在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
筑駒、開成、灘、に合格する子
近所に住むお子さんが上記3校に合格されたと聞きました。
会うといつもにこやかに挨拶してくれ、とても良いお子さんです。
入試の直前まで、自治会のゴミ拾いや掃除も参加していました。
友達と公園で遊んでいる姿も見かけましたし、ガリ勉という印象はありません。
こういうお子さんはやはり持ってうまれたものが違うのでしょうか??
我が子も新5年で受験するのでそのお子さんのお母様にアドバイスを頂きたいとお話しましたが、
「最後なんとか間にあったけど5年のときなんて箸にも棒にもかからない成績だったので、アドバイスできるようなことなんて何もないのよ」とご謙遜されてしまいました。
うちもS塾でαにはいるのですが、このレベルのお子さんのアドバイスは参考にはならないでしょうか?
それともそのお子さんのように、ここからの頑張りでこのレベルにたどり着く可能性があるのでしょうか?
別のお友達に話すと、そのレベルは首都圏にも十数人ぐらいのレベルではないかと聞き、α1ではない我が子には遠い存在なのかな?とも思っています。
民間での勝負で早慶に負けるってことは、人間力がないからだよ。
小学校低学年から勉強特化で、自慢は勉強ができたことだけ。
そんなものは、社会に出たら必要な能力のほんの1つの要素にすぎない。
勉強しかしてこなかったから、チームワークもなければ、リーダーシップもない。
他の要素を考えれば、勉強特化でない早慶に負けるというだけのこと。
さんまのテレビにでてる東大生とか、受験勉強はできたのかもしれないけど、勉強しかやってこなかったから社会でやっていけないだろうというのがごろごろしてるだろう?
佐藤さんのところは、めでたく全員理Ⅲなんだが、全員が全員、自分の意思もなく、親が敷いたレールに素直にのっかることに驚いた。
大学受験の勉強まで、佐藤ママさんが逐一管理。
小学生からの洗脳と勉強特化で、自我が目覚めていないのかもしれないね。
不思議さんの言うことには一理ある。
でも、理3は、試験さえ通れば免許取れて一生食うに困らないから。
コミュ力ない医者でも困るのは患者だけ。
だから勉強だけできる子を取りあえず医者にしちゃうのは賢いんじゃない?
もともとの先天的な特性によっては、むしろ「最低限のソーシャルスキルを身につけるためにこそ」ガッツリ勉強して中学受験をした方がいい場合もあります。
だいたいの場合は、他人の所作を模倣するなどの形で場面ごとにどう行動するのが適切かを体得するのですが、本人の特性によっては、「社会生活における一連の暗黙の了解」を逐一言語化することでしか体得できないように生まれついている人もいます。あるいは、平素「普通の人」の会話にはいろいろ省略されていることがあるものだけど、その「省略されていること」を汲み取れなくて話がかみ合わないとか。
そうした特性をもつ子どもの場合、公教育でよくいわれる多様性を多少犠牲にしてでも、そうした「社会生活を言語化」することを厭わない「説明能力の高い友人」に囲まれて生きることでこそ、ようやく何とか必要最低限のソーシャルスキルを獲得できるようになります。
もしかしたら、幸い公教育の場でそういう出会いを得られることもあるかもしれませんが、小学校段階でその面での人的環境が思わしくない場合には、中学受験でなるべく偏差値高めのところに進学するのは「説明能力の高い人」に出会うためには重要な手段のひとつだったりします。
(また、こうした特性の生徒にとっては、受験勉強それ自体が、国語での読解指導を丁寧にしてもらえるとソーシャルスキルの向上に資することさえあるわけです)




































