在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
くるみと言う桜蔭出身YouTuber
慶応医学部特待入学中退で、色々やってYouTuber。
結婚相手が明大商とか、ビジュアルとか痛い感じなんだけど、まあ見てみて感想くださいな
理III出て美容の何が悪いの?
少なくともあなたよりはずっと社会に貢献していそう。
あなたには今年5月公開予定のプラダを着た悪魔2の前作のミランダのセリフをどうぞ。
退廃的タッチのバレリーナドレスに合うベルトを迷うメリル・ストリープ演じるミランダに、嘲笑を浮かべたアン・ハサウェイ、アンディが、「どちらも同じに見える“こんなの”」と言った事に対して発せられた、ファッションがいかにディテールに拘り、それこそが矜持、結果的に社会や経済に多大な影響を与えている大きな存在なのかを説く、この映画の真髄、テーマに迫るミランダの見せ場となる長台詞、
「え?こんなの?
あ〜なるほど。あなたには関係ないと思ってるのよね?
あなたは〜、クローゼットからそのいかにもサエないブルーのセーターを選んで世間にアピールしてるんだものね。自分は着る物なんか気にしない、マジメな人間だって。
でも、貴方は知らないでしょうけど、その色はブルーじゃない。
ターコイズでもラピスでもない。セルリアンよ。
それにこの事実も知らないでしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレを発表して、確か、サンローランがミリタリージャケットを発表した。。。
セルリアンは、たちまち8人のコレクションに登場。。。
その後次第に市場に出て、国中のデパートで販売、そして徐々に、そこらの安っぽいカジュアル服の店にも出回り、それをあなたがセールで購入した。。。
つまりそのブルーは巨大市場と無数の労働の象徴と言うワケ。
皮肉なものよね?
貴方がファッションと無関係と思って選んだセーターが、実際はそもそもここにいる私たちが選んだものだなんて。こんなの山からね」
美容は命も救わないし、生活インフラでもなければ、なくてはならないものでもない。単なるお遊び?
その答えは、プラダを着た悪魔の中で全部語られている。
美容は命を直接救わない。生活インフラでもない。
だから価値がない、という発想そのものが、世界がどう動いているかを何も見ていない。
人は生き延びるだけでは社会を作らない。
美意識、審美眼、細部への執着があるからこそ、産業が生まれ、雇用が生まれ、都市が形成され、文化が更新される。
医療が身体を延命させるなら、美容やファッションは人を社会につなぎ止める。
そして決定的なのは、
美容を嘲笑する側ほど、実はその恩恵の最下流で生きているという事実。
自分は無関係、興味がない、遊びだと思っているその態度ごと、誰かが作った価値体系の上にきれいに乗せられている。
理IIIを出て美容に行くのが問題なのではない。
問題なのは、知性があるはずなのに、価値の連鎖を想像できないこと。
遊びだと思って見下しているその世界が、あなたの日常をどれほど規定しているかすら理解できないなら、それは専門の違いではなく、視野の狭さの問題。
感じるのは自由だが。
その理屈が正しいなら、医学科生は全員産婦人科に進めばいい。
美容外科はゼロにして、そこに回していた人材・資本・需要を全部出産支援に振り向ければ、社会の幸福は最大化する筈。
でも現実はそうなっていない。
なぜか?
社会は単一指標で最適化できないから。
産科は重要。だからこそ制度で守り、補助し、誘導する。
一方で美容医療は、需要があり、自己負担で回り、雇用と税収を生み、医師のキャリアの多様性を支えている。
この分業があるから、医療システム全体が破綻せずに回っている。
価値が高いものだけを残せばいい、という発想は、
全員が同じ仕事をすれば社会が良くなるという小学生レベルの単純化。
それが成り立たないことは、少し考えれば誰でも分かる。
さらに言えば、美容より子育てにエネルギーを注ぐ女性が美しい、という主張は、社会設計の話を装った個人の美意識の押し付けに過ぎない。
社会の幸福は、役割の多様性と選択の自由の上にしか成立しない。
美容をゼロにしても、産科医を称えても、誰かの生き方を貶した瞬間に、その社会はもう痩せ細っている。
だろ?
各人の抽象的な需要が認められ得る必需品の生産に公的な助成を投入するのは世間の納得を得やすいのに対して、嗜好品の生産についてはそうではないというだけの話なんだけど
お目目がお金マークの自己中医学生共に「公共性」みたいなものへの理解を求めるのは土台無理というものですかね




































