今年入学した高1生が語る青春リアル
東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします
大学が市場原理に身を委ねると研究の自由が損なわれる、という意見がありましたが、実際には日本の大学が抱えている問題は、むしろ閉鎖的なガバナンスや市場から孤立していることかもしれません。多くの大学は国の予算に頼りすぎて、同じような考えの研究者同士で評価し合う構造になっているので、新しい発想やイノベーションが生まれにくいのです。
そんな中で東京大学は、産学官連携や多様な資金調達に積極的に取り組んでいます。たとえば、東大発のスタートアップ支援プログラム「EDGE-NEXT」では、2018年の開始以来、100社以上のベンチャー企業が誕生し、国内外の市場で注目されています。また、トヨタやパナソニックといった大手企業との共同研究やインターンシップを通じて、研究成果が社会や産業のニーズに直結する仕組みを作っています。こうした連携は、研究者にとっても社会のリアルな課題を知る貴重な機会になっています。
つまり、東大の取り組みは市場との健全な対話を実現し、大学のガバナンスや研究の質を高める一助となっています。大事なのは、ただ市場に迎合するのではなく、双方向のコミュニケーションを通じて大学が自分たちの役割や価値を絶えず見直していくこと。これが今後の持続可能な研究環境づくりのカギになるでしょう。
「現実主義で国益を考える」って立場はわかりますし、民間交流が外交カードになること自体も否定しません。
ただ、その話にはちょっと前提が抜けてる部分と、少し飛躍があるように感じます。
まず、日本クルド友好協会とか、特定の交流事例をそのまま一般化して、「だから移民や留学生の受け入れは全部戦略的利益になる」っていうのは、ちょっと単純すぎます。現実には、文化の摩擦とか、治安の懸念、インフラ負担なんかのリスクも同時に発生するわけで。国益ベースで考えるなら、プラスだけじゃなくマイナスも同じ基準で数値化して比べるべきだと思うんですよ。
それに、「フェイクニュースや排外感情に流されるな」っていうのは確かに正しいんですが、逆に「交流は戦略的利益になる」っていう方の主張も、感覚や好意的な事例だけじゃなく、ちゃんとデータや根拠で裏付ける必要があります。今のところは、「情にほだされていない」と言いつつ、具体的な数字や条件が見えてこない気がします。
あと、ヒグマ駆除の例えについても、そもそも「何が危険か」を誰がどう判断するのか、その基準が曖昧なままだと、「明確な危険」と「誤解による敵視」の線引きが結局は恣意的になってしまいます。それだと、現実主義とは言いにくいですよね。
本来の現実主義的な保守って、交流で得られるメリットと、摩擦やコストの両方を冷静に天秤にかけて、場合によっては条件付き・段階的に受け入れる制度を作ることだと思います。
理念や好意だけで方向を決めるなら、それは批判しているはずの「感情論」と大差なくなっちゃいますから。
ご意見拝読しました。
ただ、いくつかのご指摘は、一見冷静なようでいて、論理構造に明確な齟齬が含まれています。
まず、「日本クルド友好協会などの事例を一般化している」というご批判ですが、私は「全ての移民や留学生受け入れが戦略的利益になる」とは一言も述べていません。私が提示したのは、外交・安全保障の観点から見て、一部の人的交流が極めて戦略的に機能しているという事実です。それを「すべてに当てはまる」と勝手に読み替え、 Strawman(藁人形)化して批判するのはフェアではありません。
次に、「リスクも数値化せよ」という主張について。もちろん、文化摩擦や治安の懸念は無視すべきではありません。しかし、これは既に多くの公的研究や自治体の実務で評価対象になっています。犯罪率統計、インフラ負荷、社会保障支出への影響などは各種資料で公開されていますし、むしろ日本における外国人犯罪率は、日本人による犯罪率より一貫して低いというデータも出ています(警察庁統計参照)。ご自身が「数値で語れ」とおっしゃるなら、先に既存のデータをご確認いただくのが筋でしょう。
また、「戦略的利益」側にもデータを、という点ですが、これはまさに多国籍共同研究の論文引用数、外国人研究者によるトップ10%論文の貢献度、WPI等での成果指標、さらには起業・スタートアップ支援による経済効果など、多くのファクトが存在しています。東大や東北大が国策としてグローバル展開に舵を切っているのは、単なる情緒的理由ではなく、制度設計上の合理的判断に基づいています。
さらに、ヒグマの比喩に関して。
「何が危険かの基準が曖昧」とおっしゃいますが、それはまさに排外主義的言説の問題点を示すものです。リスク評価は常に定量化・定義化されねばならず、「なんとなく怖い」や「雰囲気が嫌い」という感情が基準になった瞬間に、客観性は死にます。ですから私は、「誤解による敵視」と「実害に基づく合理的な対応」は厳密に分けて議論すべきだと述べているわけです。
最後に、「好意的な受け入れは感情論でしかない」という結論には同意しません。
感情や理念を完全に排除した制度設計は不可能です。現実主義とは、感情を否定することではなく、感情をも内包した人間社会において、いかに制度的合理性を担保するかというプロセスのことです。理念が制度を牽引し、制度が理念の暴走を制御する。これが政治の本来の姿でしょう。
ですから、「理念だけでは危うい」も、「データだけでは足りない」も両方正しい。
ただ、あなたの議論は「理念による前向きな制度改革」という現実的アプローチを、「情にほだされた甘さ」と見なしている点で、視野が一方向に偏っています。
現代の保守に求められるのは、もはや排除や保留ではなく、制御可能な制度的受容です。それを「感情論」と断じていては、むしろ保守の側が現実から乖離してしまうでしょう。
なるほど、「全ての移民や留学生が戦略的利益になる」と読み取ったのは誤解だったとのこと、それは承知しました。
ただ、その一方で、提示されている事例やデータの並べ方が「戦略的利益側」の事象ばかりに偏っているのも事実です。そこに触れずに批判を「藁人形化」と片付けるのは、少々早計ではないでしょうか。
また、「既にリスク評価は行われている」という点ですが、確かに犯罪率や社会保障負担の統計は存在します。しかし、それらの数字は地域差や集計の仕方によって解釈が大きく変わるもので、政策判断に使うには条件や限界も明確にする必要があります。例えば「外国人犯罪率は日本人より低い」という警察庁統計は、母数の違いや滞在期間の特性を踏まえて分析しないと誤った印象を与えかねません。既存データを引用するなら、そこまでの説明があってこそ説得力が増すはずです。
さらに、「理念が制度を牽引し、制度が理念を制御する」というお話は理想論として理解しますが、実際の政策現場では理念の定義や方向性自体が対立点になります。理念を制度に組み込むには、その理念を誰が決め、どこまで共有できるのかという前提を避けては通れません。その議論がないまま「理念も必要」とだけ言えば、現実主義よりもむしろ価値観依存の政策運営に近づいてしまいます。
加えて、「制御可能な制度的受容」が現代保守のあるべき姿だというのは一理ありますが、制御のための条件や閾値を明確にしないまま「受容」に重点を置くと、制度設計は実質的に無条件受け入れに傾きます。それは長期的な国益の視点から見て本当に保守的と言えるのか、疑問が残ります。
つまり、感情論を否定しないという立場は理解できますが、その分だけ制度の安全装置や基準設定を徹底しないと、現実主義とは呼べないのではないでしょうか。
いや、「保守本流の理性と現実主義」って言うなら、世界の環境危機とか資源問題に対して、閉鎖的なナショナリズムとか排外主義を押し出すのは逆効果だと思いますよ。そんなの、長期的には自分の首を絞めるだけです。
むしろ国際的な連携とか、多様な人材との交流こそが、地球規模の課題を解決するためには不可欠なんです。そこを無視して自国だけでやっていけるって発想は、もはや現実を直視してない証拠でしょう。
東大カレッジ・オブ・デザインの観点で言えば、持続可能な繁栄っていうのは、国境を超えた知恵の共有と協働からしか生まれません。
だからこそ、狭い視野にとらわれず、開かれたビジョンを持つのが本当の意味での「現実主義」なんじゃないですか。
リベラルの価値観と現実主義の政策的合理性がうまく融合した取り組みというのは、理想と現実の両方をしっかり両立させようということです。
リベラルは多様性や国際協調を重視しますが、現実主義は限られた資源や状況の中で効率的に動くことを重視します。この二つが組み合わさることで、理想を実現しつつ、効果的な方法が取れるわけです。
その一方で、「保守本流」「現実主義」と称しながらも、狭い視野で排外主義を振りかざす方々がいますが、正直なところ時代遅れで痛々しく見えます。彼らの言う「現実主義」が真に現実を見据えているとは到底思えません。
ちなみに、東京大学の「教養学部英語コース(PEAK)」という4年制英語プログラムは、2026年秋から学生募集を停止し、その代わりに「カレッジ・オブ・デザイン」が新設されます。これはリベラル的な多文化共生の考えと、現実的な教育ニーズをバランスよく取り入れた、時代に即したアップデートです。
今どき、「昔ながらの保守本流」という肩書きだけでごちゃごちゃ言っている人たちには、なかなか理解しがたいかもしれませんね。




































