女子美の中高大連携授業
生き残る中高一貫私立はどこか?
桐朋が今年東大現役一人だそうだ。駒東も東大が減少して大騒ぎしている。
少子化と公立の復活で今後中堅私立中高一貫校はますます大変になるだろう。
環境を買うのが私立受験の大きな理由と言っていたがやはり第一は進学実績(男子の場合)だっということが明らかになった。伝統だけでは駄目だと言うことだ。進学実績が下がれば凋落校と認定されてしまう。
今後、桐朋に続いて凋落する私立学校はどんどん増える。逆に内申がどうだ、教師の質がどうだ、公務員に子供を任せられないなどと言っていた私立親も日比谷や小石川、横浜翠嵐の実績を見れば考えを改めるかもしれない。
悠然と構えていられるのは昔からの名門校、麻布、武蔵、学習院、暁星、成城、成蹊などで高校入試をやっている開成は今後劇的に(日比谷に流れるので)東大合格者を減らすかも知れない。学芸大附属に続いて開成凋落も視野に入ってきた。あと5年もすれば東大100人を切るのではないか?
この20年位のグローバル化に伴い、企業では日本の大学への留学生そして近年では直接海外の有名大卒業生へのリクルート活動を少しづつ増やしている。仕事上よく付き合いのあるグローバル展開をする国内大企業では、海外の有名大卒業生を日本勤務採用し、非常に優秀で(入社早々)対外活動で著しい成果(高い交渉能力)を発揮している、とも聞いている。
もはや多様性は、均質な国内ではなくパイの大きな海外の人材にも求め始めている。
日本の枠内での現在の私立vs公立あるいは都会vs地方といった対立軸での学生の多様性の幅は、日本の均質性ゆえに小さくなっている。かといって、現実的には新入生で優秀な外国人を入学させるのは難しい。従って、今後は、中高大での教育での独自性を強め、高校to大学及び大学to社会接続を円滑にしながら、実力に裏付けされた能力を発揮出来る人材を輩出することが競争力の強化につながると考える。そのためには、横並び・慣れ合い・受動的から、独自に考え・挑戦し・活動的な態度が求められる。
動機さんの主張される”野原を駆け巡り、部活をやり遂げる”学生像というのは現状には即さないように考えますが、少し現状に合わせた見方をすれば上記のような変化が必要だということではないでしょうか?
その世界を知ることと「なかにいて経験する」ことはまるで違うと思う。
ジャン・ジュネはコクトーやサルトルらの知識人とは切り離された世界の住人で、彼の「愛人」の強盗殺人の共犯として無期懲役を食らっていたわけだが、だからと言って犯罪小説に新機軸をもたらしたわけではなく、演劇や映画、詩的な小説ですばらしい作品を残している。
何よりも考えておきたいのは、ジュネの作品を徹底的に読み込むことで創作の闇の奥底まで抉り出したサルトルの評論「聖ジュネ」によって、ジュネ本人はしばらく書けなくなるほどに打撃を受けたというよく知られたエピソードだ。
サルトルはただの秀才で知的エリートであり、強盗も殺人も(たぶん)実行したことはなく、不良仲間がいたという話もない。
それでも、ジュネ自身に見えていなかったことまで暴くことはできたわけで、知の力というのはそういうことではないのだろうか。
流れをぶった切るようで申し訳ないが、スレタイに即して書いてみる。久しぶりだから昔の名前で出てみるか。
「生き残る中高一貫私立はどこか?」ということだが、逆に言えば「生き残れない中高一貫私立はどこか?」。
こちらのほうがわかりやすい。
実名は避けるが、2年も3年も勉強して、金を年間100万も余計にかけて入れるのだから、「魅力のない」学校なんて先細るだろうね。
この「魅力のない」に関しては、俺は黒駒さんと意見が異なる。(黒駒さん、久しぶり。坊やも、姫も元気かい?新しい環境は「入り」が重要だから、姫はまだ緊張が続いてるかな)
進学実績が魅力の中心を占めるというのは賛成だ。まずはそこが肝になる。
そのうえで俺は、旧態依然のごとく「校風」を魅力に上げる。
俺が進学実績を絶対視できないのは、これが結構上下するということと、所詮できる奴の多くはどこの学校に行っても、難易度の高い大学に受かる、ということから。
(おわかりのように、学校の役割は難関大学への合格じゃないと俺は思っている)
ところが校風というのは、なかなか急には変えられない。校長が変えたいと思っても、理事会や理事長の反対があると難しい。
そこで理事会や理事長を説得すべく、いろいろな画策をするわけだが、この画策の中心は「顧客への浸透」や「顧客の支持」がキーワードだから、おのずと改革の流れというものは受験者層や通学者に感じられるようになる。
むしろ東大の合格者数よりも、メディアやHPや関係者筋の言葉に耳を傾けていた方が、学校選びの間違いは少ないと俺は思うけどね。




































