在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
受験勉強よりも大切なこと
偏差値第一主義、ペーパーテストの点数さえ取れればいいという考えでやってくると社会に上手く適合できない。では彼らは何が足りなかったのか?
1.相手がどう思うかという「思いやり」
2.自分は完璧ではないという謙虚な姿勢
受験勉強ができる=自分は他人より頭がいい=相手を見下してもいい
という考えのまま大人になるのは非常に危険。思い上がった人間は人に嫌悪される。
将棋の藤井君、囲碁の井山裕太をご覧なさい。圧倒的な勝率を収めても謙虚だ。彼らは自分の力などどれほどのことでもないと思っている。藤沢秀行はこういった。「碁の神様を100とするなら私など2~3ぐらいのものだろう」
隣の小学生より受験勉強ができて灘、開成、桜蔭などに入学できても社会で活躍できなければ意味がない。自分より能力の低い者にいらいらするのではなく彼らを引っ張り上げる、モチベーションを上げさせる努力をしなければいけない。
受験勉強の神様など存在しなくても数学や物理、分子生物学などの神様(今の人間にとって未知なもの)はいるかもしれない。受験勉強ができて東大に入ってもそこで満足するのではなく神様相手に精進して欲しい。
道を誤った彼女は、私がいつも言っている「受験勉強ばかりしていると大切なものを取り落とす」を満天下に示してくれた。私の危惧が的中した。
優秀な受験生を持つ親にとって今回の事件は他人事ではない。
家族でよく話し合い、何のために勉強しているのかもう一度確認すべきだろう。
>無償労働を有償労働にかえたらGDPが凄いことになるという絵空事のことね。
絵空事というか・・
主婦が家事を家政婦に外部委託して、働きに出たら、
主婦と家政婦の賃金分だけ、確実にGDPは上がりますよ。
そういう計算の仕方が、国民所得計算なんですよ。
現行憲法は夫婦が同等の権利を有することを定める(24条)。
個人の尊厳を旨とする以上、たとえ夫婦といえども夫あるいは妻である故をもって不平等な取り扱いをすることは禁じられる。
それゆえ、その夫婦はそれぞれ別個な人格者=抽象的な人格としてアトム化され
ることになる。
問題は、資本制生産過程において打成せられる階級的矛盾が、あたかも生産過程が流通過程の背後において、いわば見えざるところで行われている如く、家庭内においてもこれもまた矛盾なき予定調和のうちに隠蔽せられていることだ。
W-G-W´の商品流通過程が実はG-W-G´(労働過程と価値増殖過程との統一としての生産過程を含むところの流通形態)を秘めて行われているということである。
そして現行憲法ならびに市民法は、二つの流通形態に共通なる抽象的な等価性(W-G)つまり価値法則をのみ反映する。市民法は、具体的有用労働が、抽象的な社会的人間労働一般の“現象形態”乃至“感覚的な実現形態”に転ずる過程=価値形成過程を含む単純なる商品流通における人間関係=価値負載者たる商品の関係の人格化、ここから自己の法人格者像を形成する。抽象的人間労働一般=価値のトレーガーは、容易に抽象的人格者の原型となる。
個人主義者ではあるが没個性的な人間、そして、かかる人格者間の自由平等なる契約と所有権(価値に対する支配権としての権利性が物の有体性のうちに実存形態をもっている)このような近代市民法的諸範疇はまさに市民社会自体のうちに展開せられている。
それは、経済的主導権を握る者が夫である場合、家庭内でも被支配階級たる妻の労働に対する収奪との形でー表面的には隠蔽されるがー表れることになる(経済社会の自然律―Das lebende Recht―市民法)。
>主婦が家事を家政婦に外部委託して、働きに出たら、 主婦と家政婦の賃金分だけ、確実にGDPは上がりますよ。 そういう計算の仕方が、国民所得計算なんですよ。
国民経済計算上の家事労働は擬制計算(帰属計算と表現されている)の例からは外されていますね。計算はしても計上はされていません。笑
w
>>主婦が家事を家政婦に外部委託して、働きに出たら、 主婦と家政婦の賃金分だけ、確実にGDPは上がりますよ。 そういう計算の仕方が、国民所得計算なんですよ。
>国民経済計算上の家事労働は擬制計算(帰属計算と表現されている)の例からは外されていますね。計算はしても計上はされていません。笑
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