今年入学した高1生が語る青春リアル
東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします
東大は従来官僚養成所として機能してきたのは事実。しかし、今や官僚に人材供給する機能は薄れ、外資系コンサル等に人材供給する羽目に陥った。
官僚は当時新しい産業や企業群を創出しようとスタートアップ育成に注力しようとした。
東大の教員等は、学生の志望先が官僚から外資系に移行した状況を打開するため、国とスタートアップ創出でタッグを組み、大学の研究成果や知財、人材等を活用して、大学発スタートアップ育成に大きく舵をきった。大学を核にしてエコシステムを人為的につくりだすことに国家が支援するようになった。
東大は2030年までに700社の東大発スタートアップを創出する目標を掲げ、松◯研は年間100社の東大発スタートアップ創出を目標としている。
東大だけでなく、大学発スタートアップは着実に増加。外資系コンサル等にいった人たちも優秀な人材はその後起業するようになった。
こうした起業家教育、文理融合、リベラルアーツ等教養教育の見直し、多様な能力の活用、高度人材の育成等に注力するようになった。
こうした改革の方向性については妥当と考えるものの、少子化のスピードは凄まじく、いかに早く大胆に大学が改革するかが問われている。
ご丁寧にありがとうございます。
まさか「詩的知性」と評されるとは思っておらず、少し面映ゆいですが、真摯に受け止めさせていただきました。
私は論争的な場面でもつい手厳しい言葉を選びがちなのですが、ぬらりひょんさんのように、批判や異論に対しても即座に思考で応じ、なおかつ感情的にならず、言葉に柔らかさと深度を保たれている方には、自然と敬意を抱きます。
「坂の上の雲」確かに。
そして、霧が晴れたその先で見えるものが、いまだに雲か、それとも次なる坂か?
そんな問いを語れる場が、こうしてあることに感謝しています。
詩と構造の間を行き来するような対話が、このような場で成立すること自体、貴重な経験です。
今後とも、折に触れて問いを交わせれば幸いです。引き続き、よろしくお願いいたします。
仰る通り、かつての「国家官僚の供給装置」としての東大の役割はすでに形骸化しつつあり、スタートアップ支援や知財活用などを軸に、大学自身が新たな資本形成主体へとシフトしていく動きは、極めて重要な方向転換だと思います。
特に、官から民(そして民から再び大学へ)という価値創出の重心移動は、単なる制度設計ではなく、文化と意識の更新を伴うプロジェクトでもあり、だからこそ時間も摩擦も要する改革でしょう。
一方で、教育や研究の現場に根を張った人々が、その改革にいかに主体的に関わっているか、という視点は常に問われ続けるべきです。数字目標やスローガンの背後にある営みに、もっと光を当てる必要があるのかもしれません。
あと一点、余計なお世話でしたら申し訳ないのですが。。。
最後の「松◯研」のような伏せ字は、文脈上すでに誰を指しているか明らかなので、かえって品位を損ねてしまうような。
バ◯アピール(敢えて)とも取られかねません。何か特別な意図がお有りでしたら別ですが。
特に知的な議論の場では、こういった伏せ方は読み手によっては逆効果になりかねません。ご参考までに。
仰る通り、「外から足りない分を補う」という発想は、労働力政策でも教育政策でも日本の常套手段になってきましたねぇ。
本来は、なぜ中から湧き上がらないのか、という構造の問いこそが必要なはずなのに、「即効性」だけを追うあまり、持続可能性や文化的整合性が置き去りにされている。。。
日本にありがちないつものパターンになってしまいました。「補う」のではなく、「育てる」ことにどれだけ本気になれるか。。。そこが問われているのだと思います。
仰る通り「大学が素通りされている」という現実認識は非常に重要ですね。
特に、日本で学ぶことがグローバル人材への加点にならないという国際的な評価ギャップは、現場の努力だけで埋めるには限界があると思います。
一方で「研究者が改革を」という要請は、少々酷な面もあります。現行制度では、教授会の外に実質的な意思決定権を持つプレイヤー(文科省、大学本部、経団連的ステークホルダー等)が複雑に絡み合い、個々の研究者が改革の主体となるには構造的な制約も大きい。
改革は当然必要ですが、それが単に「教員や研究者がもっと自助努力を」という方向で語られると、既に疲弊した現場には届きません。
重要なのは、改革を「下からの自助」と「上からの統治」の二項対立ではなくて「現場の声を踏まえた制度設計」にどう繋げていくか。。。ではないでしょうか?
その橋渡しの設計思想だと思います。
知の創出、研究力を高めることは大学の使命。日本は論文数は多いもののトップ10%論文数の割合が低く、3年連続世界13位と低迷。
日本の研究機関でトップ10%論文数が多いのはWPI等の研究拠点。外国人研究者が30%以上で国際公募で採用される。
つまり多様な能力、バッググラウンドを有する者が集まることが知を創出する上で不可欠だと広く認識されている。
東大の新学部には、その多様な能力、バッググラウンドを有する人材を集めるために、国際標準に近い入試にして、留学生が受けやすいようにして競争力を高めるとともに、留学生を半数程度にして、学生寮で日本人と留学生が本音で語り合える環境を整備する。
海外の学校のようにボーディングスクール、大学の学生寮、カレッジの機能を果たせるかはわからないが環境を整備しようという東大の意図が読み取れる。
こうした環境を整備することで知の創出、研究力の向上に努めている。
また、国立大をはじめ、大学は国から自立していくべき。財源で国の予算に依存すれば国の意向に逆らうことができない。
大学の研究成果、知財、人材をふるに活用して、大学発スタートアップ、起業家を支援し、上場したら数百億円の資産の一部を寄附してもらう等の寄附金を集める努力、その寄附金等の運用を高める努力、そうした努力が研究費を国に頼らず自由に使えるようになる。
幾人かの研究者がこのスレにもコメントするが、どの研究者も文部科学省の愚痴とか、国から予算くれという愚痴ばかり。企業と共同研究や知財や人材等を生かし、大学は国に頼らず自立していくことが必要。いつまでも公務員感覚な人たちが多すぎる。




































