在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
小学校での英語教育は時間の無駄
文科省は新しい学習指導要領で3,4年を英語に親しむとして歌や踊り、5,6年は教科として教科書も使い成績もつけるという。
これは識者が再三指摘するように(藤原正彦ほか)全くの時間の無駄と思います。英語が必要で無い日本社会で中途半端なことをやっても英語を使えるようにはなりません。本当に必要になるのは日本人の1%もいない。
外国語の音声は子供の頃から頭にインプットしてもいいが教科としてやるのは中学からでも十分間に合います。日本人が英語能力が無いのは日本語で全てが間に合う社会に住んでいるため、英語を使う機会がないので極めて当たり前です。
英語で世界と対等に渡り合うためには、本当に必要な人(学者、海外と交渉に当たる企業人、政治家、官僚)にたっぷり時間をかけて学習させその上で実践の場に放り込むこと。具体的には東大・京大の学生は全員一年留学を義務づけるとか、官僚もあちらに行かせるようにしたらいい。
この予算は大した額ではないでしょう。日本人の子供全員に英語を教える予算を考えたら(教員派遣、養成、教科書など)重点的に本当に必要になる人に税金を投入すべきです。日本人の子供には日本語の物語や歴史、昔話などをもっと読ませる方がずっといい。
この計画の目的は読み書きよりも会話が流暢にできるようになることが主な目的なんでしょうか?
だとしたら
英語は「勉強の機会さえ与えれば誰でも等しく話せるようになる」
と皆が考えているのがそもそもの間違いの元だと思います。
語学習得の能力は、楽器の演奏やスポーツの才能と同じく、極めて個人差の大きい才能なんですよ。生活に不可欠な母国語だって運用能力には個人差があるでしょ。さしあたって無くても生きていける外国語を習得する能力は一つの才能です。
「日本語で歌を歌うときに音痴な人は英語で歌っても音痴だ」というのは村上春樹氏の言葉です。日本人は英語は誰でも練習すれば自転車に乗れるように話せるようになると思っているようだけど、それは間違いだ、と。
才能のある子が早くから伸ばせるのはいいかもしれないけど、
全員一律にやっても手間とお金がかかるだけで日本人の英語力はたいして向上しないだろーなー
>この計画の目的は読み書きよりも会話が流暢にできるようになることが主な目的なんでしょうか?
英語力を全般的に上げるのが目的でしょう。
>英語は「勉強の機会さえ与えれば誰でも等しく話せるようになる」
と皆が考えているのがそもそもの間違いの元だと思います。
「やってもできない」ことを一律にやらせるのが無駄というなら数学教育のほうを削減すべきということになるでしょうね。
>全員一律にやっても手間とお金がかかるだけで日本人の英語力はたいして向上しないだろーなー
いやTOEICでいうと数十点は向上するでしょう。数年間長く学べばそのくらいの効果はでるでしょう。大学名でいうとランクが1つか2つ上がることに相当するのでは?
多くの日本国民が、世界標準語として使われる英語を使えるようにすることが目的。
今迄の中学生から学ぶ日本人の英語力では、国際的な舞台で議論や主張をする中で力不足だということです。
小3=10歳から英語学習をスタートするというのは早いということは無く、研究によれば、脳内で英語耳の回路をつくるうえでぎりぎりの最終年度です。そういう理由で、小3では、日本人教師の日本語的な英語ではなくネィティブの英語発音を聞かせて発生することに時間を割きたい。
英語を使えるようになれば、世界の生の情報量も、外国人との交流も、ぐっと広がりますよ。
早過ぎる等の時期の問題ではなく、
量も内容も明らかに足りない=効果が見込めない、
税金使って公教育で無駄なことしないで、
という意味で反対してる人が大半だと思うのですが。
賛成派の人は、本気でこの量や内容で英語話せるようになるって
思ってるの?
皆が通う小学校で英語教育をやる目的は、商店街のおじいちゃん、おばあちゃんでも、外国人が来店した時に、最低限の英会話で商売ができるようにするためです。
エリートが高額な英会話学校に行って英会話を身につけて海外出張しビジネスをこなす時代は去りました。
外国人観光客が落とす利益は、日本の国民総生産の重要な構成要素になりつつあります。
日本はシャープ、東芝のような輸出型の製造業ではなく、店舗を構えたサービス、小売の中小企業で儲けて行かなければ立ち行かなくなったのです。
だから、英会話も偏差値に関わらず、皆が話さなければならない時代になったということです。
同じことが、敗戦後の日本でも起きました。
言ってみれば、今回の小学校教育改革は、日本の製造業の敗戦に伴う復興措置なのです。
日本は高等教育を母国語で出来る国です。これは幕末明治維新の頃の先人がヨーロッパ語を漢語や日本流創作漢字に置き換えてきた賜です。
漱石が「学生の英語力が落ちてきた」という批判に対し「それは日本が順調に発展してきたせいだ」と言ったのは蓋し名言で、留学帰りの日本人教師が日本語で学生に講義できるようになり、教科書も次第に日本語に置き換わったからです。
漱石達の大学予備門時代は数学、物理、歴史、地理なども英語で講義を受け英語で試験の答案も書いています。これはまさに植民地教育そのものです。子規など数学の中身は分かるのに英語表記がよく分からないので黒板の前で往生したそうです。
漱石、内村鑑三、新渡戸稲造などは高度な英語力がありました。しかし彼らはそれ以前に漢学を収め立派な日本語を使えた人たちです。日本文化を知り漢字、漢文を知り日本人としての土台の上に西洋学問をやっています。
日本語をおろそかにして英語をちょっとしゃべれる事などにほとんど意味は無いでしょう。日本人は植民地人ではありません。教育も日本人としての教養、文化、歴史をしっかり教えるのが先です。その上で必要な人は外国語を学習し自分の専門を極めればいい。
ハロー、グッドバイの挨拶程度で終わるなら小学校英語など全くの時間の無駄。




































