女子美の中高大連携授業
とにかく公立中が嫌
我が家は、とにかく公立中が嫌で中学受験をさせました。
理不尽な内申点、授業のレベルの低さ、生徒同士の過剰な同調圧力等、自分自身がウンザリしましたので、子供は絶対私立と考えていました。大人になっても、中学が公立で良かったことなどありません。幸い、息子は最難関の一つに合格したのですが、そのことよりは、公立中に行かせずに済むことの方がうれしかったです。
とにかく公立中が嫌という方、どんなところが嫌か、お考えをお聞かせ願えますか。
もともと教養は、米国のリベラルアーツや欧州貴族の教育の伝統と同様に、実用に資するものではなく、本来は自分の人生を内的に豊かにするべきものです。お金があってもハワイに行くことしか思いつかないとか、史跡を見るだけで想像力で何かを感じて楽しめるとか、そんな違いに過ぎません。ただ、教養がある人同士や、教養を軽視する人同士は引き寄せ合うところがありすけどね。
>もともと教養は、米国のリベラルアーツや欧州貴族の教育の伝統と同様に、実用に資するものではなく、本来は自分の人生を内的に豊かにするべきものです
そう言えば、首都圏旧帝の入学式で、「リベラルアーツ教育を学部として行っているのは、本学だけです」と。
教養にも基礎学力が重要ですね。
>そう言えば、首都圏旧帝の入学式で、「リベラルアーツ教育を学部として行っているのは、本学だけです」と。
教養にも基礎学力が重要ですね。
私大専願者じゃダメだね。
数学抜きの入試では、これから常識となるであろうデータサイエンスの基礎知識しか身に付けられない。
スレ主さんが本当に教養があるなら、こんなスレは立てんよ。確かに公立中のころは嫌な思いをしたかもしれないけど、教養を身に付けて様々な視点で物事をみることができるようになれば、当時の先生や周りの生徒がなぜあのような行動をとるのかを理解できるし、嫌だった公立中もあれはあれで人生の糧になったと前向きにとらえることができる。
今、あなたがこのスレでやってることは、教養がない人がやることだとどうして気付かないのか不思議だよ。
仰有る通りとおもいます。
教養を得ようと思うのではなく、藤村を系統的に読むのが面白い、とか、室内楽に参加するのが楽しい、とか、何かをプロアクティブにやろうとするのがベースだと思うんですよね。
高校の昼休みの音楽室は、ショパンの協奏曲のピアノパートが鳴っていたり、ラズモフスキー3番(ベートーヴェンの弦楽四重奏の傑作)だったり、なかなかの空間でした。
国語の授業では、文豪の作品を網羅的に読む取り組みをしました。日本史では御堂関白記を一部だけれど原文で読んだ。
夢のような高校生活でした。
少なくとも東大教養のクラスメートや講義のレベルに自然に対応できるベースは知らないうちに身に付いたかとは思います。
私は中堅未満の私立も高く評価しているのですよ。 もちろん学校の教育内容次第ですけれども。入試難易度の偏差値のランクだけでは学校の価値は決まりません。入学する生徒にどのような環境を与え、教育するかは学校の努力です。公立だと、制度上、特段変わった教育をできるわけでは無いので、入学する生徒の資質が全てなのかもしれませんが、私立は違うのです。
子供はたまたま私立の最難関校群の一つに入りましたが、実際のところ、子供の素質は幼少期にはなかなか分かりません。中学受験で高いパフォーマンスを出せない子でも、出来るだけよい教育を与えてあげる観点から選ばれる私立校もあると思います。
公立に行かせるということは、自分の子供に、何も武器を与えないで無法地帯を生き残れ、と放り出す様な育て方だと思います。そうすると、人は育つのでなく、もともと強い人だけが生き残るのです。




































