今年入学した高1生が語る青春リアル
東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします
>投稿者: 雑感 (ID:8h9hPmhgit2)
投稿日時:2025年 08月 13日 06:14
>投稿者: meta視点から (ID:ADwFeczIjGs)
投稿日時:2025年 08月 13日 10:08
この書き込みは雑感さん (ID: 8h9hPmhgit2) への返信です
>投稿者: 雑感 (ID:qfVZFgkghPk)
投稿日時:2025年 08月 13日 11:16
この書き込みはmeta視点からさん (ID: ADwFeczIjGs) への返信です
>投稿者: 残念 (ID:S/MedXpydwI)
投稿日時:2025年 08月 13日 12:54
この書き込みは雑感さん (ID: qfVZFgkghPk) への返信です
あー。 GPTでしたか今後はレスはご遠慮させていただきます。失礼します。
そもそも「雑感」さんは返信先を指定せずに投稿しているのに、「meta視点から」さんは勝手にレスしておきながら、都合が悪くなると「今後は返信しない」と言い出すのは、まるで自分から火の中に飛び込んでおいて火傷したら「痛いからもうやらない」と言い訳しているようなもの。
しかも、最初の投稿がAI(かどうか知らないけど)だと見抜けなかった時点で、論破されるのが嫌だから逃げ腰になっているのが丸わかり。
そういう無責任で姑息な態度が、議論の場をますます軽薄にしているんですよね。
「投稿者: meta視点から (ID:ADwFeczIjGs)」にとって、エデュは承認欲求を満たす場。
論破されることなど、あってはならない。
でも、「投稿者: 質問 (ID:Rqbv7uQml4o)」というファンも獲得できたようだし、目的達成でしょう。
「雑感」さん、別におかしなこと言ってるわけじゃないと思うんだけどね。
昨日も、不自然な大量削除。
「雑感」さんの投稿、もしこれが理由もなく削除されるなら、もうエデュ板での言論統制疑うしかないだろ。
まともな議論すら許さないようじゃ、ここも終わりだな。
以前の大量削除は、「二俣なんちゃら」さんが完膚なきまでに論破されて、もう降参したからだろ。自分の思う通りの流れに持っていこうと必死だったのに、あっさりやり込められてギブアップ。だから削除か削除依頼したってだけの話。
さらなる多様性をもたらすことが使命として、「キャンパス内だけでも、東京だけでもなく、日本の各地にまで届けられるように計画」と東京大学新聞に掲載されていましたが、着実に進んでいるようですね。
8⽉23⽇(⼟) 14:00-15:00 ⽇本語 秋⽥県労働会館フォーラムアキタ
8⽉24⽇(⽇) 10:00-11:00 ⽇本語 卸町会館 (宮城県仙台市若林区卸町2
おっしゃる「地球規模の課題には国際的な協働が必要」という主張、もちろん異論はありません。国境を超えた連携と知見の共有が重要なのは言うまでもなく、私自身、その前提に立った上で議論をしています。
ただし、一点冷静に申し上げると、「ナショナリズム=閉鎖主義、排外主義」という短絡的な連想は、少々乱暴です。
ナショナリズムとは本来、国家や国民の主権を尊重し、持続可能な社会を内部から支える枠組みのこと。自国の安定や秩序を前提としたうえで、他国との協働を現実的にデザインする態度こそ、真の現実主義です。
一方「国際協調」という言葉が、国内の制度疲労や社会的負荷への目配りを欠いたまま使われると、理想が独り歩きし、逆に地に足がつかない形になります。
その点、「多様性は理想だから無条件に歓迎する」という姿勢は、持続可能性を志向するどころか、逆に社会的摩擦を長期的に増幅させるリスクもある。そこを冷静に見据えるのも、保守本流の視座でしょう。
東大のカレッジ・オブ・デザインの試みは非常に興味深く、国際社会に向けた人材育成の一環として、私も期待しています。ですが、「だからこそ」問われるのは、理念と現実の橋渡しです。
開かれたビジョンと、内政への責任。どちらが欠けても「現実主義」とは呼べません。
「理想と理念のためには、国内の疲弊や反発も仕方ない」と考えるのではなく、理念を実現可能な制度に落とし込むために、ナショナルな枠組みをどう維持し、どう適応させるか。
その問いに向き合うのが、「保守本流の理性と現実主義」なのだと、私は考えます。
情報ありがとうございます。
確かに、紹介イベントやワークショップが地方開催されるのは象徴的ですね。メディアで報じられているように「多様性を届ける」という言葉は非常にキャッチーですが、そこに「どのように」と「何のために」を伴わせられるかが、真価の分かれ目になると思っています。
個人的に感じるのは、「多様性」という言葉が一人歩きしやすい時代だからこそ、理念と現実をどう橋渡しするかが本当の挑戦だという視点が重要かなと。。。
東大が社会に開かれた大学を標榜し、各地に出ていくというのは大きな一歩ですが、それが単なる発信に留まらず、地域社会とどう接続され、具体的にどんな価値をもたらすのか?
東京という重心を持つ大学が「地方で多様性を届ける」と言ったとき、それが上意下達的にならないか、地元の文化や価値観とどう調和するか?
そのあたりも含めて、真に「持続可能」なものになっていくかを見守っていきたいです。
理想を描くことと、理想を持続可能な制度に落とし込むことは、まったく別の難しさがある。
デザインを冠した学部だからこそ、その両立に本気で取り組んでもらいたいと願っています。一応OB端くれとして。




































