女子美の中高大連携授業
受験勉強よりも大切なこと
偏差値第一主義、ペーパーテストの点数さえ取れればいいという考えでやってくると社会に上手く適合できない。では彼らは何が足りなかったのか?
1.相手がどう思うかという「思いやり」
2.自分は完璧ではないという謙虚な姿勢
受験勉強ができる=自分は他人より頭がいい=相手を見下してもいい
という考えのまま大人になるのは非常に危険。思い上がった人間は人に嫌悪される。
将棋の藤井君、囲碁の井山裕太をご覧なさい。圧倒的な勝率を収めても謙虚だ。彼らは自分の力などどれほどのことでもないと思っている。藤沢秀行はこういった。「碁の神様を100とするなら私など2~3ぐらいのものだろう」
隣の小学生より受験勉強ができて灘、開成、桜蔭などに入学できても社会で活躍できなければ意味がない。自分より能力の低い者にいらいらするのではなく彼らを引っ張り上げる、モチベーションを上げさせる努力をしなければいけない。
受験勉強の神様など存在しなくても数学や物理、分子生物学などの神様(今の人間にとって未知なもの)はいるかもしれない。受験勉強ができて東大に入ってもそこで満足するのではなく神様相手に精進して欲しい。
道を誤った彼女は、私がいつも言っている「受験勉強ばかりしていると大切なものを取り落とす」を満天下に示してくれた。私の危惧が的中した。
優秀な受験生を持つ親にとって今回の事件は他人事ではない。
家族でよく話し合い、何のために勉強しているのかもう一度確認すべきだろう。
ちょっと違和感を覚えていたのですけれど、
マリー・アントワネットの件の発言が真実かどうかというより、
発想が同等だ、ということだと解釈できますよ?
批判する側にも頑強さを感じている私がおかしいのでしょうか?
miffy (ID:WEcK8N8HzRs)さんのおっしゃる意味なら「頑強」より「頑迷」のほうが適切かとおもいます。
だいぶ前にいしかわじゅんが「5秒で描ける風刺漫画」というのをどこかに載せていて、なるほどなと思ったことがあります。
「権力者は悪いやつ」「貴婦人は無知で傲慢」というのって、ただただ粗雑で、問題点を宇宙のかなたに逸らしてしまう悪弊ではないでしょうか。
そんなものは19世紀で終わらせてかまわないのではありませんか?
カミュに「正義の人々」という戯曲があります。
ロシア帝政下のテロリストの話です。
史実をベースにした物語なのですが、印象的な場面があります。
主人公らは「大公」暗殺を企て絶好の機会を得るのですが「子どもが同乗していた」のを目にした実行役がためらい、一度襲撃は失敗します。
そののち、大公の爆殺は「成功」し、実行者たちは検挙されるわけですね。




































