在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
【決定版】洗足、吉祥、鷗友、頌栄は
どんな学校。サピ偏53ならどこがいい?
保護者目線だと「自分の子供に会うか」「通えるか」で選ぶから、進学先の切り方は「自分の子供が進学してくれれば満足な範囲」を選ぶだけで、その数字で自己判断するもんだと思う。
それに対して「そんな切り方は自分の推しの学校を良く見せるためだろう」と言うのは、子供がおらず、単に4校の優越を自分目線で決めたいだけの人に思えた。
他人の切り方が自分の基準と違うなら、自分は自分の切り方で分析して「自分の子供を進学させるならこの学校が良いな」と思えば良いだけなのに、他人の切り方を馬鹿にするのは理解出来ない。
文系理系、国立私立も我が子の傾向を見て我が子に合うかが問題なだけで、保護者目線だとどちらが上も下もない。
「自分の子供にどの程度を望むか」なんて個人の自由なのに、いちいち口出しするのは、やはり保護者ではなく第三者ではと思った。
追記して頂かなくても、進学については以下のように私見を書いてあります。
>進学実績は見れば分かる話。
>そもそも我が子が校内でどのくらいの立ち位置になるか未知数。
>英語の伸び代も未知数ですし。
>東大100人合格の学校でも、我が子がどうなるかは別問題ですものね。
2024年の鷗友13人東大は素晴らしいですが、単年度の比較にそれほど意味を感じません。
たとえば、その前年の東大合格は、鷗友3・吉祥4・頌栄5です。
また、入学金自体が惜しいという意味でもありません。
豊島や慶應など、2/2以降に本命校やチャレンジ校がある場合、併願のしやすさを左右する要素として、合格発表日と納入日もあるのでは?という投げかけでした。
聖書に右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという言葉があるのだけど、それの意味するところは、右の頬を打たれても「やり返せません」or「やり返しません」のどちらか。
「せ」か「し」かはわずか一文字の違いなのだけど、マウント的には意味があって、せだと屈服を意味するが、しだとマウントした気分になれる。
つまり、「やり返しません」ということは、「私はね、やり返せないんじゃないんだよ。やろうと思ったら、できるんだけど、徳を積むために人格的に上だからやらないだけなんだよ」と言いたい訳だ。
しかし、この「左の頬を差し出せ」という「やり返しません」派の人達も、「せ」を「し」に言い換える点ではマウント、序列には重大な関心があって、決して「やり返さない」方が徳が積めて得だから、黙って得しとこうとはならないんだなと。
ここで吉祥の「理系だから」「やりたいことだから」派の人達も、本当に早慶より「やりたいこと」の方が得だと思ってるなら、早慶行って損してる人間がいるのは有り難いから、わざわざ「やりたいことやるんだ」なんてアピールしないで、黙って早慶組を冷笑的に見てればいいよね?
わざわざ「言う」からにはそのままスルーできない弱さがあるよね?




































