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東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?

【7697918】
スレッド作成者: 東大王 (ID:nMjSBSRGBB.)
2025年 08月 06日 17:57

東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」

入試概要:
A方式(50名)
 *大学入学共通テストの結果
 *高校の調査書(または成績証明書)
 *エッセー
 *東大が指定する英語試験の結果などの書類
 *英語による面接

B方式(50名)
 *東大が指定する国際的な統一試験の結果
 *複数の提出書類
 *英語による面接


特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします

【7701269】 投稿者: meta視点から   (ID:OF.ea63DGrk)
投稿日時:2025年 08月 17日 00:09

(まとめ)

東大の新設学部CODについて、現場の混乱や制度面の不透明さが指摘されている。現行の10月入学英語コースPEAKを「発展的に解消する」というが、具体的に誰が授業を担当し、入試制度がどうなるのか明示されておらず、特に駒場キャンパスの現場は制度変更に振り回されている状況が続いている。

応募者は日本語を母語とする親を持つ学生や中国・韓国をはじめとした東アジア圏が中心で、英語での授業だけではなく、むしろ日本語能力の重要性が高いとの指摘もある。

加えて、突出した業績を持つ教員を特別待遇で外部から招くことはあっても、一般の教員には負担が増すばかりであり、法人化以降の改革で教員が研究に充てられる自由時間が奪われている現実も見逃せない。

教育体制については、世界中からトップレベルの教員を英語で集めるという意気込みがあるが、そのためには一般的な国立大学の給与体系を大きく見直し、他の教員の何倍もの報酬を用意しなければならない。

文理融合の学部は何を学び、どんなスキルが身につくのか不明瞭で、学生の将来の就職先についても具体的な展望が示されていない。日本の大学が世界のトップ大学と競い合うには、教員の給与や学生の授業料、教育コストを数倍に引き上げる必要があるが、現状でそれが可能かは未知数だ。

また、国立大学法人制度の枠組みを利用しているが、そもそも誰のためにどのような教育を目指すのか、対象は誰かという根本的な問いが曖昧である。

母国語能力が低下するリスクを伴う英語教育推進の是非は重く受け止められるべきであり、歴史的に言語と宗教を奪うことが支配の手段であったことは忘れてはならない。税の役割についても原則が曲げられてはならない。

一方で、学士と修士を統合し、全寮制のもと英語教育を行い、多様な学生が協働して実社会の課題に取り組む教育構想は革新的であり、スタンフォードのd.schoolに通じる先進的な試みとして高く評価されている。

知識獲得にとどまらず、社会を動かす力の育成を目指すという観点からは、日本の大学教育の転換点となる可能性を秘めている。

こうした状況を踏まえ、東大新学部の構想は多面的な課題と期待を併せ持ち、具体的な運営や方針の策定が成否を左右する鍵となる。

【7701276】 投稿者: meta視点から   (ID:/iy0wOPIiSs)
投稿日時:2025年 08月 17日 00:27

移民が起業や改革の担い手になるのは、能力そのものというより、「常識の外」に立てるという構造の問題だと思います。

文化に根ざした問いの盲点を突ける、その余白がある。だからこそ、移民の比率が高い環境では新しい問いが生まれやすいし、それを受け止める社会的想像力も育つ。以前仰っていた「背水の陣で生きる人間が持つ突破力」にも通じる話です。

その意味で、ペニントン教授のような人材が東大に風を吹き込むことは、象徴的かつポジティブな試みだと感じます。
ただし、それを本当の意味で制度として受け止められる土壌があるかどうかは、また別問題です。

例えば今回の「College of Design」構想では、言語の運用、教員採用、学生層、カリキュラム設計、就職先。。。多くが未整備で、思想の輸入だけが先行しているようにも見えます。

移民が発する問いの価値は高くても、それが属人的にしか機能しないならば、いずれ異分子として吸収されるか排除されるのがオチです。

過去にも申し上げましたが、日本では文化的な規範として守ることが良しとされてきた。東京一科国医で利確という価値観は、単なる教育の問題ではなく、社会の設計図そのものに組み込まれている。そこに一石を投じるなら、制度設計だけでなく、社会が許容するリスクと失敗の形を問い直す必要があります。

問いを立てる力が制度に殺されないために、構想を制度に還元しないまま問いの持続性を担保できるか。。。

この試みがその分水嶺になるかもしれませんね。

【7701298】 投稿者: ななし   (ID:j5HhPeqryuI)
投稿日時:2025年 08月 17日 07:19

少し真面目に進学部構想について勉強してみた。chappyにも助けてもらった。
以下が、現在の私の理解です。
------
新学部名称に含まれるワード「デザイン」は、研究や制度、社会の仕組みを構想する広義のデザインを意味している。そのような広義のデザインは、これまで東大をはじめ多くの大学の研究者たちが実践してきたものであり、全く新しい発想というわけではない。ただし、新学部では特に学際的な視点をもって社会課題の解決を意識することが強調されている。これは必ずしも応用研究に限定されるものではなく、基礎研究であっても社会的文脈との接続を意識する姿勢が求められる。新学部の運営には、この理念に賛同する教員が協力していくことになるだろう。

学生の立場から見ると、これまでの東大生は「社会課題の解決」を意識するのは主に大学院以降であり、それまでは専門分野の基礎学習に重点が置かれてきた。新学部では、学部の早い段階から社会課題への意識を育てる教育が行われ、学生は「社会課題の解決」を志向した学びを受けることになる。入学段階でも、社会的課題への関心や問題意識の高い受験生が選抜される可能性が高い。

さらに、新学部には多くの外国人留学生と外国人教員を受け入れることで、国際化と多様性を推進することが構想されている。これにより、研究力の単なる強化というよりも、教育・研究の両面で国際的で多様な視点を取り入れ、知を融合させる新しい学問環境の創出を目指すものと考えられる。

【7701320】 投稿者: 生き残るために   (ID:HS8Yh1uRFBs)
投稿日時:2025年 08月 17日 09:07

日本の場合、ほとんどの人が学士で卒業、理系でも修士。日本の教育は、それまで基礎知識や体系的な知識の習得とその応用の習得に終始。

多くの人が体系的な知識の習得等のみで社会に出ていくこととなり、体制や組織に順応し、疑問をもってもその解決や取組等をどうして良いのかもわからず過ごすことになる。日本が衰退したのも、日本の教育に一因があり、今のAI時代にこのような教育を続けていくのが良いのか疑問を持つ保護者が多くなっているのは理解できる。

米国等の教育では、幼いときから、なぜ?と問われ続ける。クリティカルシンキングを身につけ、考える力を学ぶ。

結局、日本の教育は体制に順応する人間を量産してきたし、実際サラリーマンや役人を量産してきた。挙げ句の果てに米国の起業家、経営者の外資系コンサル等に東大生すら殺到するようになってしまった。

東大の新学部の試みで日本の教育そのものを問いなおす契機となればいい。

【7701325】 投稿者: ななし   (ID:j5HhPeqryuI)
投稿日時:2025年 08月 17日 09:39

おおむね同意。
これまでも教育熱心な家庭では、幼いころからクリティカルシンキングを大切にする教育は家庭内で行われていただろうと思う。
体系的な知識の習得のみでは足りないけど、体系的な知識の習得を疎かにしては、その先、社会課題の解決は難しいのではという気はする。
しかし、おおむね同意で、より多くの家庭にクリティカルシンキングの重要性を理解してもらうことと、体系的知識の習得と並行して社会課題の認識することも重要になるのだと思う

【7701327】 投稿者: meta視点から   (ID:.bLdgjT9vKw)
投稿日時:2025年 08月 17日 09:40

丁寧なまとめ、拝見しました。
一読して思ったのは、広義のデザイン、社会課題の解決、国際化と多様性というキーワードが、新学部構想の中心軸として整理されているという点。これはおそらく、東大側のメッセージ設計が比較的明確だという証拠でもあるでしょう。

ただ、ここで一つ補助線を引いてみたいのは、このような構想が果たして既存の学部制度では本当に不可能だったのか?という点。

たとえば、学際性や社会課題への接続、あるいは多様性の受け入れといった要素は、既存学部や大学院の教育課程においてもすでに着手されていた筈。

それらとの連続性及び断絶性がどの程度あるのか?

そして社会課題や国際性という言葉は、耳障りの良い理念である反面、その内実をどう教育と研究に落とし込むかという設計力が試されるとも思う。

これは単なるスローガンで終わるリスクも十二分に孕んでいます。

制度的な新しさだけでなく、この学部だからこそ育つ人材像は何かという具体性が今後問われていくのではないですかね。

私たちが議論すべきは、おそらくそこではないかなと思います。

【7701331】 投稿者: meta視点から   (ID:9ra5mt9Vb6s)
投稿日時:2025年 08月 17日 09:52

興味深い論点がいくつか含まれていたので、整理して投げてみます。

修士と終始は、敢えての韻踏みですよね?笑
こう言う議論でのそういう遊び、個人的にツボです。

さて。
日本の高等教育の出口のほとんどが「学士止まり」、理系でも修士で完結してしまう構造。そこではあくまで既知の知識の体系的インストールが中心。未知への踏み出しはカリキュラムの前提としてすら置かれていない。

非常に鋭い指摘だと思う。

当然、卒業生の多くはそのまま社会という、既にある仕組みにスライドしていく。疑問があっても、それに対してどうアプローチすべきかという思考様式や対話回路を持たぬまま、組織の一部に収まっていく。これは、個々の怠慢ではなく、制度がそう設計されているのだからそうならざるを得ない。

しかしながら、米国型の教育には、常に「なぜ?」と問い返されるプロセスが組み込まれている。
自分の答えに向き合うことが学びで、問いを持つこと自体が歓迎される文化。

だからこそ、彼らにとって起業や転職すら、必然のステップとして地続きで機能する。日本のように一度社会に出たら長く同じ文脈の中で泳ぐことが前提になっているのとは、根本から構えが違う。
まあ、日本でも流石にこの発想はもう消えつつありますが。

AI時代になって、この日本型教育の限界に保護者層すら気づき始めていることは見逃せない兆候だと思います。

そして、今回の東大新学部は、まさにその構造的な問いを、形式と制度を通じて外から突き崩す試みであるようにも見えるのです。

ご意見を拝見し、私が問いとして感じたのは

東大の新設学部は「異質な形式」を導入することで、日本の教育における順応設計に一石を投じる契機となり得るのか?

逆に、制度の見た目が変わっても、最終的に従来の出口(就職先や評価軸)に吸収されていく可能性はないのか?

自ら問い、考えるという教育文化は、制度だけで移植できるのか?

本当にうまくいの?と言う冷笑で済ませるには惜しい問いかなと。

皆さま、どう思われるでしょうか?

【7701395】 投稿者: ななし   (ID:Zs0obT2Ri6s)
投稿日時:2025年 08月 17日 12:22

>ただ、ここで一つ補助線を引いてみたいのは、このような構想が果たして既存の学部制度では本当に不可能だったのか?という点。

可能と思います。
前期教養課程は、広く社会課題を学ぶ、という趣旨に合うし、実際全学ゼミではそのような趣旨の講義もあるのじゃないかな。
ただし、既存のカリキュラム(必修や選択必修など)がしっかりしてるので、学際的なものや社会課題の認識を既存のカリキュラムに取り入れるのは、ゆっくりとしたスピードになると思う。
ある程度のスピードで新学部構想の理念を教養課程全体に徹底しようとすると、もしも失敗した場合の影響が大きいと思う。
なので、テスト的にミニ東大を作ってみよう、ということなのだと思います。

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