在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
留学や行き過ぎた英語教育のメリットがよくわからない
英語が大切だということはわかります。しかし上位校であれば、どの学校でも英語はもの凄く勉強するし、子どもも卒業までには英語を長い時間をかけて勉強して覚えます。
英語が大切だということは誰も異論はないと思うのですが。
留学や行き過ぎた英語教育にどういったメリットがあるのか、さっぱりわかりません。
医学部や司法試験と同じで、医者や弁護士になる人は上位校(東大としても、早慶以上としても、何でもいいですが)の中でも少数派で、半分以上の人には関係のない話しです。
それと同じで、留学だ英語だと熱を上げている人は全体の中では(医者だ弁護士だと言っている人と同じ様に)実際には少数だ、ということでしょうか。
英語が大切でないとは思っていませんし、我が子も毎日の様に英語をよく勉強しています。英語が大切なのはわかりますが、言ってしまえば数学と同じ程度に大切だとは思います。
留学や行き過ぎた英語教育のメリットがよくわかりません。ごく一部の人たちが掲示板を賑わせている、ということでしょうか。
スレのテーマとあまり関係ありませんよね。
なぜこのスレで何度も何度もそういう主張をするのか不思議なのですが、目的は以下のどれですか?
(1) 日本を良くするために、自分の考えを世論に浸透させ、東大の入試改革につなげたい。
(2) 日本を良くするために、このスレを見ている保護者に自分の考えを浸透させ、筆記試験対策偏重をやめて独創的な取り組みをするように子供に対する保護者の教育方針を変えさせたい。
(3) 筆記試験をやめて総合選抜を増やすのが世の中のトレンドだから、海外大合格実績が良い中高一貫校がトレンドに合っていてお勧めだとアピールし、国際系中高一貫校の志望者を増やしたい。
(4) (3)と同様に国際系中高一貫校は世の中のトレンドに合っているから、国際系中高一貫校を選んだ自分の選択は正しかったと主張し、自己肯定感を高めたい。
(5) 筆記試験対策偏重の保護者に対して、世の中のトレンドに合っていないとマウントして優越感に浸りたい。
(6) その他
世界中から優秀な人材が日本に来ることが望ましい。
日本語の筆記試験のみの一般選抜入試を続けても漢字文化圏の中国人、一部アジアの人以外、日本の大学等に入学することは難しい。
東大が新学部をつくって英語授業とすることで、国際入試とし、日本人も留学生も同一入試で選抜されていくことが望ましい。今のような日本人だけ多科目入試で選抜され、留学生は日本語能力や小論文等の対応という入試の在り方を変えた方がいい。
つまり、日本人でも留学生でも欧米のような独創的な取組等を評価できる大学入試に変えることで、日本に必要な人材を確保することが望ましい。日本語の多科目入試、答えのある筆記試験のみの一般選抜入試を続ける意義はない。
東大の入試が変われば、中高の教育も、その生徒たちも変わっていこう。各人が課題を設定し、その解決策や取組等を含め、評価していくことで日本は変わっていくだろう。各大学が独自のカリキュラム、特色、ポリシー等を掲げ、ほしい人材を明示して選抜入試をする。そうすれば偏差値等なくなって自分の学びたい大学で学ぶことができる。
米国トップ大学は、入試の選抜基準や方法、人材獲得等を含め競いあってきたからこそ、大きな実績をあげた。東大は黙っていても日本人の優秀層が入ってくるため改革を怠たり、日本は衰退した。
〉世界中から優秀な人材が日本に来ることが望ましい。
かなりハードルが高いですよ。
強烈な特色がないと選ばれません。日本語の壁もありますし。
日本国内でブランド校が人気なように世界でもハーバードやMITオックスブリッジ等ブランドが強いでしょう。
現状通り捨てるほどの資金力がある生徒はアングラから、普通の家庭は大学院から海外トップ大に進むのが現実的でしょう。
東大大学院の英語授業化は大学の存在意義の転換となるという記事がでている。
記事によると、
大学はヨーロッパででき、本来国家等にしばられることなく世界市民主義。
他方、後進国日本の大学は国民の啓蒙のための機関と位置づけられてきた。
東大等が英語授業を原則とすることは日本人の啓蒙から優秀な留学生を受け入れる組織への転換点となり、日本の大学の存在意義が変わる。
といった記事の趣旨。
この記事のような留学生か日本人かという狭い視点ではなく、日本人を含む世界中から優秀な留学生等を受け入れることが日本人が生き残る唯一の方法であると考える。
日本人はすでに出生数が65万人程度にまで減少し、集団絶滅に近づきつつある。こうした日本人の集団絶滅へ導いたのは政官財のリーダーたちであり、圧倒的多数の東大卒業生たちである。
リーダーが変わらない限り集団絶滅へのカウントダウンは終わらない。
〉こうした日本人の集団絶滅へ導いたのは政官財のリーダーたちであり、圧倒的多数の東大卒業生たちである。
それはどうですかね。
もっと生物学的社会的な問題な気がします。
子供が容易に死ななくなった。
生活が便利になり働き手の子供が必要なくなった。
親が子育てを重労働と感じるようになった。
こんな感じでは?
私もあまりスレの主旨に合わないような気がしますが、東大の研究力と入試について。
東大で推薦入試が導入されて数年経ちますが、推薦入試で入学した人のその後の追跡調査結果は公表されていないように思います。期待したほど思わしくないという噂あり。
現在の推薦入試のやり方は東大にふさわしいものと考えますが、「何をやっても合格する」最優秀層は面倒くさい推薦入試など受けない、ということがあるのかも知れません。
東大の一般入試、意外にイケていて、思考力を見るに十分と思います。過度に難しすぎず、着実に思考を積んでいけば正解に到達する問題が多い。昔は狂ったような超超難問を出したこともありましたが、今はそういう問題な影をひそめたようです。
入試方法を完全に推薦型にしてレベルが上がるか、私は疑問です。外国人にオール英語の別入試を設ける必要はあるかも。
そして、「答えのある問題は解けるが答えのない問題は云々」と言われる方は多いけれど、私はこの考え方は疑問視しています。
研究開発て言うと、テーマやゴールの設定は極めて重要、しかし、そこに到達できるかどうか、という見通しを立てることも重要で、この過程は、自分の持っている武器を動員してどう立ち向かうか、という考察を含みます。
この武器というのは非常に重要で、特殊函数の膨大な蓄積でもいい、大規模量子力学計算のプログラミングでもいい、超高精度の金属部品の設計でもいいのですが、何か武器を持たないと、どれだけチャレンジングなテーマを設定しても現実に研究は進みません。
一流大学の億単位の研究費を持つ巨大研究室ては研究が完全に分業化されていて、何も武器を持たずとも、大学院生は指示通りにやっていれば論文が書けて一見一流の成果が得られる、という場合があります。
ここでイニシアチブを取るほど抜きん出るか、弱小研究室でゼロからテーマを立ち上げるか、どちらがいいか、悩ましいです。
流れ作業に流されたらダメ。




































