女子美の中高大連携授業
大学進学のためには私立中学か都立高校か?
都内23区在住の小5女子の母です。
受験について迷っています。
目標は都内の国立大学または難関私立大学です。
学力の高い子供であれば、
どこの学校へ行っても実力を発揮できるでしょうけれども、
親としてはできるだけ学力向上の助力をしたいと思っています。
いま中学受験が社会現象として注目されて、
ある意味ブームと化していますが、
中学受験で私立中高一貫校→大学か
区立中学→高校受験で都立進学校→大学か。
上記の大学への進学を目標と考えると、
それぞれの場合のメリット、デメリットを
皆様はどうお考えになりますか。ぜひお聞かせください。
わが子の場合はどうしたらいいのか、考えてみたいのです。
具体的には、
私立中高一貫校とは、桜蔭、JGなどの進学校やその他の中堅校、
都立進学校とは、日比谷、西などの進学重点校やその他の都立、です。
あと、国立(こくりつ)中高も受験したいと思っています。
タイトルがずいぶん乱暴な気もするのですが、
いまの私の気持ちを率直に書きました。
結局は、日本の大学が、結果として金を払うに値しない教育しかしていないことに問題があって、優秀な学生を地頭(知力、忍耐力、知的好奇心、洞察力)だけを頼りに、企業、官庁が選抜している(今も)、という現実があります。
したがって入り口のつまり大学入試の偏差値か知能検査的な試験が頼りになっているわけです。たぶん、大学教育がよくなり、もう少し、出口での学力を評価できるようになれば事情は変わると思いますし、学生も今ほど小手先のことに走り無教養・[削除しました]ではいられないだろうね。専門的なものをどういう位置づけで学生に持たせ卒業させるか、総合=Generalとは何かであり、どう育成して卒業させるかが、大学教師の脳内で像を結んでいないから、自分の指導教官から受けついた専門を蛸壺として安住するか、周辺を少し掘って自分の居場所を確保するという低次元の世渡りをしている。そこまで考えれば、大学の中しか生きたことのない世間知らずの先生には、実は教育などということは恐れ多くて、無理な要求なのであり、一番わかっているのは大学教師の諸氏だと思ふ。大学准教授、教授になっている仲間と飲むとそれを結構、言うね。産官学の連携とよく言うが、大学の先生には進化していく企業のことはあまりわからないそうである。本当にまあ、そうだと思うなぁ。
ということは、中学受験についても、「子が享受できる深い教育の内容/より良い教育機会 をどこに求めるのか」という軸と、「世渡りの看板論=どこを経由すれば低リスクなのか、才能発揮できるのか」の軸を、大胆に見直しても見るのも良いかもしれない。(頭の体操として)
エデュの議論も、良い中学高校→良い大学→良い企業への就職 のサイクルを金科玉条のように信奉して、細部の比較をしてはいるわけだが(それはそれで面白いが)、30年単位では違う発想、軸も必要かも知れない。それこそ、母親力を超えた発想での中学受験なのかもしれない。検討の結果が従来とあまりかわらないオーソドックスなケースが多数である可能性があるものの、やはりそういう議論が必要になっていると感じるがいかがか。
データだけを見ると圧倒的にスレ主様が考えている観点からすると私立だと思います。
しかしそれは平均値であり、個々にはそれぞれの個性と言うものがあります。
それを踏まえて目的の大学に合格する学力を付けなくてはいけません。
ところで高い学力を付けるには、受身の勉強だけでよいものでしょうか?
不可欠なのが知力です。何かをしたいと思う主体性です。これらが無いと高い学力を身に付ける事は容易ではありません。良い中学に入るため塾に多くの時間を費やし、その後6年も学校の勉強に追われてばかりでは自分の世界を作る時間が持てなくなります。
この状態でも壊れる事無く自分の世界も見つけられる子も居ますが、そこにはリスクも存在します。燃え尽きです。国立大学を出てもニートになる学生が増えています。勉強と言うものはある程度線路は敷かれていてもそれが1つの目的地(東大に入る、一流企業に入る)ではいけません。それらは手段であり目的ではないからです。自分で進路を決定し、場合によっては、自分で線路をひきながら進む位のことがあるほうが良いのです。
確かに一般公立中で過ごす3年間は、不利かもしれませんが、その余力でで何をするのかが重要です。
又、学力向上一筋の私立に行った場合に何かが失われることは無いのか?
それを自分の子供に当てはめた場合どうなのかを考えて決定されると良いと思います。
有名私立に入学しても周囲の優秀な子にモチベーションを潰されて伸びる事が出来なくなる子も意外といることはあまり表では語られていない事実です。
はっきり言ってしまうと私学か都立か偏差値はどれくらいかで、学校選びはしないほうが良いと思います。どの学校が一番その子に合うかです。良い先生達が揃っているかです。学校全体のやる気パワーとそのレベルをチェックしなくてはいけません。その為にあらゆる学校公開を参考に、そこから色々な事を感じ取る親の眼力も重要だと思います。
やり直しがきかないので色々な角度からの判断を心がけたいものです。
もっと細かい目で さんへ
全くその通りだと思います。
> 有名私立に入学しても周囲の優秀な子にモチベーションを潰されて伸びる事が出来なくなる子も意外といることはあまり表では語られていない事実です。
なお、この点は「喧伝されている周知の事実」でしょう。
まぁ、わかっちゃいるけど・・・、ということかと思います。
もっとも、優秀な周囲に刺激を受けて伸びる子は益々伸びる可能性もあるわけですが・・・。
上記の部分以外は、全面的に同意します。
下記の例は、集団の生態学です。下四分の1は、日陰となり、ほとんど踏み台としてのみ存在するばかりでほとんどやる気を失います。ただ、競争的なグループでは、これは一生つきまとう永遠の問題ですよね。
>有名私立に入学しても周囲の優秀な子にモチベーションを潰されて伸びる事が出来なくなる子も意外といることはあまり表では語られていない事実です。
>なお、この点は「喧伝されている周知の事実」でしょう。
下記の部分は異論があります。
正しく、目的を選ぶようにしていないように誘導しているのは、大人たちです。最初に有名大学の名前をあげ、その前段の有名中学・高校の受験に誘導している。結局、70−80%のこどもには「これがしたい」と思うものを自分で選択できる機会、選択を明確に迫られる適切なる機会はほとんど提供されないですし、夢が存在しない。結局、就職の瞬間、大学受験の瞬間がそれにあたっていることに一切、気がつかない、これです。先進国の中でも未来に明るい希望を見出せない国の代表になっている。だから、ニートを、燃え尽きなどという、あいまいな言葉で記述するのは大反対です。つぶしているのは無定見な親であり、場合によっては世間しらずの中学・高校・大学・大学院の教師、それに行政担当です。
>この状態でも壊れる事無く自分の世界も見つけられる子も居ますが、そこにはリスクも存在します。燃え尽きです。国立大学を出てもニートになる学生が増えています。勉強と言うものはある程度線路は敷かれていてもそれが1つの目的地(東大に入る、一流企業に入る)ではいけません。それらは手段であり目的ではないからです。自分で進路を決定し、場合によっては、自分で線路をひきながら進む位のことがあるほうが良いのです。
憂い2 さんへ
同じ事を言ったつもりでした。もちろん同意です。
ニートや燃え尽きと書いた方が分かり易かったようです。原因を詳しく書けば貴方の仰るとおりです。
親が子に向き合わずにお金で教育を他人に任せた弊害だと思います。
優秀な親でなくても実体験を通して学ぶ姿勢や手段は多少は教えられるはずではないでしょうか。その頑張る姿勢を子供は見ています。見習います。教育とは手間のかかるものなのです。楽をして何とかお金だけで済まないものかと考えずに自分がどう良い影響を与えられるのかを考える事も大切なのではないでしょうか。
親が教える事は、生活習慣や物事に取り組む姿勢、困難に遭遇した時の対処方法、色々な選択肢を見せるなどなど、子供が人間として活力的に考え行動できるようになるための要素が重要と考えています。




































