在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
子育て、受験、大学、教育その他の井戸端会議
私学の価値の両スレッドが機能不全に陥っていますので・・・・・のんびり何かを語る井戸端会議の場所を作りました。
体罰問題は「私学の価値ゼロ」で煮詰まったやり取りをしていますのでそちらでお願いします。
たらようさん、公立一貫さんに・・・・最近の鴨たちの様子について
冬鳥は全部そろいました。強風でさざ波が立つ中で元気に追いかけっこしています。川沿いにシラサギとアオサギの来る場所があるのですが・・・・・・周りに鴨も沢山来ますので餌の多い場所なんでしょう。
先日シラサギが小魚を捕まえる瞬間を見ました。早業で剣豪の一閃と言う感じです。
水面すれすれにシラサギのつがい?が飛んでいくのは実に優雅で見とれてしまいます。
そうそう、話題の映画「レ・ミゼラブル」見ました。外国文学は縁遠いので概略しか知りませんでしたが・・・・・泣かせる場面、感動の場面が沢山ありました。
娘(実は預かった子)の恋人が革命戦争の決戦前夜に・・・・・眠っている姿を見ながらジャン・バルジャンが歌うところなど娘を持つ父親ならぐっとくるところです。
そうか?・・・・・公立一貫さん同志社で合唱やってましたよね。釈迦に説法でした。歌も素晴らしいです。もっとも音楽万年2~3の私の耳ですが。ラッセル・クロウがあれだけ歌えるとは知りませんでした。
もしご覧になっていたら感想などお聞かせ下さい。
日本と韓国の公立小中学校で英会話の授業を教えていた外国人講師が書いていたことです。
日本では、外国人講師は日本人教師のアシスタントの立場。
生徒と直接話すことは少なく、生徒は日本人教師が英語を日本語に訳してくれるのを待っている。
英語を日本語で教えている。
韓国では外国人講師に授業が任され、英語で授業。生徒との会話の9割以上が英語。
文法などは韓国人教師が別な時間に教える。
一クラス10人~15人の少人数制でひとりひとりにきめ細かく対応できる。
上記の日本式は公立中学の典型的な授業の例。
韓国式は日本の私立でも取り入れている学校が多いと思います。
英会話の授業時間はそう多くはありませんが、これだけの違いでも、
英語を使う感覚や自信に差が出てくるのでは、と思います。
中受Q&A板に実践的な英語教育をしている私立が幾つか上がっていた。国公立の大学入試でTOEFLが必要になると、今後このような私立は増えると思う。
公立中高の英語教育が今のままでよいはずはない。
経済的に余裕のない家庭の子どもが、国公立大学に進学しづらくならないよう、公立中高の英語教育が変わるべきだ。
TOEIC700程度しかとれない英語科教員は、900程度取れるように頑張ってもらう。それができない人は、小学校(低学年)に配置転換するか、幼児教育の方に転職してもらう。
中高のネイティブ教員を増やし、リスニング、スピーキング主体の英語教育を行う。
受験英語に特化した塾には気の毒だが、これはしかたがない。
私は小学生からの英語教育には全く反対ではありませんし、英語を修得することでグローバル人材に育つ素地ができるという考え方はわかる気がしますが、「大学入試にTOEFL」というのは、どうも日本人の悪いくせというか、「欧米礼讃」的思考に陥ってしまっているようで、なんとなく違和感を覚えます。
英語修得がグローバル人材の十分条件かと言えばそんなことはないでしょうし、逆にグローバル人材にとって英語が必要条件かと言えば、それも必ずしも言えないことだと思います。
(そもそも「グローバル人材」って何?という話もあるでしょうが)
そして、日本人がこういうことを考えると、結局、「平等」「公平」という話が出て来て横並びの中途半端な教育になって、思わしい結果が得られないってことになってしまうのではないかと思えて仕方がありません。
それに、大学入試にTOEFLとなれば、小中高および塾・予備校では、受験対策ならぬ「TOEFL対策」の勉強がなされるようになるだけで、本当にそもそもの理念にそった教育がなされるのか?ということも懐疑的です。
とはいえ、日本にとってグローバル人材を育てることは、これから日本が国際競争の中で生き残っていく上では必要なことではあるのでしょうから、ここは少し長い目で見て、例えば、日本版の"公立"インターナショナルスクールをつくるというのはどうでしょうか?
英語ができる人材を育てるというより、国際人を育てる、世界で通用する思考の出来る人間を育てるという主旨で。
つまり、例えば(思いつきですが)、授業はもちろん全て英語(外国語)、教師も外国人もしくは外国での仕事や生活経験が長い日本人、教材はアメリカを含めた外国のもの、小中高一貫教育、、、などなど日本の公立学校とは全く異なる教育環境を提供するという発想です。
だけど、日本の公立学校です 笑
だから、日本人の子に英語で日本の歴史や文化を教えるというのもありかもしれません。
それから、英語教育についても色々な考え方の親がいるのでしょうから、全ての子供に同質の英語教育を施すとなるとそれこそ無駄が生じてしまうと思うのです。
ですから、「うちの子は英語脳に育てたい」「グローバル人材にしたい」「欧米人とわたりあって日本を変える人材になってほしい」などという英語教育に対して前向きな考えをもつ親が公立インターに子供を通わせることができるような制度をつくればよいのではないでしょうか?
選抜方式や学区割りはどうするとかどれだけの学校数が必要かとか教師はどうするとか、、、色々な課題や高い壁はありましょうが、「平等」「公平」という名のもとで無駄な英語教育を施すよりも、選択と集中をして少数精鋭主義に徹する方が、よほど「歩留まり」が良く、よりよい成果が得られると思うのですが、いかがでしょう?
そんな工業製品みたいな考えでは子供が可哀そうという考えもあろうかと思いますが、将来何の実も結ばないお仕着せの英語教育を押し付けられるよりは子供にとっても良いことかもしれません。
少々乱暴で荒唐無稽な案かもしれませんが、これからの日本にとって必要なものは何か?現状を打破するには?という観点からすれば、旧態依然の考え方では何も変えられないだろうと思っております。
要するに、中途半端はやめて、やるなら批判を怖れずに徹底的にやってほしいということです。
沖縄(うるま市)にはそれに近いインターがあるようですが、公立と呼べるものではないようです。
高校生親さま
暴言を承知で申し上げると、何のためにつくられたかよくわからない個人情報保護法に、日本企業が引っ張られ過ぎているの感じはします。私の友人の会社でも、一時、情報漏洩さえ防げば企業の収益などどうでもよい、という考え方としか思えない役員がCIOに就任し、PC持ち出し一切禁止、資料持ち出し一切禁止、それで営業活動などできなくてもよい、となり、収益をおおいに落としました。
別の知人の会社は、ソフトウエア開発を在宅で実施するために、社長直轄のプロジェクトチームをつくり、2年かけて検討したそうです。それでも、当初は、過剰なルールだったようですが、まともなところにだんだん落ち着いてきたようです。
しかし、在宅勤務や裁量労働は、ソフトウエア開発のような部隊にはかなり入ってきました。システムもそれなりに進歩しており、シンクライアント端末が一般的になっています。さすがに自宅の個人PCで仕事をやるのを許す勇気はありませんが、端末は配布し、どこでも仕事ができる体制にはなっています。
アメリカでは、個人の裁量に任せ、しかし、情報漏洩を起こしたら解雇の上巨額の損害賠償、日本では、最悪の場合解雇もあるかも知れないが悪意が無い場合は賠償までは請求しないかわりにガチガチにルールで縛る、という感じはありますね。
受験英語が不得手でトラウマになっている自称国際人(笑)がトーフルとか言い出すんだよなあ。大笑
昔の秀才はみぃんな受験英語で苦労してその上で英語で話せるよう苦労したから「国際人」たり得たんだよ。
要するにトーフルとか英会話教育とかの発想は劣等生の俺たちの方がしゃべることくらいなら秀才よりできるんだ!的発想なんだよな。
途中で投稿しちまったから再掲。すまんね。
受験英語が不得手でトラウマになっている自称国際人(笑)がトーフルとか言い出すんだよなあ。大笑
昔の秀才はみぃんな受験英語で苦労してその上で英語で話せるよう苦労したから「国際人」たり得たんだよ。
要するにトーフルとか英会話教育とかの発想は劣等生の俺たちの方がしゃべることくらいなら本しか読まない秀才よりできるんだ!的発想なんだよな。つまりは劣等生じゃないってことを受験の場でも証明したいってことサね。そんな願望に付き合う必要がないのは当然至極。
英語教育堕落の道は英会話とトーフルで敷き詰められている。笑
語学教育ではあくまで「語学は手段」ということを忘れてはいけないと思います。
どこの国の人間か分からないバイリンガルや国際人はアイデンテイテイーに苦しむかもしれませんね。
漱石や子規は漢学や国文学(和歌や俳句)を身に着けてから英語学習はじめています。士族で札幌農学校に進んだ人たちも子供のころ暗唱させられた論語や漢詩などを十分知っていながら英語教育を受けた。
もし子供のころから英米人と同じ教育をインターナショナルスクールなどで英米人から受けるなら・・・・・・・その子は英米人と変わらぬマインドの(物の感じ方考え方)子供になるのではありませんか?
家庭において日本人として当然知っておくべき昔話や説話、童話、おとぎ話などを親が教えないなら・・・・・・国籍は日本人で見た目も東洋人だが実はアメリカ人の子供が一人誕生したのと同じです。
その子は流暢に英語を話すでしょうが・・・・・おそらく周りから見たらアメリカ人か帰国子女と思われるでしょう。
英語は手段として必要。しかしそれ以前(並行して)に日本人としての教育をしっかりやる。これが担保されずにハロー、グッバイ程度の日常英会話レベルができる日本人を量産しても仕方がない。
「英語を使える日本人」は大いに賛成だが「英語を使えるどこの国の人か分からない人」を養成するのは反対です。漱石は「方丈記」を英訳したし内村は「代表的日本人」を書いた。彼らの教養は英語をやることで身についたのではない。
エリートたるべき教養のある人が・・・・後年英語を身につけたのです。そう考えるなら小学生のころは音声で遊ぶぐらいにとどめて耳の訓練をし中学以降に本格的に読み書きの学習を付け加えていくという現行のやり方でも十分英語はものになります。
TOEFL対策だけの英語教育では・・・・・・・方向が違うと思う。既に日本人としての教養ある教育を受けた人が、英米人との討論や議論できるまでの英語力をどうやって身につけるか?・・・・・・・・が主眼となるべきでしょう。




































