在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
東大100名削減→国際系新学部設立で渋渋/渋幕/広尾に人気集中か
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
上記、渋渋や渋幕、広尾といった国際系の学校は、東大推薦入試で培ったノウハウが十分にあることから実績を伸ばしそう。これから人気が出るかもね。
では、その「東大ではないどこかで活躍して終わり」という断定めいた感想の根拠は?
そもそも、想像力や創造力、リーダーシップといった非認知的能力を東大がまったく評価していない、あるいは発揮できない場だと考える時点で視野が狭いと言わざるを得ません。
実際には、そうした資質を持つ学生は推薦・総合型選抜を含めて東大にも数多く存在しますし、彼らの多くが官民問わず、研究・起業・国際分野など幅広いフィールドで確実に結果を出しています。
感想なら感想で結構ですが、単なる印象論を繰り返しながらも他人に影響を与えるような言い方をしている以上、軽視できる話ではありません。
想像力や創造性のある人材が東大にいないかのような認識は、明確に誤りです。
傍観者であっても、見えていないならその「感想」自体を省みるべきでは?
公平性に優れる手段を否定する根拠として、「難しすぎるから」というのは論理的に弱すぎます。
難易度が高い=不適切 という結論は短絡的で、むしろ高い知的負荷をかけることで選抜精度が上がるという面も見逃せません。
アメリカのSATが教科書レベルであるのは、そもそも教育の地域格差や人種的・経済的背景の違いが激しいためです。
制度全体の背景が異なる国と単純比較するのは、制度論として粗いです。
日本の大学入試は一律カリキュラム+全国模試というベースの上に成り立っていて、高度な出題も十分フェアに機能します。
東大の数学のような思考系科目は、「処理能力だけでなく、論理的思考の柔軟性」や「問題解決へのアプローチの質」を測れる稀少なツールです。これはリーダーシップや創造性の基礎体力ともなる素養で、優位な人材の選抜手段として極めて妥当です。
「就職後に評価されるのがペーパーテスト」という事実もご自身で認めているように、現実社会でもそれがある程度の有効性を持っている証左では?
結論として、公平性が担保された上で、一定の思考力・読解力・計算力を測定できるツールを否定し、代替案も提示せずに「難しすぎる」とだけ述べるのは議論としては不十分です。むしろ、その「難しさ」の中にこそ真の意味での選抜性と知的価値が宿っているのではないですか?
推薦入試も総合型選抜入試も学力をはかる点で同じなのに、筆記試験のみの一般選抜入試にこだわる理由はわからない。
推薦入試も総合型選抜入試も学力をはかる点で同じだけど、それぞれ違う能力を評価して選抜しているだけなのに。
総合型選抜入試は米国等の入試を参考にしてつくられており、米国等は研究の面でも起業の面でも圧倒的に日本より優れているのだから、そういう入試で選抜した人を東大等の大学に入学するのはいいことだと思うよ。
多様な能力を評価する仕組みが必要だからこそ、東大は推薦入試や総合型選抜入試を導入しているんだよ。
推薦も総合型も、結局は「学力+何か」が求められるだけなんですよ。
むしろ一定以上の学力は大前提で、東大推薦なんて共通テスト9割当たり前、年によっては一般入試より高得点者で埋まることすらあります。論文・口頭試問・面接もあって、「ラクな裏口」どころか詰め込みだけでは太刀打ちできない。だからこそ、逆に敬遠されてるんです。
にもかかわらず「総合型はスクールカーストや内申重視」とか言い出すのは、日本の高校教師の裁量運用の未熟さと制度設計の議論を混同していて、構造批判としては雑すぎます。
そして、アメリカの話になると更にひどい。
「GAFAMにアングラ出身者がいない」って、もうその単語の時点で時代感覚が止まってます。
今、米テック業界の代表格は「Magnificent Seven」と呼ばれていて:
• Apple(AAPL)
• Microsoft(MSFT)
• Alphabet(旧Google)(GOOGL / GOOG)
• Amazon(AMZN)
• Meta(旧Facebook)(META)
• Nvidia(NVDA)
• Tesla(TSLA)
これらの企業の創業者・現CEOたちは、大半がアングラ(学部)でトップスクール出身です:
• サンダー・ピチャイ(IIT卒→スタンフォード院)
• サム・アルトマン(スタンフォード中退)
• イーロン・マスク(UPennアングラ)
• ジェフ・ベゾス(プリンストン)
• ジェンセン・ファン(オレゴン州立→スタンフォード院)
• マーク・ザッカーバーグ(ハーバード中退)
• ラリー・ペイジ&セルゲイ・ブリン(ミシガン→スタンフォード、メリーランド→スタンフォード)
要するに、「アングラは実績がない」どころか、イノベーションの土台になってるのはアングラ教育なんです。
しかも大学院に至る前に中退したり、研究より起業に進んだ人も多い。なので「大学院がすごい=教育がすごい」でもありません。
逆に「IITや清華から来た人がアメリカで成功している」って、それ本国の教育だけじゃ開花できないって証明にもなってますよね。
だからこそ彼らはこぞってアメリカに流れ込む。
制度が変わるたびに「俺たちの時代はこうだった」って声が大きくなるのはいつの時代も同じですが、それって要は自分が得してきた旧来の仕組みが変わるのが気に食わないだけなんじゃないですか。
でも今の社会は、もはや詰め込みだけの「一発勝負」が合理的だった時代じゃない。
その変化を直視できない人ほど、「昔ながら」を絶対視してしまうんですよ。
ちょっと、ちょっと。
アメリカ人はアメリカのアングラ出てるのは当たり前でしょうよ。私の言ったのは、東大より優れた教育をしている名門アングラがあるなら、具体的に出せってこと。
で、キミが自ら挙げたmagnificent sevenには、名門アングラのみの卒業生というのはいないわな?(東大学部のみというのは日本には多数いるのだが)
名門アングラ+名門大学院がベゾスだけな?名門大学院だと、その大学院の功績なのかアングラの功績なのかがコンタミネートして分からなくなるのだけど、名門アングラでなく名門大学院で成功している事例があまりに多くて、名門アングラにほとんど価値がない実証と思えるけどな。
なるほど、「アメリカ人がアメリカのアングラ出てるのは当たり前」なら、日本人が日本のアングラ出て成功してるのも当たり前ということになりますね?
であれば、「東大学部のみで世界的成功を収めた例を出せ」と求めるあなたの論法自体が自己矛盾ではないですか?
それに、「名門アングラ+名門大学院」の構成が多いのは、専門性や研究基盤が大学院に集約されているアメリカの高等教育システムの構造によるもの。
スタンフォードやMITが大学院で有名なのは、アングラが軽視されているからではなく、院が圧倒的に研究予算と施設を持っているからです。
そもそも「アングラの功績と大学院の功績を切り分けろ」って、
成功した人間のどの時期がどれだけ寄与したかを定量的に分離できると本気で考えてるんですか?
「基礎教育に価値がない」と言い切るには、あまりに教育過程をナイーブに見すぎです。
あなたのロジックに従うと、「義務教育の功績か高校の功績かも区別できないから、小中高すべて無価値」とすら言えてしまいます。
あと一点、確認しておきたいのですが、
あなたご自身はどのような教育機関で学ばれたのですか?
あまりにアカデミック全体を見下した言いぶりなので、それなりの裏付けがある方なのだと思いますが。
それに「名門大学院の実績がすごい=アングラには価値がない」と断ずるのは、因果関係を履き違えた短絡的な論理です。
アメリカの大学制度では、優秀な人材は高校段階でトップアングラに進学し、そこからトップグラデュエートに流れていくのが王道ルートです。
たとえば、MITやスタンフォードのPhD課程に進む人材の多くは、ハーバード、プリンストン、カルテックなどのアングラ出身者です。
つまり、大学院での成功は、その前段階のアングラ教育の成果でもあるんですよ。
それを「大学院だけすごい」と切り離すなら、あなたは研究成果を出した大学院生の学部時代の教育や環境をゼロ評価するという、極めて乱暴な主張になります。
実際、スタンフォードの創業者輩出数や起業家輩出数の大半はアングラ出身者ですし、MITのアントレプレナーランキングも学部レベルから支援・育成を行っている制度設計によるものです。
つまり、学部教育の時点で、すでに芽を出し始めている人材が多いんです。




































