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投稿者: 春近し (ID:U7.KMWl4I8Q) 投稿日時:2014年 02月 07日 16:27
名門伝統女子校には、大抵小学校がついてきますが、できることならば中学生から皆で新しく過ごせる学校を、と希望しております。
東京都内で、小学校のない、世間的に名門伝統女子校と聞いて、どこの学校が浮かびますか?
意外に中学からって、なくないですか?
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【3280258】 投稿者: 確かにおもしろい (ID:BjG5.MUi3zk) 投稿日時:2014年 02月 10日 14:43
デンフタのことを書いた者ですが、上の方の今書くとまずいというのはどういう意味ですか。
それすらわからぬ庶民です、すみません。
相手の子には「それどこ」はさすがに言ってません。
私はちっとも驚かなかったので面白くなかっただろうな、という印象でした。
高校受験しか知らない者にとって、伝統・名門女子校は慶応女子高校。憧れていました。 -
【3280577】 投稿者: 女子学院に (ID:VGKxsV6kEkw) 投稿日時:2014年 02月 10日 18:46
伝統は何もない。
何か大きな勘違いをしてるんじゃないか? -
【3280704】 投稿者: バラード (ID:1iX1E9VVUOU) 投稿日時:2014年 02月 10日 20:26
伝統と言っても、男子の場合と違って、戦前の女子教育って、まるでそもそものカリキュラムというか教育体型が違いますので、単に学力うんぬんとはいえないのではないかなと思います。
このスレでは、私立の名門、伝統と書かれていますが、おそらく戦前女子高等師範を頂点とするシステムの中では、今でいうところの偏差値の高いというと、府立の高女
ナンバースクールだったのではと思います。たぶん数%の進学率だと思います。
第一高女(白鷗)から第八(八潮)や第九くらいまでは、大正時代に設立だと思います。ここから師範学校-高等師範と進むのがいわゆる偏差値の高い生徒だと思います。 そこまではとても無理、他の選択はとなると、高女の高等科あるいは、
津田、本女、東女とか(大学という名がついていたのかもしれませんが高等専門学校)
医専(東京女子医大)くらいしか進路がなかったのではないかなと思います。
私立高女は、たぶんに公立(官立?)高女の受け皿的要素もあったと思います。
ただ、桜蔭は、大正末期に女子高等師範のOGが肝いりで作り、男子に負けない
いわゆる、修身、裁縫、作法、生理衛生だけでなく、男子の旧制中学で学ぶような
ことも教えていたように聞いてます。
ミッションの明治からの古き学校は、フランス学校とか英語学校がだいたい母体で、やはり独自の、何もキリスト教の布教だけでなく戦前から国際コミュニケーションを重んじてという学校が多いと思います。 -
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【3280810】 投稿者: キリスト教系 (ID:dNt9FkBJXO.) 投稿日時:2014年 02月 10日 21:24
30年前、大学で恵泉と香蘭から推薦で来た同級生は「お嬢様」だと思いました。
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【3280815】 投稿者: キリスト教系(続き) (ID:dNt9FkBJXO.) 投稿日時:2014年 02月 10日 21:29
立女と英和出身の子には、頭が上がりませんでした。
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【3281055】 投稿者: さすがに (ID:1RTMqpP6KI2) 投稿日時:2014年 02月 10日 23:59
このスレには〇〇岡のトの字も出てこないな。なんせ「名門」「伝統」女子校のスレだからな。
どちらにもカスリもしない。
最近偏差値が急激に上がった上がったと鼻息だけ荒く、他校を無暗に貶めようとする下品な関係者が約1名、あちこちに出没しているが。 -
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【3281098】 投稿者: やあ♪負け犬君w>投稿者: さすがに(ID:1RTMqpP6KI2) (ID:QHYhwAa6ZkI) 投稿日時:2014年 02月 11日 00:30
洋犬だったかw
具体的な伝統はどうした?
説明してみ? -
【3281115】 投稿者: 旧制時代の話題 (ID:AsFhvDvIt5g) 投稿日時:2014年 02月 11日 00:47
オフトピですが、旧制時代の女子教育について。
旧制時代と言っても大学令施行直後から戦後までありますが、
女子の中等学校への進学率は10年で2倍のペースで伸び、昭和20年には43.6%に達します。
(師範学校一部、実業学校等を含み高等小学校は含まない)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad196201/hpad196201_2_012.html
このように中等教育が大衆化する中で、上級学校への進学者も増えていきます。
東京の場合、進学先の中心となったのは、女子高師や日本女子大学校などの中等教員養成機関です。
中等学校教員免許は、大学への入学資格にもなるなど、学位に近しい性格を帯びていました。
一方、地方においては師範学校が女子の主な受け皿になっていきます。
師範学校と言えば、給費制、貧乏秀才のイメージで語られることが多いのですが、
女子部に関しては花嫁修行的な進学も多かったのです。
高等女学校の教育では国語と裁縫が重視されましたが、学課も厳しかったようで、
戦中世代からはこんな体験談を聞きました。
・試験前は、寝ないように寒い廊下に机を並べて、寄宿舎のみんなで勉強した。
・数学の教師から、援農の日に計算尺を持参するように言われた。