女子美の中高大連携授業
都内の小学生は遊びか中学受験の2択?
小学生の頃は、外で遊ぶことが何よりも大切だと言われます。
外で遊ぶことで、想像力や独創性が発達するそうです。
しかし「都内には公園がない、ゲームばかりしてる。それなら中学受験だ!」
という謎の主張をする人がいます。
まず実際には、都内でも公園や広場はたくさんあり
子どもたちの遊びも日常的に見られる光景です。
また、勉強をするにしても、中学受験をする必要はありません。
なぜ中学受験派の人は、都内の小学生には
「遊び or 中学受験」、の2択しかないと思っているのでしょうか?
世の中、収入地位に上下があって、学歴がある程度相関してるが、上下入れ替わる部分もあるから、それを学歴社会と感じるか感じないかは、本人の想定と現実がどちら方向にずれてるかってだけだろ。
後はポジショントークというのがあって、受験生や保護者は競争が楽になって欲しいから学歴社会じゃないとアピールするだろうし、受験産業の人は集客のために学歴社会だとアピールするだろう。
ただ、一市民としては、資本主義社会の競争学みたいなものは想定されて、闇バイトの元締めみたいな勝ち組の知恵は凄く惨たらしいものだと分かるから、綺麗で理想主義的な学校の勉強が生きる社会の方が好きだけどね。
上位20%が成功者として、残り8割が多数派なんだから、認めたくないのは仕方ないよね。みんな好きだもんね。下剋上とか、判官贔屓とか…
中学受験で残り8割だった子の中で、大学受験で上位20%に入ってくる子は思ったより少ないって事に気付かない限り話は並行線だね。
「学歴社会」には一応定義があるんですよ。
社会的な地位が学歴によって決まる社会のことです。
東大を出ても必ずしも社会的が地位が上がる訳ではなく、大学を出ていなくても総理大臣にまで登り詰めることが可能な日本は、学歴社会ではないのです。
学歴が高い方が職に就きやすい、ということもありません。
職を選ばなければ、どんな学歴でも職に就くことが出来るなら、学歴社会とは言えないのです。
世界には学歴がないために、職にすら就けない「学歴社会」もあります。
ですから、先の書き込みで、「日本は純粋な学歴社会ではない」と書きました。
「純粋な」をつけたのは、東大出などの方が多少就職しやすい企業もあるので、その程度の意味です。
法律に書かれてる訳じゃないし、程度概念なので、デジタルに「日本は学歴社会ではない」と決まるわけがない。せいぜいキミが論文テーマとして、自説として提唱できる程度の話。キチンとしたデータセットもないのに話にならない
ずーっと誰にも教えてもらえてないみたいだけど、
中学受験で偏差値だけにこだわってるのは、
中学受験に無関係に生きて来た人だって、
バレバレなんだよ。
公立高校受験と大学受験しか知らないと、
偏差値だけにこだわる考え方になるよね。
無理して話に加わっても、ずっと蚊帳の外扱いされてんだよ。
横やり失礼します。
学歴社会の定義を議論しているのではなくて、高学歴を目指すことに意味があるかどうかじゃないですか?
現実的には高学歴ほど平均年収が高いですよね。
東大と旧帝、早慶では差があるし、マーチ、ニッコマとなるともっと差があります。
細かい話をするなら、無理して東大にいくより一橋や早慶で良いとか言えないこともないですが、高学歴を否定するものではないですよね。
子供の将来を考えるとき、未来は不確定で不安です。
だからこそ、より期待値の高い高学歴を目指すのはごく自然なことだと思いますよ。




































