女子美の中高大連携授業
大学進学のためには私立中学か都立高校か?
都内23区在住の小5女子の母です。
受験について迷っています。
目標は都内の国立大学または難関私立大学です。
学力の高い子供であれば、
どこの学校へ行っても実力を発揮できるでしょうけれども、
親としてはできるだけ学力向上の助力をしたいと思っています。
いま中学受験が社会現象として注目されて、
ある意味ブームと化していますが、
中学受験で私立中高一貫校→大学か
区立中学→高校受験で都立進学校→大学か。
上記の大学への進学を目標と考えると、
それぞれの場合のメリット、デメリットを
皆様はどうお考えになりますか。ぜひお聞かせください。
わが子の場合はどうしたらいいのか、考えてみたいのです。
具体的には、
私立中高一貫校とは、桜蔭、JGなどの進学校やその他の中堅校、
都立進学校とは、日比谷、西などの進学重点校やその他の都立、です。
あと、国立(こくりつ)中高も受験したいと思っています。
タイトルがずいぶん乱暴な気もするのですが、
いまの私の気持ちを率直に書きました。
結論はすでに出ている さんへ:
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> 第一、東京出身者でもない君がなぜ都立高校について、そんなに郷愁を感じるのか。
> 私が中等教育を受けている間に学区制が採用され、
> 試験科目が9科目から3科目に減らされ、しかも内申書が重視されることとなった。
> これは当時、東京の公立中学に通う子供にとって一大事件であった。
> 毎年、受験の季節になると、学区制の影響や今後の都立高校の行方に関し、
> 喧々諤々の論議が新聞、テレビ、週刊誌で展開されていた。
> 地方の人も全国紙をとっていれば、そのあたりの事情を知っているだろう。
> そして、私が大学を受けるころには都立高校は完全に没落していた。
> それは、当時予想されていたことで、学区制が導入された直後から
> 都立高校はすでに国立高校、慶応、早稲田のすべり止めに成り下がっていた。
> このあたりの経過をリアルタイムで経験した層の人は、
> 都立高校没落の原因を良く知っているから、その復活の難しさを感じているのである。
学区制ではなく学校群制度の間違いですよね?
分類 さんへ:
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> その北野(1学年約300人)にして、
> 今年の進学実績は浪人あわせて、東大4人、京大40人。
> それを考えたら、灘生が受験勉強も中学受験もせずに公立に進んだとしたら、
> 東大に20人も進まないだろう。
優秀層は公立優位なら公立へ、私立優位なら私立へ進むだけです。
東京都内の高校の設置区分別東大合格者数推移(1961〜1997)を参考資料として掲げておきます。
http://school7.[削除しました]/test/read.cgi/edu/1136138773/65-66n
(----のところは2ch.netを小文字で)
都立が没落した分だけ、その多数が私立へ、少数が国立へ移った様子がよくわかります。
>虫採りに熱中して後年作家になった昔の麻布生や栄光学園生も
>今のような過剰な受験勉強は決してしなかったはずだ。
これは単なるイメージで、現実ではないですよ。日進、すごかったもの。
ノーベル賞をとったから、作家になったから素晴らしいという論法はおかしいと思います。
実際、「?」な人でもノーベル賞貰ってますし・・・
今と昔(数十年前?)の違いは何かといえば、家族にしろ他人にしろ
大人が子供を「正しく」かまってやれなくなったこと(いろいろな意味での無駄な時間)、
そして「場」(遊び場だったり付き合いの場だったり)の減少じゃないですか?
熊本の過疎地に友人がいますが、
「自然は危険だから、都会以上に子供から目が離せない」という話も聞きます。
結局、田舎であっても誰かの家でゲームするくらいしかないという現象が起きている。
一部の過剰な、押し付け的な受験勉強や、
親が自立していないばっかりに塾に振り回されるという勉強の仕方は、
子供にとって良い訳はないと思いますが、中受だからよろしくないという理屈は非理論的だと思います。
結論はすでに出ている さんへ:
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>試験科目が9科目から3科目に減らされ、しかも内申書が重視されることとなった。
ある意味では昔の方が内申が重視されていたのではないか。
マトリックス方式と称し、縦と横に入学試験成績と内申を取り、その二つが重なる範囲以上にないと合格できなかった。(結果的には内申に最低下限点があったことになる。)
結局優秀な人間がどこに行くかで学校の大学進学実績の大部分が決まるような気がする。
ただ昔の都立名門校は東大、教育大(当時)出身の先生がほとんどで、高校の在籍年数も長かったように思う。
JM様へ
実際の私の友人関係などが見えないのでそう思われたのかも知れませんが、私の友人達はバラエティーに飛んでおります。
どんな職業に就いていても、どんな苦難に直面しようが、真面目に人生と向き合う大人達です。
なので、勉強をしなかった友人達はおりますが、みんなキラリと光る勝れた個性の持ち主です。
一人の人間の中には、色んな勝れた部分、劣った部分が存在します。
私の中にも、勝った部分、劣った部分がたくさん存在します。
JM様が思ってらっしゃるような一元的な価値観で人間を見た事も、また、逆に自分自身を見られる事も真っ平ごめんです。
「私は勉強しいひんかったから今になってわからん事多い〜!子供には勉強させてるで〜!」
そう言って、笑う友人が私は大好きです。
一方で、「なんで、、家の子勉強しないの、出来ないの。。」と、悩む友人。
そんな色んなバラエティーに飛んだ友人達の中で、私は彼女達から色んな事を学んでいます。
身内からも「学歴主義」とか「人を職種で見る」などどいう事は今まで言われた事もありません。
むしろ、家の中では、親のそういった価値観と私がぶつかる事の方が多かったです。
そして、「知的レベルが上がればあがるほど人種差別があからさまでなくなる(もしくは、本当に一切持たない層も確実に存在する)」のは、アメリカ建国の経緯が書かれてある本を読めば、学べば、各人種の置かれたスタート位置が理解できるからです。
白人でさえ、入植の時期が違えば、入植場所が違えば、その思想や大志の抱き方が全く事なる。。被差別側に回っていた人種もいる、。
そんな複雑にからみあったアメリカへの移民の時代,時代の動向を知る事により、他者の置かれた環境を理解するからです。
自分よりも条件の悪い中から、自分と同じ位置まで上り詰めてくる人間。
その人間の努力を、努力をしている人間は理解できます。
「俺がこの位置にくるまで、こんなに努力したんだから、あいつだって俺と同じだけの努力をしたんだな」そうやって、自分が頑張る事の出来る人間は、他者の頑張ってきた過程を想像する事が出来るからです。
努力しない人間は、自分を肯定するために、他者の全てを否定する。
それが、相手の社会的立場であったり、究極は人種間差別、、という形に繋がる。
自信のない人達ほど、他者への理解度が非常に狭い。
「教育」は、「知識」は、「本を読む事は」、その壁を薄くしてくれるものだと私は思います。
ま、アメリカの話はここまでにして。。。
そして、なんだかなあ様がおっしゃっているように「時代は刻々と変化していっている」。
その変化を母親達は、「現実」として、「日々の些細な子供達の生活」を通して実感せざるを得ない。
そして私達親は、自分の子供時代の経験から「人は流されやすいもの」「数の怖さ」(現実)も知っている。
「家の子は、正しい価値観で常に自分の歩む道を自分の手でつかむ事ができるのよ!」そう言い切れる小学生の親はたくさんいますか?
むしろそういった能力は、色んな知識を得、本を読み、自我を高めたい、、と思う努力によって培われていく「結果として」「後付けの部分」で得ていく事のほうが一般的だと思います。
それが、ペーパー以外の教育の本筋なのではないでしょうか。
人間には強い人間もいる。
けれども弱い人間もいる。
河童様のおっしゃる理想郷は、持って生まれた資質のある子供には有効に働くと思います。
しかし、我が子に対し「素晴らしい自我を持っている」と言い切れる母親はそう多くはないと思います。
前にも書いたように、「オギャ〜!!」と生まれた時から、何一つ自分で出来ない赤ちゃんの我が子を守り、育ててきた母親達は、我が子の強い部分よりも、弱い部分に目がいきがちです。
守る性が、まだまだ自分の手から離す事の出来ない、守ってやらなければいけないのが小学生の子供です。
「数」として、明らかにおかしな言動が一人の人間の前に立ちはだかった時、その「数」に対抗するのはとても強い自我を必要とされます。
そして、また、その「数」の考え方が明らかにおかしい場合、最初からその数が少ない環境に我が子を入れてやりたい、、、そう思うのは、守る性である母親の姿なのではないでしょうか。
そして、父親達は「そんなに守る必要がない」と言い続ければ良いと思います。
しかし、そういった父親達も、私達母親達の守る性に子供の頃から守られて、見守られて、生き方を示唆されて、大人になっているのです。
昔の都立生 さんへ:
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> 結論はすでに出ている さんへ:
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> >試験科目が9科目から3科目に減らされ、しかも内申書が重視されることとなった。
>
>
> ある意味では昔の方が内申が重視されていたのではないか。
> マトリックス方式と称し、縦と横に入学試験成績と内申を取り、その二つが重なる範囲以上にないと合格できなかった。(結果的には内申に最低下限点があったことになる。)
>
>
> 結局優秀な人間がどこに行くかで学校の大学進学実績の大部分が決まるような気がする。
> ただ昔の都立名門校は東大、教育大(当時)出身の先生がほとんどで、高校の在籍年数も長かったように思う。
この内申書制度そのものものは学校群制度以前からあり、1952年の学区合同選抜採用時からあった。いやその前にもあった。しかし、実際には内申点は参考程度であった。以下のサイトでも確認できる:
http://m.weblio.jp/c/%E5%AD%A6%E5%8C%BA%E5%90%88%E5%90%8C%E9%81%B8%E6%8A%9C%E5%88%B6%E5%BA%A6
内申書が重視されるようになったのは学校群制度以降であり、試験科目が3科目に減らされたことを補う意味がつよい。この試験科目の大幅な削減は当時衝撃的だった。都立高校受験がずーと楽になったのだ。以下のサイトにあるように、学校群制度以前は中学の先生は中学生とともに受験を戦う側にいた。
http://happi-land.com/sigaku.html
「例えば、中学校の内申書を重視することによって、中学校間に存在すると言われてきた格差を意識的に無視することや(註1)、教員の移動を定期的に義務づけることで学校間の人事的な公平を図ることなどがそうである。しかし前者は高校入試の「試験官」の役割の一部を中学教師が担うこととなって、中学教師の権威主義化をもたらし、その分、生徒の「怨念」を引き受けなければならなくなったことも意味した。それまで、生徒と教師が手を携えて「受験」に立ち向かっていたのが、その「相棒」であるはずの教師がなかば「敵側」にまわってしまったからである。」
当時は高校の先生は相当嫌われていた。中学生を受験で落とし、多くの子を泣かせたからだ。学校群制度以降は内申書が重要視され、高校を落ちた恨みは中学の先生へと向かい、高校の先生は喜んでいる旨の記事を当時読んだ経験がある。当時、私の中学の先生の中には、内申書を書くのを嫌っていた先生もいて、大変苦痛に感じる旨打ち明けてくれたものだ。しかし、学校群制度は多くの中学の先生には歓迎されていたと思う。それは、高校受験という問題を中学の授業から排除できるようになったからだ。
内申書による生徒の優遇といった問題は、最初の内は、生徒会の活動のため受験勉強に時間をあまり割けなかった生徒や、運動等で学校に名誉をもたらしてくれた生徒へのお礼といった程度で、部分的なものだったが、次第に内申書はお気に入りの中学生への一種のひいきにも利用され、「あの子は内申で入った」などと公然と揶揄される生徒も出てきた。
しかし、学校群制度初期のうちは内申書制度の利点を指摘する意見もあった。当時は、優秀な生徒の中に都立高校の試験に失敗し、トンでもなく低い私立高校に進学するしかなくなる生徒がよくいた。皆受験は始めてだから、普段の成績は良くても、試験の日、たまたま出来が悪いことが起きるのだ。こういった例は当時学校でうわさになったものだ。内申書制度はこういったまさかの失敗を緩和し、普段の成績を反映して順当に適切な高校に進学できることを保障する一種の保険みたいな利点もあった。
何せずいぶん昔のことなので、多少裏覚えであるが、私の実体験はそれまでだ。高校以降は内申書と縁がなくなり、気がとても楽になったことを覚えている。
分類様
>関西の公立トップの北野高校の生徒が小学生の時に通塾して中学受験をしたとしたら、灘・甲陽レベルの学校に進むのではないかな。
>その北野(1学年約300人)にして、今年の進学実績は浪人あわせて、東大4人、京大40人。
>それを考えたら、灘生が受験勉強も中学受験もせずに公立に進んだとしたら、東大に20人も進まないだろう。
今の北野高はすでに中学受験組の抜けた後の落ち穂拾いだから、参考にはなりませんよ。彼らも大部分は中学受験をして、第1志望には落ちているのです。
自己スレになるが、この2チャンにも学区合同選抜時とそれに続く学校群制度時代での内申書の扱いの違いがよく書いてある。
http://school7.[削除しました]/test/read.cgi/edu/1136138773/1-39
【都立高校】 学区合同選抜制度 【黄金時代】
「28 :実習生さん:2006/01/10(火) 12:30:29 ID:3//MsNER
このグループ合同選抜制も、偏差値を横行させる結果になったわけです。
しかも、もう一方では、偏差値だけではなくて、中学校の成績によって余りにも決まりすぎるという状況を呈したわけです。内申書というものが大変影響力を持つ。内申書は、既に学校群のときにその影響力を大きく持たせて登場するわけですが、学校群時代に、それまで9科目の入試をやっていたものを3教科に絞り込んだわけです。一方で中学校の成績で入れるということをしたわけですが、この中学校の内申書の成績と試験を偏差値で読むことによって、
グループ合同選抜は合格者を決めるということになったわけです。」
「35 :実習生さん:2006/01/10(火) 13:50:45 ID:3//MsNER
1966年以前も適性検査(9教科900点満点)と調査書を同等に扱ってたみたいだけど調査書の扱いはあくまで建前で各高校の判断に任されてたみたい。
「内申あったけど、ほとんど気にしなかった」と当時の人はいうからね。 」
グループ合同選抜は学校群制度が1981年に廃止され、1982年から1993年まで採用された制度だ。この内申書に関する記述は私の記憶とよく一致していて、貴重な資料だ。
1952年から1967年までの学区合同選抜制度時代は日比谷は常に東大合格者ランキングのトップだ。他の都立トップ校も名を連ねている。確かにこの時代が都立の黄金時代だった。




































