在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立か公立か一概には言えないけれど
こういうの読むと温室で育った子供たちがこれで良かったのか不安にもなりますが、皆様はどのようにお考えになりますか?
『プレジデントファミリー』に面白い記事がありました。
「就活コンサルタントが断言 優秀な人事マンは採用時、出身高校名を必ずチェックします」という記事です。
日本の就職活動においては出身大学がかなり重要であることは、今更言うまでもないでしょうが、出身高校までもチェックするというのは意外に思えるかもしれません。
しかし私も人事担当から「大学名はもちろん出身小学校、中学校、高校も全てチェックする。」と聞きましたから、出身高校も見られると思ったほうが良いでしょう。
その記事によると、
1 大学附属校出身者は打たれ弱い印象がありマイナス評価
2 ただし慶應幼稚舎出身などの小学校上がりは人脈が期待できてプラス評価
3 国私高校出身者は視野が狭く打たれ弱い印象がありマイナス評価
4 名門都立高校・名門公立高校出身者が最も欲しく大きなプラス評価
だそうです。何人かの意見で共通していたのは「国私立高校出身者よりも、多様な人間と接してきた公立・都立高校出身者が欲しい」という見解です。
ただもちろん、公立・都立高校出身者なら誰でも良いと言ってるわけではありません。彼らが言う公立・都立高校とは、公立・都立の「トップ校」であることを強調しておきます。
特に、中学受験が盛んな東京で、高校受験から都立トップ校というルートを歩んだ大学生は、人事からすると「視野が広そう」「多様な者に揉まれて育ってきた」「勉強も部活も行事もバランスよく育ってきた」という印象を強く持つといいます。
もちろん、そこには偏見的なイメージが存在するのも事実でしょう。都立トップ校出身者の全員が上記に当てはまるというのは言い過ぎです。しかし大切なことは、都立トップ校出身というだけで、これだけ周りから
別の記事も紹介しましょう。週刊現代の「年間5万人 就職できない有名大学 「第3の入学組」の悲劇 AO入試合格組
大手企業人事担当者も要マーク」という記事。
この記事の内容を要約すると、早慶やMARCHなどの難関私大の附属校出身者やAO入試出身者は、たとえ有名大学出身であっても就職活動に不利になる、また力を発揮できない大学生が多いといいます。
そして、企業が最も求めている人材は、やはり「公立中学校~名門公立・都立高校~一流大学」という学歴だといいます。
理由はというと、「公立中高の出身者はタフな子が多い」からだそうです。
>「初めて日本に来た伝説のピアニストのコンサートに12万円」
横ですが、これだどなたですか?比喩ですか?
ホロビッツの来日コンサートに高校時代行ったよ、という友人はいましたが。
(チケット3万円だったが無理して行っておいてよかったと言ってた。)
おや様
反応ありがとうございます。
今の日本で私立でも公然とできないのは、高額の公的補助金を受け取っているからです。
寄付だけで運営される「定義どおりの」私立だったら、むしろ普通の発想ですね。
アメリカ東部のトップ校の大部分は私立なので(国際的に見るとかなりめずらしい)、事実上これに近いこともあります。
将来自分のできの悪い孫に学歴を与えるために図書館を寄付するような(小説及び映画「ある愛の詩」のネタ)、まあそういう話です。
おっしゃる通り、医学科や物理学科なら単位が取れないでしょうから安心。
トップ私大の経済か法の卒業生に何人か混じっていても、実害は小さいと思います。
環境と才能と努力で間違いはない。そして、環境面で親の経済力の影響はある程度ある。アメリカでもヨーロッパでも当たり前のことだよ。否定してもはじまらない。
でも、日本では、公立の学校も奨学金もあるから、一定の格差是正は図られている。それで十分なんだよ。
ちなみに、あほらし君がよく引用する昭和の頃は、経済的事情で大学に進学できない人は今よりずっと多かったよ。
>今とは違って、公立から普通に受かっていた頃だろ。
今でも普通にいるって話をしてるんだけどね。
東大や京大に入る子の能力が変わったわけじゃないよ。
昔だと公立トップ高校に進学してた子の何割かが
私学一貫校を選択して、私学の割合が増えただけです。
京大では今でも公立が多いしね。
>「うちは貧乏だけど頑張って勉強すれば東大にも行けるぞ」
とおっしゃっているのにそれを
>経済的に恵まれない家庭の子どもは、無能で努力しないから東大に行けないんだと、言っているようなものだよね。
に変換されるって…どんな思考をしたらこうなるのか。
わざとおちょくってます?やっぱり。
あほらし様は本当に実は凄い公立ネガキャンをされているだけなのかな。
公立に行くと、スポーツだけやっていると大学を出ても俺みたいになっちゃうぞ~って。
あほらし、ほんまに低レベルやな。
経済力は相対化できるからいうて、したらあかんことをしてへんのにドーピングと言えるわけやないんやで。そんなんは、経済力の格差が社会問題であっても、なんもかわらへんことや。ドーピングとは、まったく、これっぽっちも関係あらへんからな。
したらあかんことしてる場合だけやで、ドーピングや。と批判できるんはな。
そんなこと、わかっとるやろ。あほらしのおっさん。
気に入らんやつを叩くには、自分が低レベルの輩であったほうがええかもな、わからんふり、あほのふり、しといたほうが都合がええかもしれんな。
したらあかんことをなんもしてへんのに、ドーピング、ドーピングとなんくせつける輩ということや。あほらしのしたいことは、無罪の人間を、有罪にしたいんやろ。こういうのをなんくせつける輩いうねん。
生活保護の子が東大いけへんのは、お前らが塾いくからや。だから有罪や、だからドーピングや。というてんやろ。それはないわ。
あほらしの自由や、したらあかんことをしてへんのにドーピングしてる。言うのも。
でも、世間に、あほらしはなんくせつける輩です。と看板だしてということや。
なんくせつける輩の教育論は、なんくせつける輩にしか届かん。
それからな、なんくせつける輩のなんくせは、批判されるのは、当たり前やんか。それを、いじめや。個人攻撃や。いうて、被害者面されても困るわ。あほくさ。




































