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大学進学のためには私立中学か都立高校か?

【739547】
スレッド作成者: 迷っています。 (ID:qMF6RE4Reh6)
2007年 10月 20日 02:11

都内23区在住の小5女子の母です。
受験について迷っています。
目標は都内の国立大学または難関私立大学です。


学力の高い子供であれば、
どこの学校へ行っても実力を発揮できるでしょうけれども、
親としてはできるだけ学力向上の助力をしたいと思っています。


いま中学受験が社会現象として注目されて、
ある意味ブームと化していますが、


中学受験で私立中高一貫校→大学か
区立中学→高校受験で都立進学校→大学か。


上記の大学への進学を目標と考えると、
それぞれの場合のメリット、デメリットを
皆様はどうお考えになりますか。ぜひお聞かせください。
わが子の場合はどうしたらいいのか、考えてみたいのです。
具体的には、
私立中高一貫校とは、桜蔭、JGなどの進学校やその他の中堅校、
都立進学校とは、日比谷、西などの進学重点校やその他の都立、です。
あと、国立(こくりつ)中高も受験したいと思っています。


タイトルがずいぶん乱暴な気もするのですが、
いまの私の気持ちを率直に書きました。

【754498】 投稿者: 墨東異聞   (ID:kWjSw1jtWBU)
投稿日時:2007年 11月 05日 18:12



昭和30年代以前の日本では、多くの若者が中学卒業と同時に
実社会へ飛び出していった。
公開中の映画「三丁目の夕日」の六子ちゃんのように。
当時は高校進学がそこそこのエリートであり、まして大学とも
なれば、それこそ選ばれた者という目で見られたはず。


当然、当時の都立トップ校も、今の「公立高」とは全く異なる
知的環境であり、校風、文化が息づいていただろう。
日比谷など、今の筑駒や御三家以上の雰囲気だったのでは。
60年代の学園紛争時の都立高生の手記などを読めば、今の
東大生でまともに対抗できる者はまずいないだろうと感じる。


高度成長期以降、高校進学が大衆化するとともに、かつての
エリートから猫も杓子も高校受験する世の中に変わる中、高校
受験は「15の春を泣かせるな」のかけ声のもとに受験生をお子様
扱いした親の受験となり、学校群制度により教育機会の獲得は
競争原理から配給制へと転換、現在の状況へと続いている。


何かが「一部エリート限定」、「特別のもの」から「大衆化」、
「普通のもの」へと変わるとき、質的に大きな変貌を伴う。
自動車、電化製品、PC等の工業背品の場合、大衆への普及は
多くの面でプラスに働いたが、教育、進学の場合は必ずしも
そうではなかった。人間の知的営為とマスプロダクツを同列に
比較すること自体がすでに間違っていると指摘を受けそうだが。


都立高の凋落は学校群制度それ自体によるというよりも、高校
受験の大衆化、親の受験化による必然の帰結であろう。


都立高受験に始まった「親の受験」化が上と下に広がりつつある。
「中学受験は親の受験」であり「大学受験は親の受験」というように。


考えたくないことだが、「12の春を泣かせるな」と、首都圏
私立中に学校群制度を模した規制枠組みが導入され、私立進学
を希望する受験生は当局により学区内で進学先が振り分けられる
こととなり、結果、首都圏私立中学の学力は急速に下落する。
大学も「18の春を泣かせるな」と類似の競争抑制措置がなされ、
これも同様にレベル低下、かくして日本は知的面で先進国の枠から
完全に落ちこぼれることとなる。


大学については大学全入化、入試の軽量化により、上記懸念は既に
現実のものとなりつつある。

【754536】 投稿者: 河童   (ID:qGN1a7.y4iE)
投稿日時:2007年 11月 05日 18:51

やる子がどこでも さんへ:
-------------------------------------------------------
> 私立上位、早慶附属に中学高校から行かずとも、都立高でも充分東大や早慶にいけますよ。・・・と言われる方がいますが




都立トップ校を目指して受験勉強してきて日比谷に少し
足りないとなると次の選択はどうなるでしょうか?



早慶になってしまうのか次のランクの都立高になるのか?
もし都立を選択すればその学校も日比谷にかなり近い
優秀な生徒が入ることにはなりませんか?


つまり雁行のようなもので日比谷を先頭に左右に翼を
広げたような都立進学校群が形成されてくれば
都立はかなり盛り返せるのではないでしょうか?


あと数年で日比谷が東大に50人合格という結果を
出してくれば他の都立も伸びてきそうな気がする。


都立中高一貫がどんな教育を行いどんな成果をだすかも
興味があります。適性検査でどれだけ潜在力のある
生徒を選べるのか分かりませんが塾で詰め込む知識など
なくても伸びていく生徒を見出だし育てられるなら
かなりの人気を集めるでしょう。


小石川や両国にどれだけの教員を配置し校長がリーダーシップ
をとってどんな教育をやるのか注目されます。
県立千葉や京都洛北が親の公立に対する見方を変えさせる
ことができるか?・・・・・公立の巻き返しは始まっています。




【754834】 投稿者: 無理筋   (ID:hkKscXx0m6o)
投稿日時:2007年 11月 06日 00:14

河童さん、
わたしも昨年、子供を受験させるの当たり、4年生ぐらいからそのこと(=貴殿の質問)を考えておりました。(自分の子供のことなので非常に真剣に考えました。)わたしの答えはNOです。今回のわたしの前提は東大狙いで落ちたら早慶か医学系(慶應、慈恵など都内私大か国公立医)で検討しました。


都立トップ校を目指して受験勉強してきて日比谷に少し
足りないとなると次の選択はどうなるでしょうか?

早慶になってしまうのか次のランクの都立高になるのか?
もし都立を選択すればその学校も日比谷にかなり近い
優秀な生徒が入ることにはなりませんか?


つまり雁行のようなもので日比谷を先頭に左右に翼を
広げたような都立進学校群が形成されてくれば
都立はかなり盛り返せるのではないでしょうか?



1)全都立高校の場合
43000名のうちで現行東大合格できるのが90名程いますが、0.21%です。受験者できる層はその3倍。つまり0.63%残りの99.37%は東大を受験することもない。
総体がこれであるから、トップとトップ下ライス以外は、そもそも狙えるレベルにない。


2)トップ下の都立の場合

−.−−−−|-人|東|京|一|東|国|合|割.-|
−.−−−−|-数|京|都|橋|工|医|計|合.-|
========================
01.西−−−|321|19|-5|-8|16|-8|56|17.4|
02.八王子東|316|10|-4|-6|22|11|53|16.7|
03.国立−−|334|-9|-5|11|13|-9|47|14.0|
04.日比谷−|317|12|-2|-7|13|-7|41|12.9|
05.戸山−−|325|-6|-1|-1|-9|-9|26|-8.0|
06.小石川−|327|-5|--|-4|-6|-2|16|-4.8|

では、トップの下はどうか。この場合、戸山ほどの名門の例でも、以前60年段は勿論、70年代-80年代)と比較して実際に見れば、優秀層の絶対数が少ないのです。わたしの出た都立は上記ではありませんが、70年代後半でも15%程度が上記大学に進学していましたので、感覚はわかります。


わたしが高校に入学して2ヶ月たったときの印象はとてもじゃないが難関国立を目指す授業が成立していない、というものでした。クラスの平均に合わせれば、レベルが低くなるのです。その印象は高校3年まで変わらず、一部のまともな先生(20-30%)の平均以下は置いてきぼりの授業を除いて授業時間が無駄だったというものです。勿論、そこに価値観をみとめて、できない人にために我慢する精神論を見るなら別ですが、こころあるひとは受験対策は代ゼミ、駿台、Z会でした。

15%の難関校進学であれば、その3倍すなわち45%が難関校を意識しているわけですが、それでもこのような状態なのに、進学者が5-8%だったら、その3倍層で15-24%にしかなりません。1/4以下です。当時でも、自殺、学園紛争を顕在化させないために、また底上げするために、教師のエネルギーの60-80%は向けられていました。これは今後もかわらないでしょう。


さらに決定的なのは受験したければ、私立に行くものだという、別ルートができていること。同じようには都立は復活し得ないということです。おそらくはトップ校のみ。日比谷の現高2が優秀といっても、さらに急速に受験実績を伸ばすことは考えにくく、裾野も応じて、思ったよりも広がらないと見ます。むしろ、2004-6年の中学入試の状況が反映して、これから2012年にかけては、合格者の実績はさらに下がるのではないでしょうか。小石川も中等教育にしたものの、定員360名規模から180名規模に下げたので、10名が大目標になるでしょう。なかなか超えないと見ます。50名も60名も受かることは100年くらいはまずもってありえないと思われるのです。(35名合格でも率で言えば60年代の全盛期ですから。50-60はほとんど不可能な数字)


しかし、これで終わりかというと、さらに先があります。わたしがいつも言っているのは、30年以内にあるという巨大地震がおきることで、中産階級の私立進学層が経済的に破綻して初めて都立高校が復活する段階になるということです。30年後とはこどもたちが42歳くらい。そのときい入学者が都立の流れになっていれば、今、頑張っておけば、それはそれで悪くない。ただ、孤独な戦いです。


わたしは自分が東京の公立中-都立高-国立大だからなおさら、一匹狼での受験は、よほどの実力と意思がなければありえないことを良く知っています。いつの時代も難関校の現役合格は困難です。1年の損失は1000-2000万円に当たりますから、経済的にも?ですし、そこまで考えて、よほどの実力の優秀な子の場合には、公立校の選択肢も宵と思いますが、(どこに行っても結果は同じという意味ですが)それ以外はかなり個別の熟慮がいると思います。なお、よほどの実力とは、わたしのイメージで定量化すれば、小学校3つ分で一番くらい、つまり1000人に一人の優秀さ位です。


なにも猫も杓子も私立に行くことはないということです。多くの中学受験者は塾にお金を取られているというのもまた事実でしょう。難関大学に入るのは本当に少しなのですから。こどもの能力を見極めて、普通の子は普通に、"大事に”育てるという価値観、これこそが大事になります。何も、みんな秀才になっても仕方ないんですから。金儲けのために金を使って回収できない人生も、奴隷的人生です。


とにかく、都立高校の議論を何でも学力の復活に結びつけるのは我田引水に思われます。現実はそうはならない。自分が都立高校を卒業だけに、普通にそう思えます。都立は青春をおうかしてくれれば、位の期待でよいと思う。税金でこれなのは憤りを感じますが、しかたがあんまい。










 





【754843】 投稿者: データで見ると   (ID:t5yqucrgGWI)
投稿日時:2007年 11月 06日 00:25

河童 さんへ:


申し訳ないですが、基本的なまちがいがあるように思われます。
無尽蔵に優秀な中学生が生まれてくるのであれば成り立ちますが
国立難関校に合格するお子さんは全体の中のある割合で、いわゆる
優秀層です。
大学進学実績は、この優秀層をどれだけ取り込めるかです。


中学受験時の偏差値分布と難関校合格者数にはかなりきれいな
相関があります。
男子校ならば、偏差値62以上の人数と国立難関の合格者数が
かなり似た数字になります。
もちろん、62以上の人がそのまま大学に合格するわけでは
なくて、マスで見た場合です。それと開成は当てはまりません
ただ、中学入学者の数で計算するといい線になります。


分布がわからない場合は、進学者平均と国立難関合格者数の
グラフを書いてみると、面白いぐらいきれいに並びます。
(直線ではなくて指数関数ですが)
このことから言えることは、大学合格実績は、入学してくる
お子さんの能力に依存している。
また、きれいな相関が見えることから、中学入試偏差値50
以上程度の学校であれば、ちゃんとした(大学受験のための)
教育をしているということです。
芝や世田谷学園に行かせるぐらいなら都立、とかいう方もいる
ようですが、入学者偏差値からすれば十分にいい成績です。


都立高校受験をするお子さんは中学入試を経験しなかったか
残念な結果だったお子さんです。
かつてはこのお子さんが各学校にばら撒かれた。
今は特定の学校に集中するようになった。
だから日比谷や西や国立が大学進学実績を上げてきている。
でも、全体ではさほど増えていない。
それは都立高校を受ける優秀層の数が変っていないから。
もし、日比谷や西がおっしゃるとおり東大50人とか出す
ようになったら、二番手の学校は今よりも実績が落ちると
思います。パイの取り合いですから。


さらに、子供の数が減っているのに、中学受験人数は増えて
います。今よりもますます優秀層が中学受験で吸い上げられ
ます。この流れが止まらないと、大学受験での都立復活はあり
えません。
可能性があるとしたら、都立中高一貫校(中等学校だっけ)
が優秀層を集めることに成功することでしょうね。
都立高校ががんばっても、公立中学が変らないと復活は
難しいと思います。


-------------------------------------------------------
>
> 都立トップ校を目指して受験勉強してきて日比谷に少し
> 足りないとなると次の選択はどうなるでしょうか?
>
>
>
> 早慶になってしまうのか次のランクの都立高になるのか?
> もし都立を選択すればその学校も日比谷にかなり近い
> 優秀な生徒が入ることにはなりませんか?
>
>
> つまり雁行のようなもので日比谷を先頭に左右に翼を
> 広げたような都立進学校群が形成されてくれば
> 都立はかなり盛り返せるのではないでしょうか?

【754920】 投稿者: 観察   (ID:1BUyDUeJRlA)
投稿日時:2007年 11月 06日 05:32

無理筋 さま
 
よく分析されているかのように見えますが、実際にその改革をご自分の目で確かめていらっしゃるのでしょうか。今後どう変わっていくかは、その学校の教師生徒各々のやる気にかかっています。1000人に一人なんだからむだだって!と言う考え方を押し付けてはいないでしょうか。たとえそれが叶わなくともチャレンジするのは自由です。そのチャレンジが
後でよい経験になる場合もあるでしょうし、またその反対の場合もあるでしょう。
ご自分の経験や確立だけで語られているように見えてなりません。
推測であればそれでも良いのですが、確信されているような表現に違和感を覚えます。
野球を例に挙げれば、ほとんどプロにはなれないにもかかわらず、高校生達は、一生懸命
努力しています。あれは無駄なのでしょうか?そう考える事は、夢や希望を手放す行為だと思います。
やりたい事が一流大学にあるのなら多少学力が届かなそうでも努力してみると言う事は有意義な事です。
少し問題と感じるのは、無理筋さんが仰るように全ての人間が一流大学を目指す事です。
これには、私も違和感があります。その理由は、何故一流大学に入りたいのかです。
入学自体や入れば一流企業に入れ高収入に繋がると言う事が目的になっている様に見えるからです。これらは手段であり目的ではないように思うからです。
自分のやりたい事が、見つかればこれほど受験と塾ばかりにはならないように思います。
塾で教えてくれないような事を学ぶ事こそ本当は楽しいと感じる人も多いかもしれません。
なにかのスペシャリストになると言う事は、そういうことではないでしょうか。
基本も良いのですが、自分の世界を作る事を忘れていると学力だけがある人間になってしまいます。それを使って何をするかが重要です。
学校選択と言うものは、これらを踏まえて自分が何処で一番伸びる事ができるかです。
偏差値や進学実績は、過去のデータで他人のものなのです。参考にはなりますが、それだけを判断基準にしない方が良いと確信して居ります。

【754977】 投稿者: 河童   (ID:qGN1a7.y4iE)
投稿日時:2007年 11月 06日 08:43

「いくら勉強しても勉強してもクラスの半分にも
いかなかった」



これはある国立付属中学に入学後内部進学で高校に上がれず
県立高校に入ってきた小学時代の同期生が言っていた
ことです。



優秀な生徒が集まる中学では小学時代学年一番でも
こういう目にあうことはあるのでしょう。
下位10%に入る生徒も当然出てくるのですから。



さて問題はこういう「やってもやっても追いつけない」という
経験をした生徒がその後どうなるか?です。


大抵の生徒は競争から降りて趣味の世界に逃げたり
どうしようもないコンプレックスに苛まれてしまって
それがずっとトラウマになることがあるんですね。



県立高校にはこういう国立付属崩れがいましたが
決してトップになる事はありませんでした。
かえって公立中からずっと一番できた挫折を知らずに
伸び伸びやってきたのがそのままトップを維持しているの
です。



「怖い物知らず」といえばそれまでですが若年で深刻な
劣等感を持つと後年尾を引くと感じたものです。
努力すること自体をどこかで捨ててしまうというか、自分の
能力に早い段階で見切りをつけてしまうというか・・・・・。



教育の目的は「生徒個々に自分の価値観を持たせ自信を持って
大人になっていく」面もあるかと思いますが、あまりの
学力優秀校に若年で入ってしまうとこういう恐ろしさも
あります。


「鶏口となるとも牛後となるなかれ」という哲学が
元気のいい人間を作る基となるのなら、公立で悠々トップを
取ったほうが精神衛生にはいいのではないでしょうか?


それで大学受験に向かい見事玉砕。



でも読書したり行事やサークルに没頭した充実感一杯で
「な〜に俺は勉強しないから落ちたんだ。やれば早慶以上には
絶対受かる」と意気軒昂で浪人時代をすごし事実一年後には東大はじめ
早慶にも受かるというのが昔の県立高校準トップ校の
生徒達でした。








【754997】 投稿者: 無理筋   (ID:hkKscXx0m6o)
投稿日時:2007年 11月 06日 09:04

墨東異聞さん、
貴殿の議論はよくわかります。さらに進めれば、その「大衆化」の変化ダイナミズムの根底には、結局のところ、


1)グランドプランの欠如
大学入試の序列化しか、こどもたちに知的社会で居場所を確保する選択オプションを与えてはこなかった。親も子も、他には線路が見あたらない。


2)アウトサイダーの受け皿としての予備校・塾産業の存在
復興・高度成長に突っ走る価値観へ異論を持った人々、あるいは1)のような流れに何らかの理由で載らなかった(&載れなかった)ものが、大企業や官庁に就職することなく、中高予備校・塾産業に流れ、時給1000円〜2000円からスタートして、その後、優秀な講師として自立し、カリスマ塾を作り上げる。同じことが小学校の塾にも言えて、優秀層を集めて桜蔭出身や進学校出身講師などが居場所のひとつしているような塾もあるし(サピックス、ただ、足元では大衆化路線に走っている)


があったと思います。このようなことは昭和の初期〜中期にもあり、昭和初期の雑誌を見れば予備門、予備学校の受験熱が相当なものであることがわかります。(わたしの祖父なども当時、銀行などは残業もない時代、率先してこどもの受験勉強を見ていたそうです。)さらに、おそらくこのようなことは、さらに明治にも遡り、漱石の活写する世界にもかい間見えるものなのでしょう。


しかし、今、状況は少しずつかわっているのではないかと思います。従来、変えられれないことを、外部からの価値観流入、外部者に手による形たちで行う。そういう時代がまたあるかもしれないと思わせるものがあります。地方都市の看板工場の閉鎖を日本人には反対が多くて不可能な場合、勤務環境や価値観の根本を変えるために、外国人社長を雇うようになった。別の事例では、企業の中で専門性を評価する新たな流れが外資からきた。企業のエンジニア・サイエンティストが特許などを通じて、数千万円を手にするなどは日本的な論功行賞の仲居では従来はありえなかったものだし、スペシャリストが部課長と同列に給料と裁量を手にし始めている。


教育産業も、規制を緩和したり、外国人の関与の中で教育の閉塞を打破できる可能性がある。おそらくは、そのような時代では、専門性に対する認知度があがるようになると思います。これを考えてみれば、われわれは忘れ去っているが、東京の回帰する先は、もっと前の「江戸時代の江戸的ナもの」のような気もします。




【755131】 投稿者: 難関中高で勉強する意味   (ID:/pqiqJ6DKiw)
投稿日時:2007年 11月 06日 10:52

私立、国立中高を難関大学進学に有利と見る人と、その逆か、またはその意味そのものを否定する人との間には、論旨を展開する上で明快な違いが見られる。前者は多彩な資料を駆使しながら、統計的な問題として捉え、その是非は別にして大学進学の有利さを現実の問題として語っているのに対し、後者は常に身近に見聞した例を引きだし、「こんな方もいますよ」的な口コミ技法とも言うべきやり方で、情緒的に訴える。これでは、論理に欠けると見ると、最後は「難関大学に進むのが全てではない、自分のやりたいことをやるのが大切なことなんだ」と誰も否定できないが、結局何もいっていない結論に落ち着く。でもね、「自分のやりたいことをやる」と「自分のやりたいことができる」または「やらせてもらえる資格がある」とは全くの別物なのである。研究職の医者になって、世界のがんを撲滅する特効薬を開発しようと「やりたいこと」を見つけても、難関大学の医学部を出て、博士号をとり、競争を勝ち抜いて、その研究職を獲得しなければ、「やりたいこと」などは全く達成できない。会社だって同じだ。専門の知識や資格、分析能力を持っていなければ、大きなプロジェクトをリードする役割を与えてもらえない。つまり、難関大学等を出ることと、自分がやりたいことが実現できることとの間にはかなりの相関があるという、この当たり前のことを多くの人は信じるからこそ、難関大学、ひいては私立国立中高へと皆はなびくのだ。私は、国立高校を出たが、級友には、そのあふれ出る才能を自分のためではなく、多くの人に奉仕する仕事に使いたい、いやそうするのが、才能を与えられたものの義務だと考える生徒が多くいたよ。私の子供は私立の御三家だが、子供の親友は理3に入るため、中学一年の時から猛烈に勉強している。それは将来医者になってより多くの人を助けてあげたい、治療の難しい患者を救うためにはもっともっと優秀な医者にならなければと考えているからだ。「自分のやりたいこと」をしっかりと見定めれれば、その実現のために自然に人間は勉強する。多くの人に貢献する職に就きたいと思えば、その頑張りは相当なものになる。そうなれば、それが学際的な仕事や、高度な知識や技術を必要とする分野であれば、難関私立国立中高、難関大学へと、もう自然に道が進んでしまうのである。最後に橋本健二さんの論文を紹介しよう。

http://www.asahi-net.or.jp/~fq3k-hsmt/ronbun01.htm

私はこの先生の推奨する総合選抜制度にもその多くの論旨にも賛同できないが、最初の章「高校教育の社会的位置」で展開される分析はまったく正しい。高校教育の社会的役割は基本的に「高等(大学)教育の準備教育を行なう」ことにある。大学で学んで、その成果を社会に還元してもらいたいから税金が投入されているのである。今の都立高校はその役割を十分に果たしているとは到底言いがたい。このことは都立高校側も十分認識しているからこそ、昨今の都立改革があるのであろう。学生側もそのことをよく認識してもっと勉強しろ。難関大学等を出ることがえらいのではない。自分の社会における役割を十分認識してしっかり勉強することがえらいのだ。結果は自然とそれについて来る。

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