要請(需要)=ベクトルSとの内積とする。


 「考え方」=|a|・|b|・cosθ 


θは、個人の想いと実社会における要請とのベクトルp,s間の一致度を示す角度で、0°≦θ≦360° とする。

① 個人の想いの対象が実社会に確固として存在している中で、両者が完全に一致し、実社会での実現が100%可能な場合θ=0、cosθ=1で、「考え方」=|a|・|b|となる。、

② 個人の想いの対象が実社会に確固として存在している中で、実社会において想いの実現のために競合先や障壁があるため、実現が限定的となる場合は、0<θ<90°、0<cosθ<1で、0<「考え方」<|a|・|b|となり、(つまりcosθは個人の想いが実社会で実現する効率を意味する)大抵がこの領域に入る。

③ 両者がかみ合わず全く的外れ、あるいは競合先や障壁に全く打ち勝つことが出来ない場合は、θ=90°でConθ=0、考え方=0となり、成果=0(成果なし)

④ 個人の考えが反社会的で表社会で害となる場合は、90°<θ<180°、-1<Conθ<-0 となり、考え方はマイナス、成果もマイナス(反社会的活動)となる。(例:ハッカー活動、詐欺、振込詐欺活動等、反社会的行為)

⑤ 個人の想いの対象の需要が実社会には存在せず(潜在的ニーズ|b|はある)、実社会において想いの実現のために障壁があるため実現が限定的となる場合は、270°≦<θ≦360°、0<cosθ<1で、0 <「考え方」< |a|・|b|となる。(例:新分野創出やベンチャー、iPhone, iPS, 等)

⑥ 上記⑤が反社会的なら、180°<θ<270°、-1<cosθ<-0、-|a|・|b|<「考え方」< -0となる。


通常、-90°(270°)≦θ≦90°で、+/-は対象が実社会に存在しているか、(+)あるいは新しいイノベーションであるか(-)の違いを意味し、実社会での実現の可能性は難度に応じて 0≦cos≦1 となる。




 

【3014728】 投稿者: 離陸   (ID:JwHhTXxOVUw)
投稿日時:2013年 06月 23日 23:14

高校生親さん


早速のご意見、ありがとうございます。


ご指摘のとおり、個人の想いが社会の要請から独立して存在しうるのかといえば、そのようなケースは少なく、その人なりに社会の要請を意識して考えていると思います。但し、新卒大学生が大学で身につけた能力を社会において即戦力として初めから成果を出すケースは少なく、大学で身につけた能力と社会で通用する能力や成果物にはかなりギャップが存在し、個人と社旗要請の一致度の幅は広いはず、という点を拠りどころにしています。私がイメージしたのは、個人の想いが独りよがりにならず、社会の要請によく合致することを理想とすることです。それ故、2つのベクトルには方向にずれがあり、成果として表れるのは、個人の想いの内、社会の要請に投影される成分(cosθ)であると仮定して、ベクトルの内積を当てはめて考えてみた次第です。



>(引用)少なくとも中高生段階では、社会の要請と自分の能力・思いの方向性との関係(離陸さんの言われるθ)を積極的に考えて行って貰いたい、それに基づいて大学では自己の社存在意義に対する思索が深めてもらいたいと思っています。現実としては、日本の中高生はそういった精神活動から切り離されているように感じており、それが現在の教育のあり方の最大の問題点の一つと考えています。【高校生親さんWrote】


私もそう思います。授業の中で徐々に実社会のしくみや課題に関連付けて、生徒が実社会を理解するようにし、大学生は社会との接続を意識して、夫々の学部や学科で実社会の現状と将来の展望に接する機会を増やすように工夫することを期待します。学生から社会への接続での効率の悪さは望ましくありませんので。

【3014814】 投稿者: 離陸   (ID:JwHhTXxOVUw)
投稿日時:2013年 06月 24日 00:03

イワンのばかさん


>(引用)わたしは離陸さんや高校生親さんとは考え方が反対で、中高生のあいだには社会の要請とは無関係に自由な発想ができる環境をあたえることがたいせつだと思います。そしてひきつづき大学では、-180°<θ<=180° の多様な学生が育つことがのぞましいと考えます。

でなければ、社会の要請そのものが間違っているばあいに(これはしばしばおこります)、社会を変革していく力が不足します。まさにこれは現在の日本の問題ではないでしょうか? 【イワンのばかさんWrote】



まず、イワンのばかさんのコメントを読みまして、 θの考え方を上の【3014626】で修正しました。
私自身、最初の投稿の際、θが0°≦θ≦180°よりむしろ360°迄の範囲が自然だと感じていましたし、ご指摘のイノベーション的な発想が区別されていない点はどうかとも感じていたので、ご指摘により整理してみました。
0°≦θ≦90°:   実社会に存在している領域で社会貢献的
90°≦θ≦180°:  実社会に存在している領域で反社会的
180°≦θ≦270°: 実社会に存在しない新領域で反社会的
270°≦θ≦360°: 実社会に存在しない新領域で社会貢献的


従来の枠に嵌め込まない自由な発想や新領域創出は大切ですし、大学の研究での一つの方向を担っていると考えます。

【3016025】 投稿者: 離陸   (ID:JwHhTXxOVUw)
投稿日時:2013年 06月 24日 22:44

あと少し連投しますので、興味のない方はスルー下さい。


o 誕生時:  遺伝 (インプット前のフォーマットとして)
|
o 幼児期:  才能 = 遺伝 x 環境(親子のコミュニケーション、家庭環境からのインプット)
|
o 小学生期: 才能 = 遺伝 x 環境(学校での学びやコミュニティ社会からのインプット)
|
o 中高学生期:能力 = 才能 x やる気(学びに対する)
|
o 大学生期: 能力 = 才能 x やる気 (学び&アウトプットに対する)
|
o 社会人:  成果= 能力 x 考え方 (自分の社会で望む方向と社会の要請の一致度)


幼児期は、親からの愛情を感じながら安心して多くの情報を吸収して学びを初める。良好な親子関係と環境は、子供の興味、好奇心を育み、自分で貪欲に吸収するようになる。幼児期の能力の立ち上がりの高さと学美に対する良き習慣は、その後の指数関数的な能力の伸びに徹底的な影響する。


大学生、そして社会人ともなると、今まで培ってきた能力を伸ばすために「やる気」、そして成果を生むためには「考え方」が大切となる。


さて、ここは中学受験スレですので、小学高学年の時期の中受のプラスの意義について考えてみました。
短期間で集中的に、小学生レベルの知識を拡げ、それらを組み合わせて考える学びの螺旋的訓練は、
下記の(Yn)のn乗において、学習知識のチャンクYnと学習の回数nを大きくする機会を与え、
指数関数的に増える小中学生時期の能力向上の傾きをグッと上向きにする効果がある。
この時期に身につけた学習習慣は、中学生からの学びにはずみをつける。
中受では、子供を追いつめるような無理強いは禁物だと思う。子供が伸びる機会として良い影響を与える場として生かしたい。


能力=Ao x ∑{ C1x(C2/C1)x(C3/C2)x....xCn/C(n-1)}
   ≒ Ao x (Yn)のn乗

   Ao : 遺伝(初期値として)
   Cn:インプットして身につける情報のチャンク(Cn >C(n-1))
   Yn:Cn /C(n-1)の相乗平均のイメージ、チャンクが大きくなることを表す. Yn>1
   n : チャンクを大きくする学習機会の回数、

【3016731】 投稿者: 高校生親   (ID:8kDhMttkmUQ)
投稿日時:2013年 06月 25日 14:48

離陸さん

改訂版を拝見し、イワンのばかさん、何故か・・・さんのコメントも読ませていただき、私自身のレスも読み直して、どうにも違和感が残っており、それがどこから来るのか考えていました。一部私自身のレスを修正する部分もありますが、以下私見です。

特にイワンのばかさんのコメントと私の答えに自らギャップを感じてしまったのですが(つまりイワンのばかさんには納得いただきましたが、実は私の答えは答えになっていない)、それは、社会と自己の関係を同じ平面上でズレをなすように規定するところに起因するように思います。むしろ社会と個人は立体的にネジレている。つまり同一平面上にあるとは限らず、個人は社会の方向、要請を自己の平面に投射して切り取り、自己の想い、考えを社会の平面に投射して投げ返す。社会は投げ返されたものを社会の平面で評価する、そういうことになっているのではないかと考えた方がしっくりするように思います。

そして、個人の平面と社会の平面の角度が大きいことは反社会的、非社会的等の価値的規範には直結せず、ただ、角度が大きければ、個人の想い、考えが社会への平面に投影面積が小さい、つまり、社会的な有意性を持ちにくいということを意味するだけのように思います。

しかしながら、特に社会の変革、社会内におけるイノベーションにおいて本質的に意味を持つのは、いかなる平面上にあろうが、スカラー、つまりこの場合、個人の想い、考えの重さ、能力の量ではないか。個人と社会の平面のネジレが大きい場合、社会の平面に投影した面積=スカラーは小さくなるが、そのネジレを克服して大きなスカラーが社会に投げられた時にこそ、社会の変革、イノベーションというものが起こるのではないか、そういう風に感じます。逆に、個人と社会のネジレが小さい場合、個人のスカラーの社会への投影面積は大きくなるものの、実は見掛け倒しで、社会変革能力には乏しいということになるのではないか。これがイワンのばかさんが提起された問題に対する答えであるべきだったように思います。

数学は全くダメなのので、離陸さんのご説明を的確には捉えていないかもしれませんが、クリステンセンの破壊的イノベーションがどこから生まれるのかという日頃の実践的問題意識と重ねて拙く考えて見ました。

【3017444】 投稿者: 離陸   (ID:JwHhTXxOVUw)
投稿日時:2013年 06月 26日 00:13

高校生親さん、


私の独りよがりな考えには不整合な部分もあると思うのですが、お付き合いいただきありがとうございます。
恐縮ながら、あと一度だけ私のイメージを説明させて頂きます。、


個人の想い: 例えば、私は〇〇になって、△△したい。
      〇〇がPOP音楽を歌い、△△が歌を聴いてもらい安らいでもらいたい、ような場合、
      ① 軽い気持ちで、友人とのカラオケの場ならスカラーは小さく、
      ② 本気で有名になり東京ドーム満員の場で歌う道を目指すならならスカラーは大きい      

実社会における上記の個人の考え方に対応する領域での要請(需要): POP音楽の好きな若者が対象となるが、
      ① 友人とのカラオケの場なら、要請はとても小さなもので、
      ② 有名になり東京ドーム満員の場で訊いてもらいたいなら、要請はかなり大きい


①の場合で、素人離れした上手さで友人も上手い歌を聞くのが好きで満足すればθ=0, 考え方は満点で達成できたが(cosθ=1)、個人側と要請側のスカラーの積は小さく、考え方の実現の大きさ(内積)は小さい。また、歌のノリは悪く、友達の興味は別のジャンルで、友達が全然つまらないと感じたら 、θ=90°、思いは伝わらず、考え(内積)はスカラーにかかわらず未達成(cosθ=0)


個人の想いや夢は、例えば上記の例のような一つだけということはなく、仕事での夢や目標、家庭の築き方、近隣社会との関わり、友人関係、等々、想いくつも持っているのが普通です。ひとつの代表的な思いを切り取れば上記の例のようになりますが、個人でいくつもの想いがある場合は、それぞれの想いの総和: Σ 内積 で表してもよいでしょう。


次の例ですが、高校生が、将来は一流の研究をして一流大学の教授になりたいとの想いを強く持ちその道を目指すなら、社会に要請はあるものの、両者のずれのθ=0とするのは至難でしょうし、満足出来ないがどこかの大学で教授になれれば、θ=20°と思うかもしれません。また、高校生が、将来は医者になりたいというのは、医学部に入れば医者になる可能性が高い(θ=0°)ですがが、それこそ金儲けのやぶ医者と、社会に難病に苦しむ人がたくさんいて、治療で広く貢献することを目標として困難な道を達成する医者とでは、スカラーには相当の開きがあります。


あくまでも、考え方というのは、個人によって異なり、個人がいくつも持ち得ることも可能で、考え方というのは、それぞれの個人の想いが社会でどの程度のスケールで実現するのかという指標といえます。それを個人と社会の別個のベクトルの内積で表現してみました。こんな感じが、私のイメージです。


私がこのように教育を時間軸、能力や成果と関連づけパターン化しているのは、単に自分なりに整理した場で、どういう行程を歩みどういう位置にいるかを大局的に把握し、そのうえで具体的な行動や計画を系統だてて考えるためです。そういう意味で、高校生親さんやイワンのばかさんは、各々の解釈で自分にとって整理して解釈出来る場を想定して考えてみることで、よろしいのかと思います。


【3017632】 投稿者: 動機が大事だよね   (ID:Y7E08cEnQxI)
投稿日時:2013年 06月 26日 08:05

>ういう行程を歩みどういう位置にいるかを大局的に把握し、そのうえで具体的な行動や計画を系統だてて考えるためです。



これができるのは相当に能力の高い人か自分を客観視できる人でしょうね。



目標を達成すること自体が凡人には至難の業ですし・・・・・・大方は思い通りにならなくて妥協したり諦めたり・・・・あるいは偶然のもたらす僥倖やらなりゆきなりに左右されたりします。



「〇〇大学の教授になる」と志を立てて本当に順調にそこまで行ける人は本当に一握りでしょう。私大の教授になれただけでもましで博士課程を終えた後ポスドクで渡り歩いて・・・・・・・・予備校講師や専業家庭教師になった人もいます。



あるいは東大トップで出て助手に採用されたが・・・・・結核になり辞めざるを得なくなったりなどと・・・・・人生は不確定要素に満ちています。


自分が世間に正当に評価されていないという事で腐ったり、常に不機嫌になったり、苦しさを酒やギャンブルでまぎらわせたりしないようになるには・・・・あまりかっきりとコースを決めておかないほうがいいような気もします。


まあ・・・・この辺になると正に本人の性格というか若いころまでに気づいた自分自身との対話になるんでしょうが・・・・・・地位の着けるか組織で出世するか思い通りいくか?は多分に運やらその人の持っているもの(性格、資質、柔軟性、)によるでしょう。



能力ある人が十全にそれを発揮するのは日本では意外に難しいかもしれません。

【3017712】 投稿者: プー   (ID:w26/LfuiM2w)
投稿日時:2013年 06月 26日 08:53

社会は、方向性はともかくとして、1つのものが延々と変化しつづけている。
個人は、生まれては消え生まれては消え、するもの。
脈々と変化をし続けている社会を相手に、たかが生後数年の間に順応してしまうんだから、個人(人)って凄いもんだ。


社会(の到達度)と個人(が思い描く社会の姿)のあいだには時間差ってないんだろうか。
自分たちは数年の間に順応し、その後20年もしないうちに、自らが所属する社会の数十年先の姿をなにげに思い浮かべて、そのギャップを夢と感じたり、片やそのギャップに不満を感じたりするのではないだろうか。
夢とするか不満とするかは、生直後から社会に出るまでの期間の「構築」度合いに拠るんですかね。


ところで、乳児期こそ「やる気」だと思いますが。
どのガンキンちょもやる気満々ですよ。

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