女子美の中高大連携授業
難関私立と都立一貫
桜蔭と都立一貫を志望校に頑張っていたところ、桜蔭は不合格でしたが、難関私立と都立一貫に合格し、進路を悩んでいます。
難関私立は渋渋or豊島岡、都立一貫は自宅近くの学校(小石川ではないですが人気校)です。どちらも敢えてぼかしています。
桜蔭or都立一貫という試験前の方針からいくと、都立一貫への進学となるのですが、「もったいない」という周囲の意見や当該校が完全中高一貫として実績がないこと等のデメリットもあり、どちらに進学すべきか悩んでおります。
なお、肝心の娘の意思は、都立に傾いているのですが、学費というかコスパを気にしているような感じもします(家計に懸念は全くないのですが…)
同じような状況に置かれた方で、どちらを選択したのか、また、どのような要因でその意思決定に至ったのか、お聞かせいただけますと幸いです。
校風さんは気にならないかもしれませんが、私は違和感あります。
〇〇にとって△という選択肢があるのはありがたい、は、△がありがたいと思わない〇〇の人がいれば成り立たないと思っていますので。(思わない人が極端に少なければ成り立つかもしれませんが)
特に共学志向の方の中には別学なんてなくなって欲しいと思っている方もいるようですから(校風さんはそうではないのだと思いますが)、「受験家庭にとって別学という選択肢があることはありがたい」なんて書いた日には大炎上しそうです。
もっとも、私も腹は立ちませんし叩きたいなんて全く思いません。これについてみなさんノーコメントなんですよね、とあったので、書いて欲しいのかと思って、書いています。
なぜ違和感を覚えるか考えてみました。まず、「すべての」「ほとんどの」と書かなければ、受験家庭のごく一部でも構わないとは思えません。少なくともほとんどがそうでない限り使わない表現ではないでしょうか。それから「ありがたくない人は選ばなければいいのでマイナスにならないから総合的にありがたいと言える」という理論に賛成できません。なにより気になるのは、自分は違う、勝手に決めつけないで欲しいという趣旨の書き込みに対して、自分は気にならない、あなたがおかしい、と返すことです。それでは、なにも解決しないと思います。
前にも言いましたが、
ありがたいと思う家庭もある (少なくとも自分が当てはまる場合)
ありがたいと思う家庭もあるのでは (自分がそうでない場合)
と断定せずに言えばいいだけの話だと思うのですが、それではなぜダメなのでしょう。
ここまでは表現の話ですが、内容については、個人的に公立一貫校は需要あると思いますし、もっともっと増やして、誰もが中学単独校か、中高一貫校か、好きな方を選べる世の中になればいいのに、と思っています。
今のところ、公立一貫校をきっかけに中学受験に参入する人が増え、競争が厳しくなったように感じています。中学受験が一般化したのは良い点もあるけれど悪い点もあり、なんだかいろいろたいへんになっちゃったなあ、という感想です。




































