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東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?

【7697918】
スレッド作成者: 東大王 (ID:nMjSBSRGBB.)
2025年 08月 06日 17:57

東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」

入試概要:
A方式(50名)
 *大学入学共通テストの結果
 *高校の調査書(または成績証明書)
 *エッセー
 *東大が指定する英語試験の結果などの書類
 *英語による面接

B方式(50名)
 *東大が指定する国際的な統一試験の結果
 *複数の提出書類
 *英語による面接


特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします

【7700326】 投稿者: meta視点から   (ID:xqsZCb881R2)
投稿日時:2025年 08月 14日 10:25

石鹸と熱帯、そして優先席。。。「他者」と共にある社会の予感。。。

先週、ギリシア・イアに行っていた。

もう何度目か分からない訪問で、青いドームのフォトスポットの行列に並ぶこともない。だが、あの町はいつ行っても変わらない。地中海の光に白と青が静かに呼吸するように溶け込む、まるで時間そのものが緩やかにたわんでいるような場所。

気温は30度に届かず、風が吹けば肌寒いほど。今回の目的の一つは「marika」(マリカ?マライカ?買っているが正確に読めない 笑)という現地のオーガニック石鹸。
たまたま買って気に入り、もうずっと使っている。日本では見かけない。いや、探せばあるのかもしれないし、Webページもあるので、ネット購入できるのかもしれない。が、たかだか7、8€、千円程度の石鹸を買いにギリシアへ行くという、旅の言い訳が心地よい。

白と青の町に通ううち、ピンクだった私の髪はブルーに変わり、白だけだった好きな色も、自然と「白と青」に変わった。些細な変化だが、こういうものこそ旅の本当の土産なのだと思う。

その余韻のまま日本に帰ってくると、まず出迎えるのは、まるで熱帯と化した湿潤な空気。
そのねっとりまとわりつく空気は、サントリーニで馴染んだ石灰と風との落差でより強烈に感じられる。
そして今週は大阪。三拠点生活をしている私は、関西にも定期的に滞在しているのだが、暑い季節に外出することはほとんどない。ましてや観光地など。だが、今年は何の気まぐれか、お盆の万博、USJ、海遊館という、暑さと混雑の三重苦へ自ら足を運んでみた。

今週は、関東で40度超えが連続した異常な暑さに比べれば、若干最高気温が下がったぶん、少しマシに思える瞬間もなくはなかったが、基本はどこもずっと灼熱。曇っているのに暑い。

ただ、水系イベントの多いUSJは、意外にも、かなり過ごしやすかった。問題はその帰り、西九条駅での一場面だった。

大荷物を抱えた中国人の親子が、電車のドアが開いた瞬間、優先席へまっしぐらに駆け込み、家族全員で占拠。見たところ健常者。もちろん外見では分からない。周りの日本人も皆一様に苦笑する「あの」雰囲気。この種の光景が「ヘイト」の種になるのだという思いが一瞬よぎった。

が、次の刹那、父親と思われる男性が何かに気づいたようで、すっと立ち上がり、家族を促して席を空けた。その瞬間、少し驚き、そしてどこか感心させられた。

その空いた席には今度は、日本人のおばちゃん4人組、関西のオバハンだろう。「ここ空いとるで〜」と即座に座った。おそらく、こちらも健常者。

だが今度は、誰も彼女たちを責めない。
そこには、ルールがあるようでなく、道徳があるようで個人的で。。。公共性と私的欲求が微妙に交差する、日本的なグレーゾーンが、確かに横たわっていた。

この小さな場面を、私はしばらく反芻していた。

いま日本では、外国人労働者、クルド人、在日コリアン、中国人観光客など、さまざまな「他者」に対する排他的な感情が周期的に噴き出している。秩序の乱れや国益の毀損といった表層の言葉の背後には、実のところ「変化していく公共空間」への戸惑いが広がっている気がする。

外国人が増えること、東大がグローバルサウスから積極的に留学生を受け入れるという動き、言語や参政権の議論、そして参政党のような「日本人ファースト」を掲げる政党の台頭。。。どれも、「我々の社会に、異なる価値観をどう迎え入れるのか」という問いに連なっている。

USJの余韻と、石鹸の香りがまだ残るなか、ふと思った。「公共」と「多様性」をどこまで日本社会が本気で内面化できているか。

多文化共生とは「みんな仲良く」などというスローガンではない。異質な論理や作法、行動原理に違和感を覚えながらも、それを咀嚼し、共存するための持続的な訓練なのだ。そしてそこでは、ルールや制度以上に、「あいだ(間)」への感受性が問われる。

「間」、あるいは「余白」。それは日本文化がかつて大切にしてきたものだ。日本画において、あるいは庭において、「間」とは単なる空白ではなく、意味が濃密に宿る空間だった。だからこそ、ゴッホをはじめとする多くの西洋の芸術家が日本美術に魅了された。

だが、いまこの国に、その「間」を尊ぶ余裕は残っているだろうか。察しと思いやりという名の精神的余白を、私たちはどれだけ保持できているのだろう。

ギリシアの白と青の都市の静謐な秩序も、日本の熱帯都市で見た騒然とした混沌も、どちらも「他者との共存」という名の、異なる文明のかたちなのかもしれない。

けれど、「異なるもの」と交差する覚悟を、私たちは持てているのか。それを「迷惑」と切り捨てず、「更新」と捉えるだけの想像力を持ちうるのか。

1000円の石鹸を買いにギリシアへ行く旅路と、西九条駅でのささやかな出来事。そのあいだには、この国の未来を問う鍵が、確かに挟まっていたような気がする。

白と青、そして湿潤な熱帯の街。。。今日も暑い。

【7700332】 投稿者: meta視点から   (ID:xqsZCb881R2)
投稿日時:2025年 08月 14日 10:38

ペニントン教授さま

ご丁寧なお返事、そして深い共感にあふれたお言葉、ありがとうございます。

ロンドンでのご経験が、この構想にどれほど血肉を与えているか。。。その点を再度、感じさせていただきました。

文化的摩擦の中にこそ創造の芽があるというお考え、まさに柳沢先生の姿とも重なり、深く腑に落ちます。あの「沈黙を待つ力」「言葉にならないものを、言葉になるまで見守るまなざし」。。。それこそが、教育の本質。スタジオライフのような場が、その静かな錬金術を可能にしていくのだろうと想像します。

700件もの応募があったという事実には、正直、驚きとともに、ほっとさせられる思いでした。理念を共有し、その実践に自ら飛び込もうとする人が世界にはこれだけいる。これは、単に制度を変えるというよりも、何かがいままさに、確かに動いているという実感を与えてくれます。

同時に、だからこそ思うのです。理念や制度といった上からの変化と、現場の肌感や葛藤といった下からの声のあいだに、丁寧な翻訳者が必要なのだと。構想を咀嚼し、日々の実践に落とし込んでいくその作業は、時間がかかるし、時に孤独でもある。その「粘り強い翻訳」を支える文化こそが、本当の意味での「持続性」を決めるのではないでしょうか。

願わくはこの試みが、新しい何かを希求する人びとのエネルギーだけでなく、いまここにいる人びとのまなざしや手触りをも、ちゃんと包み込んでいきますように。

引き続き、静かに応援しつつ、こちらも足元から考え続けていきたいと思います。

【7700343】 投稿者: 生き残るために   (ID:PPlxIBPBajE)
投稿日時:2025年 08月 14日 11:14

日本社会で多様な能力やバッググラウンドを有する人材を包摂していくのは極めて困難な課題。

しかし、それを実現していく取組は少子化社会の日本において必須の課題。

今、日本人でさえシンガポール等のインターや海外のボーディングスクールに通学したり、国内においてもボーディングスクール、インターが次々と開校して、日本の教育を受けない日本人が増えつつある。

これは日本人の保護者が今まで受けてきた日本の教育は正しかったのか?、自分の子どもに日本の教育を受けさせたいか?という問いに違うよなという保護者が増えているということ。

また、インターナショナルコースを設定する国際系の学校が増えて、人気が高まっている。こちらはAP等学べることで日本の教育と海外の教育の折衷のような学校も増えつつある。

インターや国際系の学校等で帰国生や留学生と学ぶことで多様性の包摂は中等教育でも徐々に広がりつつある。

こうした中、日本の高校生が米国アングラを目指す人たちが優秀な人材ほど増えている。東大や日本の大学も多様な能力やバッググラウンドを有する人材を包摂していかないと素通りされてしまう。

特に、日本の大学の学部やJTC等の日本企業は対応が遅れている。このような変化を踏まえた対応、多様性の包摂をしていかないと潰れていくだろう。

当然、英語授業、留学生や外国人の受け入れ、学生寮の整備等の環境を整備するというだけでなく、日本の教育そのものを変革していく必要がある。

また、新卒一括採用、メンバーシップ型、終身雇用等を含む日本の企業そのものの変革もしていく必要がある。

というか、少子化の進行は凄まじく大学等の学校は優秀な留学生等を受け入れていかないと潰れていくし、日本の企業も日本人を採用できなくなるので、強制的に変革していかないと潰れていくだけ。その危機感をどれだけ持って改革を早急に実施していくかが重要。

【7700350】 投稿者: 先を読む力   (ID:.AObjQcSAHU)
投稿日時:2025年 08月 14日 11:48

> 今まで受けてきた日本の教育は正しかったのか?、自分の子どもに日本の教育を受けさせたいか?という問いに違うよなという保護者が増えているということ。

20年前、国際系を重要視した学校が出始めた頃、別学からの看板の付け替えと揶揄されていた学校群は、紆余曲折ありながらも結果が出し始めている。また伝統校と言われる学校の中にも近年英語を重視した入試改革を行う学校も出てきたことから、先を読める学校や保護者から動いていることが分かる。

【7700373】 投稿者: meta視点から   (ID:t/kKGvCysqU)
投稿日時:2025年 08月 14日 13:18

うーん。
生き残るためにさんのご指摘、まさに核心を射抜いておりますね。

教育という制度が、かつては国家の均質な国民を育成する装置として機能していた時代、その惰性を未だ引きずったまま、日本の多くの教育機関は、世界の構造変化に対して鈍感であり続けてきました。いや鈍感過ぎる現状を肯定し続けてきたと言うか。

いまや問われているのは、包摂できるか否かではありません。包摂できなければ終わる、それが前提条件となっている。そのフェーズにもう突入していると言う認識如何が分水嶺となっています。

中等教育レベルですら、親世代の教育観を超えて、子どもを外に預ける動きが加速しているご指摘の事実は、単なる流行りではなく、制度不信への静かな投票行動と言えます。

インター、ボーディングに子どもを送り出す行為は、日本の教育に対する無言の棄権、或いは見限りに他なりません。

これは、教育だけにとどまりません。企業構造そのものが、旧い教育モデルと共依存関係にある以上、変革は必然ではなく、もはや生存条件。

メンバーシップ型、終身雇用、新卒一括採用といった昭和的雇用のパッケージは、もはや人口統計的にも、思想的にも、支えようがない。

にもかかわらず、その制度の内側にいる者たちが、その構造が崩れるという未来像をまだリアルに描けていない。この認識遅延こそが、日本社会の最大の脆弱性でしょう。

留学生を受け入れる、英語化する、寮を整備する。。。そうした上辺だけの多様性受け入れも、当然必要ですが、それだけでは機能しません。本当に必要なのは、制度そのものが内在的に異質性を受け入れ、共に生成しうる論理と文化を持てるか、つまり、異物を外から取り込む包摂ではなく、異物を前提とした内側からの生成力を持てるか否かです。

その意味で、教育の改革とは科目、言語の話でなく、世界観の再定義で、何を教えるかではなく、何を世界の問いとして共有可能かという、極めて根源的な知の変革。

もう、選ぶ時間は残されていない。
日本は今や、自らを変えるか、世界から滑り落ちるかの分岐点に立ってるといえます。

そしてその変化は、誰かがやってくれるものではなく、私たち一人ひとりの想像力と選択の問題として、目の前にあるのだと思います。

【7700380】 投稿者: meta視点から   (ID:t/kKGvCysqU)
投稿日時:2025年 08月 14日 13:33

先を読む力さんのコメント、的確に過去と現在の接続点を浮かび上がらせていると感じます。

20年前に「看板の付け替え」と揶揄された国際系校が、いまや結果を出し始めているという指摘は、模倣すら時間と覚悟を通せば変革になり得るという、日本的改革のプロセスを象徴している事象のように思います。

変わろうとする最初の動きは、しばしば軽いと見なされ、矮小化される。が、重要なのは「変わる」という意思を内包した制度や実践が時間の中でどのように自律的な進化を遂げるかという点。

皮肉にも、付け替えから始まった変化が、やがて教育観そのものを揺るがす波になっている。この不可逆性に、構造変化のリアリティが潜んでいるのではないでしょうか。

そして注目すべきは、やはり「動いているのは誰か」です。
伝統校でさえ、自らの文化資本を疑い、入試改革に踏み込む。これは単なる受験戦略ではなく、教育の受け手と送り手のあいだで、「学ぶとは何か」という定義そのものが変質してきていることを示唆しています。

教育とは、常に過去を正当化する装置として機能してきました。しかしいま求められているのは、未来に必要なもののために、過去の規範をいかに手放せるかという覚悟を問うという、極めて逆向きの運動です。

つまり、伝統に立脚しながらも、既得権ではなく可塑性に賭ける勇気を持てるか。この選択こそが、教育の世界でもっともシビアに問われている問いだと思います。

だからこそ、動き出した学校、そしてそれに応答し始めた保護者は、単に「先を読んだ」のではなく、時代の肌感覚を生きている存在なのだと感じます。

素晴らしい視点、ありがとうございました。

【7700393】 投稿者: ななし   (ID:dfKuEn5COV.)
投稿日時:2025年 08月 14日 14:31

コメントどうもです。

>教育の本質はそこにあるべき「問いを生み出す力」「意味を編み直す力」をどう育むかにこそあるのではないでしょうか。

はい、そのとおりと思います。
ただ、新学部の具体的なミッションがどのようなものか、個人的にはよく知らないです。
新しい時代に適合した学問を開拓するのかな。
AIが東大理科三類の合格点を超えるようになったので、これまでの受験勉強に対する考え方は変化させるべきですね。
これまでの勉強もすべきですが(電卓ができたあとも四則演算はできるようになったほうが良いのと同じで)、これからはAIをどう使うか、AIをどう改良していくか、が大きなテーマになりますね。
まだ体系だってないので、何でもありな世界な気がしますが、だからこそ上手くやれば世界に先んじるかもしれないですね。

個人的には、chatGPTのAPIなるものを使って、大量の論文の要約するアプリを作りました。
Pythonの何たるかを全く理解していないのですが、それでもPythonプログラムをchatGPTに作らせることができました。
これが、とても便利で役に立ってます。
テレビCMで「文系管理職なのに、ささっと作れちゃう、オレ」というフレーズがありますが、まさにあんな感じです。

おそらくですが、FXの相場を読むプログラムも割と簡単に作ることができるような気がしてます。
僕のグループのポスドクくんが、そういうの作ってるみたいだったので(趣味で)。
「実際儲かってるの?」ときいたら、「少しだけ」と返事が来ました。

知り合いの先生は、自分の専門でAIを(少しだけ)使った研究をしてましたが、今は、AIを使ったビジネス(ちょっと聞いた限り、専門分野とは関係なさそう)を展開しようとしてるみたいです。

何でもありの世界ですね。
こういう世界をうまく切り開いたり渡り歩いたり出来る人材を育成していくのが、新学部のミッションなのかな、と想像してます。

ギリシャは僕は行ったことないのですが、楽しそうですね。
マスターキートンの第一話が、ギリシャが舞台でした。
きっと興味深い国なんだろうな。

【7700399】 投稿者: ぬらりひょん   (ID:Rxq62NXm5eQ)
投稿日時:2025年 08月 14日 14:41

「日本を今一度、洗濯いたし申候」という坂本龍馬の名言がありますけど、
これは、彼と彼に続く維新の志士たちが、それまで日本に存在しなかったナショナリズムを醸成し、それを基盤に国民国家を形成していったときの意気込みを詩的に表現しています。

今は、彼らが創成したそのシステムも賞味期限切れを迎え、グローバリズムの時代に対応した新たなシステムの構築が求められているということだと思います。

Metaさんには、その「詩的知性」を存分に発揮していただいて、新時代の坂本龍馬になったおつもりで「日本を今一度、洗濯いたし申候」に匹敵する新時代のキャッチフレーズを作っていただきたいな、と思っています。

大前研一の「ガラガラポン」というのもありますが、あれじゃあ、いかにも響きが軽い。笑い

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