在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
東大100名削減→国際系新学部設立で渋渋/渋幕/広尾に人気集中か
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
上記、渋渋や渋幕、広尾といった国際系の学校は、東大推薦入試で培ったノウハウが十分にあることから実績を伸ばしそう。これから人気が出るかもね。
一般入試は学力だけで線引きしているのだから、それなりの確率で人格的問題が発生するのは想定されよう。
学力以外の選抜なら、人格的な問題を激減させなきゃ意味がない。そこでAOより安全な指定校推薦に頼るのが正しいだろう。
ただし、指定校推薦で100人入学させるとしたら、その100校に漏れた学校は2軍扱いになってしまう問題が発生する。
筆記試験のみの一般選抜入試は、今後も激減していくよ。大学は偏差値保つためには筆記試験のみの一般選抜入試の人数をしぼっていくしかないからね。どの大学も増やすことはほとんどなく、どんどん減らしていく。
大学全体でもすでに筆記試験のみの一般選抜入試の枠は4割程度まで激減している。
東大ももちろん筆記試験のみの一般選抜入試の人数をしぼっていく。学校推薦100人、新学部入試100人は序章にすぎない。
東北大と早稲田では筆記試験のみの一般選抜入試の学生より、総合型選抜入試の学生の方が成績がいいので、東北大は筆記試験のみの一般選抜入試を廃止していくことを決めた。
国立大も私立大学同様、総合型選抜入試になっていくだろうね。
君のいうとおり、人格に問題がある人間を排除するためにも、筆記試験のみの一般選抜入試を廃止した方がいい。
おまけに東北大や早稲田では筆記試験のみの一般選抜入試の学生より、総合型選抜入試の学生の方が成績もいい。
これでなんで筆記試験のみの一般選抜入試を続けていく必要があろう。
大学のポリシーやカリキュラム、教育環境などで自由にいきたいところにいけばいい。筆記試験のみの一般選抜入試がなくなれば偏差値もなくなるし、受験勉強のような無駄もなくなる。
米国のように個人個人の能力を最大限ひきあげる教育に転換した方がいい。誰もが6教科8科目、点数を競う仕組みはなくした方がいい。
東大は役人養成学校だったので、筆記試験が重要だったけど、今は独創的な取組等が求められている時代。
みんながみんな同じ科目の点数を競う必要はない。学校の成績で足ぎりして、他に数学等のオリンピック、模擬国連、ビジコン等、自分の関心のある分野で突出した能力を持つ人材が、今の時代は求められているのではないか。
指定校推薦は地方の高校にも割り当てるだろうから、首都圏の私立高への割り当ては少なそう。
貰える学校と貰えない学校の差は何だろう。卒業生が社会で活躍している学校とか?
人格的にいろいろ問題があった学校は弾かれるとか?
一般入試の方が公平公正さが圧倒的。
手間も費用も圧倒的にかからない。
人間が短時間に人を見抜くなんて無理。
何でもかんでもアメリカが優れている訳ではないのに、真似をすれば良いと思っているのは、日本人の白人コンプレックスに過ぎない。
IQは アジア人>白人>その他の人種という研究結果がでている
アメリカで公正に試験をやるとアジア人だらけに
なってしまうから、適当な言い訳を作ったのが今の曖昧な基準の入試方式。
アメリカでは高校生が大学に入るために必死でボランティアを探している
大学に入るためにボランティア活動なんて見苦しい。
寄付金枠やらレガシー枠を作って、大学に有利な選抜を行なっている。
もし日本が推薦入試オンリーにすれば、鉄緑会からAO義塾に塾を変えるだけ。
公正に優秀な層から合格させればほぼ同じメンバーが合格する。
入試にお金や手間をかけるなら、その分研究や中にいる学生の為にお金を使ったほうがずっと良い。
今は東京一工国立医学部の最優秀大学のほとんどが一般入試なので、それらに受かりそうにない人が推薦入試を使っている(全てではないが)
入試形式としては、一般入試が圧倒的に優れていると思う。
毎日新聞の東大学長の発言によると
東大は多様性に欠けるため、入試を多様にして、多様な能力を有するものを選抜していく
ことになる。
そのため、学校推薦や総合型選抜入試を含め、入試の見直しを東大は検討しているということ。
入試制度の変容は、単に「筆記試験か総合型か」という対立軸だけでは語り尽くせません。むしろ、根本には「大学が何を目的として人材を集め、社会が大学に何を期待するか」という、構造的な問いが存在します。
かつての東大は、文部官僚養成機関であり、試験技術に長けた「均質なエリート」を必要としていた。だからこそ、共通一次からセンター試験、そして二次試験と続く一貫した選抜プロセスが成立したのです。しかし、今や社会が求める人材像は多様化し、AIや自動化によって単一的な記憶力や計算能力の価値が相対化されました。
それに応じて、大学側も「自律的に学び、自ら課題を発見し、異文化間で協働できる人材」を志向するようになりつつあります。これを受けてのAO入試や総合型選抜の拡大です。ただし、ここに盲目的に賛成するのも危うい。なぜなら、欧米型の人物評価モデルは、文化資本の偏在を温存・助長するリスクがあるからです。日本でそれをそのまま導入すれば、受験教育の温床が「鉄緑会」から「AO対策塾」に移るだけで、社会的流動性の確保という本来の理念が骨抜きになる。
一方で、筆記試験中心の選抜もまた、深い学問への耐性や知的ストアを保証するものではありません。むしろ「準拠性が高い人材」ばかりを集めすぎて、革新性や起業的行動力を阻害する側面すらある。だからこそ、今必要なのは「知の幅×深さ×動機」の三軸で評価できるような、ハイブリッドな評価制度です。
東大の新学部は、その実験場として最適でしょう。100人規模の選抜であれば、英語面接や多面的評価も制度設計しやすい。問題はこれを拡大する際の「運用可能性」と「公正性」です。日本の大学はアメリカのように数万の出願書類を読むアドミッションオフィサー制度を持たず、推薦やAOを拡大しても、結局は教員の疲弊とバイアスが積み上がるだけになりかねない。
結論として、今の議論は「どちらが優れているか」ではなく、「どちらも限界がある中で、何を組み合わせ、何を守るべきか」という問いに移行すべきです。公平性・学問の継承力・革新性・運用可能性――これらすべてを俯瞰し、冷静に設計することが大学の責務であり、受験生・保護者が望むべき社会像の構築でもあるはずです。
日本は均質なサラリーマンを量産する点で日本の教育は優れていた。欧米に追いつき追い越せの時代はそれでも対応できた。
しかし、今のAI時代では、独創的な取組等をする人間が求められる。大学が学校推薦や総合型選抜入試の枠を増やしてきたのも、良い試み。
課題設定能力やその課題に対応してきたこと等、独創的な取組を評価したり、海外の学生等とコラボして課題解決に取組んだり、優秀な人材がその能力を十分に発揮できるように、
学校の成績で足切りして、あとは
数学等のオリンピック、
模擬国連、
ビジコンで社会課題解決の取組
企業と社会課題解決に向けた取組 等
個々の能力を最大限発揮できるような入試選抜方法にした方がいい。




































