女子美の中高大連携授業
生き残る中高一貫私立はどこか?
桐朋が今年東大現役一人だそうだ。駒東も東大が減少して大騒ぎしている。
少子化と公立の復活で今後中堅私立中高一貫校はますます大変になるだろう。
環境を買うのが私立受験の大きな理由と言っていたがやはり第一は進学実績(男子の場合)だっということが明らかになった。伝統だけでは駄目だと言うことだ。進学実績が下がれば凋落校と認定されてしまう。
今後、桐朋に続いて凋落する私立学校はどんどん増える。逆に内申がどうだ、教師の質がどうだ、公務員に子供を任せられないなどと言っていた私立親も日比谷や小石川、横浜翠嵐の実績を見れば考えを改めるかもしれない。
悠然と構えていられるのは昔からの名門校、麻布、武蔵、学習院、暁星、成城、成蹊などで高校入試をやっている開成は今後劇的に(日比谷に流れるので)東大合格者を減らすかも知れない。学芸大附属に続いて開成凋落も視野に入ってきた。あと5年もすれば東大100人を切るのではないか?
ただまあ、ああいえばこう言うという具合に、こんな掲示板でバトル続けていれば、相手を論破する為に、道を踏み外すことはあるだろうね(嘘で自分を大きくみせようとしても無意味だから普通はやんない筈だけど)。
そうして自我や客観性が崩壊して行き、残ったものは、本当の出自とは似て非なる「怒り」や「私憤」の塊の様なものになってしまう。
これが、所謂「ヘイト・スピーチ」の構造だと思うんです。
こうした方々は、流説の真偽を見極めたり、他我の差異を受容した上で、ポジション・トークではない形で意見が表明するのが困難です。世界中で深刻なコミニュケーションギャップが顕在化しているなあとも思います。本当は社会の中で自己のおかれた立場がどの様なものかを認識して、その上で立論したほうが説得力もあるし、賛同者も得易いし、そのことで社会も少しは変えていける筈なんだけど、そうはなってないんだよなあ。悲劇です。
>幼少時から、中高、大学時もそれなりの勉強や学問の追及されていた方が多いですが、実際卒業してから20-30年の積み重ねの研究継続のウェイトが、はるかに大きく、どこまでもあきらめず、いつまでも粘り強くという資質が最大の共通項かなと思っていますが。
粘り抜く資質はペーパー試験のみの現行大学入試で分かるでしょうか?
大学院大学が(東大、京大)素質ある研究者の卵を見つけたいなら今のやり方では難しい気がします。何か提案できる良い方法ないでしょうか?
目指す頂きが高く、性差や所得によらず機会が与えられる社会であれば、粘り強く努力しないと難関なんか合格しっこありませんから、ある程度有効なスクリーニングになっているだろうとは思います。ある程度ということであれば、疑う余地ないんじゃないかな?
では、この程度を拡張していく上ではどんなことが必要なのか? とか 本当に機会は均等なのかという点では、いろんな意見があると思います。現状がどんな社会だと感じるか、そこを出発点として、どんな社会を目指すべきかという話にならざるを得ないから、教育問題というのは、教育制度の中だけでは議論が完結しないし、当然のことながら、教育を論じる視点というのは、個々人の社会観への踏み絵になっているとも思います。
そこは興味深いのですが、社会正義が存在するということになってしまうと、二俣川さんの様になってしまうし、個人史の中に留めようとすると、人事さんになってしまうし、社会の仕組みを考察する努力をせず、性急に結論を求めると某女史になってしまうし、難しい問題ですね。
私の恩師は、酒場では、政治の話を戦争の話はすんなと仰ってました。野球やマンガの話でいいと思います。
最近ヤフーがおススメの記事を挙げてくるんですが、縁もゆかりもない上毛新聞の公立別学の記事を推されたことがありました。ここで書き込んでいるせいですかね。
//www.jomo-news.co.jp/ns/1914919297249955/news.html
(http:をアタマにつけ加えて下さい)
男女別学の公立トップ校が残っているところも共学化の声が上がる一方、卒業生の圧力等々で変えられない(大抵かなりの伝統校だから)とかいろいろあって進まないようです。
>ある程度学力があっても高入時に性差で進学機会が損なわれてしまうとなると大変なハンディですね。
仰る通りだと思います。公立高校受験ですから、偏差値輪切りで進学する学校が割り振られるので、別学を進んで選ぶわけでない、行かざるを得ないケースも出てくるのが問題でしょうね。
>しかし、私は進学後、あるいは社会に出てからでも、自分の手の届く範囲でベスト・パフォーマンスを目指せば、出自におけるビハンインド逆転できる程度には、世の中フェアに出来ていると思ってるので、
全く同感です。
>中年に差し掛かって延々と10代後半の選択について延々と文句言い続ける人生というのは、ちょっと想像できないのですが
はた目にも哀れですよ…。不幸な道を選んだと思わない人に対して自分が踏んだ轍を他人に踏ませてはならないと主張するのですから余計なお世話でしかない。義憤を建前としていますが相当深い疵なのかも。
それがため「中学受験をするとは・私学を選ぶとはどういうことか」という大前提が全く理解されず話が通じません。
東京の中学受験に親しんだ人に別学だからこそ選んだ、選択理由が偏差値だけでないと言われても微塵も信じられないのは仕方ないのかもしれない。
自分と異なる価値観を理解できないのにそれでも進学実績の良さが欲しくて中学受験に足を踏み入れ、あちこちで要らぬ喧嘩を仕掛け続けるというのは常人の考えの及ばないところ…
一体中学受験界がどうなったら彼女は満足なんでしょうね。
結局のところ制度として実際に動かさなきゃいけないのだから、優秀な学生を得ることばかり重視した
「ぼくのかんがえた、さいきょうの、にゅうしせいど」
なんてものには、ほぼ意味はないだろう。
ペーパーテストだけできる間抜けを排除した方がいいのは事実だろうが、そのための運用コストやそれによって逆に有為の者をはじいてしまうかもしれないリスク、学生一人教育にかかるコストと少子化による定員だぶつき等の要因を考えるとき、現実に選抜過程で面倒くさいことできるんですか? それは本当に費用対効果あるんですか? といいたいもんだ。
とは言え、医学部はなんとかという京大の医学部教授もお怒りなようなので、まず隗から始めよ。
しょせん、百人ちょっとぐらいしかおらんのだし、入学後の教育にかかるコストも大きい。入試にもう少しコストをかけてもいいんかもね。
もちろんもしかしたら外野の知らないできない理由はあるのかもしれない。
どっちにしても、自分たちの選抜能力の無能を棚に上げて受験生側を腐すような、選抜側の教授がつまらぬ愚痴書いてんなよ、と思うところ。
研究者の素質はどうやって見抜けるか?さまのご意見にですが。
大学の研究科で、どんな分野であろうとも、たとえ先が見えないにしても信念もって研究し続けるしかないと思ってます。
ニュートリノの小柴さん-梶田さんのラインは珍しいと思います。
同じ分野のその先の研究して質量のところまで追い込んだこと。
オートファジーの大隅さんとか、砂の数ほどある中からほんの一粒見つけ出すような大村さんの研究とか、普通の一般人では気にしないこと、日本ではじめて、世界ではじめて、ということに限りないロマンを持つことしかないと思います。
決して優秀な研究者の卵を見つけることではなく、同士とその先まで続けよう、新しいことに限りなく挑戦し続けようという人を選ぶのではと思います。
こんなこと「自分もやってみたい」しかないですし、これは何も科学に限ったことでもなく、院でしか、ということでもないと思います。
マララさんのように「女子にも教育を」。
あきらめずに戦い続けたことは世界を動かしたと思います。
私立幼/小「明るくて素直な子が欲しい」
→お教室に課金
私立幼/小「えっ⁈……体力も追加で。」
→お教室に課金
私立幼/小「……。」
大学「入学時までにそこそこの学力は欲しい所。ペーパー試験やりまーす!」
→塾に課金。独学もいるが。
大学「いやまぁ知識はついてるしそこそこ使いこなせてるけどコレジャナイ感。AO入試やりまーす!」
→AO対策に課金。海外留学で課金。
大学「違う。なんか違う。」
-2020年-
センター「英語にwritingとspeaking入れてみようかと思う」
→???
面接/小論文/writing/speakingあたりは普通の座学系の科目と違って独学でやるのが難しい。
添削してくれる人がいないと「マル付け→直し」という過程が踏めない。
練習できるのが年数回の模試だけというのもリスキー。
一部の人は「本当に学力のある子が入れる!」とか言っているが、これらが一般的になれば塾はますます活躍することになる。
親が非協力的、学校の教師のレベルが低い受験生に、いい大学に入るのは諦めろと言いたいのだろうか?
だったら従来の「高校までの教科書の範囲からしか出しません!点数いい順に○○人が合格!」という従来のスタイルの方が"勉強さえすれば"誰にでも入れるという点でいいような気がする。




































