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留学や行き過ぎた英語教育のメリットがよくわからない

【7498644】
スレッド作成者: s60↑校の親 (ID:ld1wFWGHy2M)
2024年 06月 30日 09:02

英語が大切だということはわかります。しかし上位校であれば、どの学校でも英語はもの凄く勉強するし、子どもも卒業までには英語を長い時間をかけて勉強して覚えます。

英語が大切だということは誰も異論はないと思うのですが。
留学や行き過ぎた英語教育にどういったメリットがあるのか、さっぱりわかりません。

医学部や司法試験と同じで、医者や弁護士になる人は上位校(東大としても、早慶以上としても、何でもいいですが)の中でも少数派で、半分以上の人には関係のない話しです。
それと同じで、留学だ英語だと熱を上げている人は全体の中では(医者だ弁護士だと言っている人と同じ様に)実際には少数だ、ということでしょうか。

英語が大切でないとは思っていませんし、我が子も毎日の様に英語をよく勉強しています。英語が大切なのはわかりますが、言ってしまえば数学と同じ程度に大切だとは思います。
留学や行き過ぎた英語教育のメリットがよくわかりません。ごく一部の人たちが掲示板を賑わせている、ということでしょうか。

【7692672】 投稿者: 東大の真実   (ID:shsKi5aUD8Y)
投稿日時:2025年 07月 18日 12:22

昔話。
東大は、1960年代に工学部に都市工学科を設立しました。建築や土木から暖簾分けするような形で、国土や都市を総合的にデザインする、というような触れ込みだったように思います。
慶應は湘南藤沢キャンパスに総合政策と環境情報の2学部を設立し、英語環境の強化、文理融合を旗印にしました。

都市工学科は、工学部の文系、とか揶揄する向きもありますが、相当の人材を輩出してきました。慶應SFCも、utubeチャネルでば。。かにされていたりするけれど、メディア系、通信、インターネットては悪くない。

東大の新学部、試みとしては面白いと思いますし、多彩な人材を輩出すると思います。しかし、人数規模から考えて、入試へのインパクトは限定的かと。新入生3000のうち日本人枠は50ぐらい、2%くらいてすから。
開成から例年150人受かったとすると、まあ5人とかの影響ですからね。
それに、上位校には「ほっといても英語がバリバリできる」のが結構居るんで、多少のアドバイス強化するくらいで乗り切るでしょう。
入試にげんていすれば、推薦入試程度。

それより大切なのは、教員配置と、大学院をどうデザインするかで、教員は既存の学科と兼務、既存の大学院専攻科のどこかを受けてね、となるとインパクトは半減すると思うけれどなあ。

東大の大学院には驚くほど多彩な講座があるんですけれどね。

【7692673】 投稿者: 逃げ   (ID:pcmU9YJMRy.)
投稿日時:2025年 07月 18日 12:24

> 三井物産、三菱商事などの商社。ホンダジェットのアメリカ工場。ボストンコンサルティング、マッキンゼー日本支社。さらに海外展開をしている製造業や物流関係。

それだったら文1や文2でいいじゃん。せっかく留学生と社会のグランドデザインについて議論するのに、それが全く活かされないね。

【7692677】 投稿者: 出口   (ID:.VGS.jFNFIQ)
投稿日時:2025年 07月 18日 12:54

新学部は帰国生、インター生、純ジャパなど多彩な人材になるよ。もともと東大は多様な人材を求めているんだから。

帰国生が中心になれば、いろいろなバックグラウンドがあっていいと思う。広尾は50カ国の在学経験者が集まっている。世界中から尖った人材が集まればいい。

出口は他の東大生より、米国トップ大学等の博士課程に進学する人も割合的に多くなるかもね。

基本的に東大はどの学部でも、起業、外資系コンサル等だよ。

【7692680】 投稿者: 逃げ   (ID:VESZpqUE51E)
投稿日時:2025年 07月 18日 13:01

> 帰国生が中心になれば、いろいろなバックグラウンドがあっていいと思う。

日本人枠はおよそ50人しかいないのだから、多様性を重視するなら、1つの学校から2人までと限定するだろうね。あと、地域性も求められるし。

【7692718】 投稿者: 本当に英語必要ですか?   (ID:nsw7IG6CtTE)
投稿日時:2025年 07月 18日 16:02

吉田松陰が金子とともに小舟に乗ってアメリカ留学を図った。時代は違えど自分の言葉が通じない社会に放り込まれるインパクトは大きいと思いますよ。

腑分けをした江戸時代の医師達がターヘルアナトミアの図と実際の人体が同じであることに驚嘆したというのもよく分かります。

未知の世界を知る、見たことないものを見る・・・・こういう体験はその後の一生を規定するかも知れませんね。英語も留学もその手段でしょう。

壁面9年で悟りを開くのも良いが、自分の五感からダイレクトに受け取る刺激は貴重だと思いますよ。

【7692723】 投稿者: 本当に英語必要ですか?   (ID:nsw7IG6CtTE)
投稿日時:2025年 07月 18日 16:05

あれれ?? 少し前に長文投稿がありそれへの返信を書いたのですが煙のように消えてしまった。

どなたか削除依頼しましたか?

【7692763】 投稿者: 過疎地の祭囃子   (ID:0iMc0hXBdBU)
投稿日時:2025年 07月 18日 17:53

英語ができれば世界で活躍できる。留学すれば人格が鍛えられる。多様なバックグラウンドに囲まれれば、自己も開かれ、視座も広がる。そんな認識ごっこが、令和の掲示板でもまだ繰り返されている。しかも平日昼間、過疎の電子砂漠にて。

留学の価値や英語の効用について語るのは自由だ。しかし問題は、それを語っている場と方法にある。なぜ、日経やNewsPicksではなく、ここでなのか。なぜ匿名で、批評不能な空間で、自分の経験でもないフレーズを並べるのか。語られているのは多様性ではなく、思考の予定調和であり、自分の頭で考えた形跡のない主張だ。

帰国生が多様性をもたらす、50カ国の生徒が在籍する広尾から世界が変わる、それらは理念としてなら結構だが、実態のない前提を積み上げたまま世界標準を語るのは、言語化された自己満足にすぎない。単に知的刺激の輸入と自己変革の代行を海外に委ねているだけではないか。

英語や異文化接触が一種の通過儀礼になって久しい。しかし、問題はその後だ。英語を習得して、どのような理論を構築したのか。異文化に触れて、どのような新しい問いを持ったのか。その答えが曖昧なまま、見たことのないものを見ることで変わるはずだと繰り返すのは、自己啓発に近い。

吉田松陰もアメリカに渡ろうとしたと持ち出す投稿もあったが、彼の行動は体制への抗議と自己犠牲を含んでいた。彼にとって異国は危険を孕む未知であり、現実を変える手段だった。だが現代の留学礼賛は、既得権の温室内での体験型リスク回避に過ぎず、構造への批判にも、思考への飛躍にも至っていない。

私自身は臨床医学と医療教育に軸足を置いている。地域偏在、制度的硬直、医療人材の流動性と階層化の問題は、国家戦略の失敗と密接に絡んでいる。そこにおいて、どこで学ぶかよりも、何を疑い、どれだけ持続的に問い直すかが問われる。語学はあくまで媒介であって、認識を深める装置ではない。現実を疑い抜いた結果、手段として語学が求められることはある。しかし語学自体に覚醒的作用があるわけではない。

実際、臨床の現場では語彙量より仮説の持続性が重要である。疾患の奥にある構造、患者の沈黙に潜む語られざる要因を捉える力、それを支えるのは英語ではなく、仮説に粘る知の力だ。

そして私は、こうした議論を匿名ではない場でも行ってきた。NewsPicksや論壇系メディア、学会誌や教育系寄稿媒体など、署名と責任を伴う場所において、自らの言葉と視点を提示してきた。そのうえで、今ここに記すのは、あえてこの場を選ぶことによって見える構造があるからだ。私は、ここでしか語れない人間とは違う。ここでしか優位に立てない人々を、真正面から捉えている。

翻って、過疎掲示板で散見されるのは、輸入された制度・語彙・成功事例の再生産だけである。アメリカのトップPhD、外資系コンサルへの進路、国際バカロレアの話。背景も構造も無視して、ラベルだけを有難がっている。まるで知性がブランド名で決まるかのような錯覚が蔓延している。

滑稽なのは、そうした発言が行われている「ここ」自体が、知的評価空間として成立していないことだ。論文の査読もなければ、反論すら稀。無署名、責任の不在、IDの背後に隠れた観客席で、知ったかぶりの知識が空転している。多様性を語る人々が、なぜこの均質な場から飛び出そうとしないのか。週末のNoteや論壇誌に寄稿する胆力すら持ち得ず、ここだけで優位に立とうとするその振る舞いに、果たしてどれほどのリアリティがあるのか。

本当に思考している人間は、こんな場で自分の考えを語るようなことはしない。語るより、動く。匿名の場で多様性を語る前に、自らの言葉で異質に直面したことはあるのか。学歴や語学ではなく、自分の言語と思考をぶつけた経験があるのか。

世界とつながるのではなく、世界と対立したことがあるのか。

結局、掲示板に投稿される留学礼賛は、思考を放棄したまま視座が高まる気がすることを賛美しているにすぎない。構造も目的も曖昧なまま、とにかくすごそうという記号の連鎖が続く。五感で受け取る刺激が貴重だという主張は理解できるが、刺激を受けた後に何を抽出し、何を体系化したのかが問われていない。

知性とは、刺激ではなく精緻な反復の中で生まれる。語学も留学も、その中の一構成要素でしかない。

この国の教育に必要なのは、英語を話す人間ではない。どの言語を用いても問い続けられる人間だ。日常の摩耗に耐え、構造に抗い、問いを持ち続ける人間だけが、世界を構成し直す力を持つ。

語学は便利だ。だが、安易な万能薬ではない。そしてここに投稿される世界を知っているふうの文章も、その多くは、知っているというより見学してきただけの感想文にすぎない。

語るに足る現実に出会っていない人間が、世界を語るとき、それはほとんど妄想に近い。

そして、ここで語っている限り、その現実には一生届かない。

なお、こうした文章が掲示板に書かれるたび、反論や対話ではなく、削除という形式で応じる人々がいる。対話の余地を断ち、議論ではなく抹消によって思考を閉じるその行為こそが、ここで述べたすべてを、最も雄弁に裏付けている。反論すらせずに存在を消すことでしか対応できない知性の構図、それがこの場の限界であり、この国の知的風景の一断面でもある。

図星であったことを、最も静かに、最も確実に証明するやり方があるとすれば、それが削除だ。

【7692765】 投稿者: ありがとうございます   (ID:0iMc0hXBdBU)
投稿日時:2025年 07月 18日 17:57

お手数ですが、もし可能であれば再掲いただけますでしょうか。
削除された理由については……まあ、言わずもがな、ですね。

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