今年入学した高1生が語る青春リアル
東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
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>制度的な新しさだけでなく、この学部だからこそ育つ人材像は何かという具体性が今後問われていくのではないですかね。
米国では新卒一括採用という考え方がなく、新卒にも即戦力が求められますね。
なので、(よく知りませんが)、大学も即戦力になるような人材育成をある程度想定した教育をしているのだろうと想像します。
PhDコースは、私の知る理学系では、普通にアカデミックな教育(というか研究指導)をしていますが、ひょっとして、日本よりは社会課題にも目配りした研究指導をしてるのかもしれませんね。
これに対して、日本の企業は、新卒一括採用を行なっていて、新入社員は入社後一から教育する、と聞いています。
東大新学部では、企業の即戦力になりやすい人材を輩出したいのかな、と思います。
個人的にはいろいろ思うところはありますが、新しいことを試すのは良いのではと思います
>米国では新卒一括採用という考え方がなく、新卒にも即戦力が求められますね。
ですね。そして、その即戦力の定義自体が、日本とアメリカで根本的にズレているのだなと感じたエピソードがあります。
私の知人で、内燃機関とサスペンションの研究をしてアメリカの大学を出た人物がいます。いまはなんとGoogleにいます。
彼曰く、Googleレベルの最先端企業になると、採用面接に短パンにアロハシャツ、ビーサン姿で面接に現れるとか。
さすがにどう他で聞いてもそんな話はなく、騙したでしょ!と怒ったのですが、上ジャケットに下短パンは実際に過去にいて、しかも採用されていると。ジーンズで来る人も珍しくないって、これも本当かどうかわからないですけど(いつもからかわれているので)、この話が出る時点で、日本なら秒でウソってバレて成立しないですから。このエピソードが文化の違いというか、両国の差を端的に示しているなと思いました。
もちろん服装の話は象徴的な一面ですが、「即戦力」とは、与えられた環境に適応し、チームに貢献できるという意味であって、それを担保するのは学歴やマナーではなくスキルと姿勢、という前提が浸透しているのだと思います。
制度設計としての5年一貫や英語・寮・9月入学も大事ですが、東大の新学部が最終的に目指すべきは、そうした暗黙の基準にも耐えうる人材を育てることなのでしょうね。
その意味で、「英語ができる日本人を作る」以上のビジョンがなければ、グローバル就職の現場で本当の意味での即戦力とは言いがたいかもしれません。
幼時から英語に触れさせる親御さんは多いと思います。
今やユーチューブが当たり前にあるのでネイティブ発音は簡単に聴けます。問題はどういう順番で何をやるかですね。
幼児は遊びと踊りに歌。小学生前からアルファベットと文字に入るのがいいのかな?
トランプのアメリカが今度どうなるかは分かりませんが英語をやっておいて損はないという事情は変わりません。特に理系は英語必須です。学術誌や国際学会は英語が出来なければ話になりません。
東大入試が今後どう変わるかで中高さらには、その下の小学英語も変わってくるでしょう。文科省がどれだけの英語力を日本の子供たちに要求してくるか? それに合わせて日本の伝統を教える漢文や古文は大幅に縮小されるのか?
東大の講義が英語授業半数などとなれば、有名受験校も入試のみに対応するのではなく、入学後も意識しなければ世間から見放されるでしょうね。それが国際系のスレがあちこち立つ理由ですね。
大学入試が変わればそれ以下が変わる。どう変わるのか?
楽しみではあります。
あ。
私も便乗でそれ聞きたいと思っていました。
加えて、お子さんはななしさんの意識されたレールの意向を逸れてどんな方向に?
個人的にはお父様を見られて、自分もそうなりたい、自分の好きや志向を大切にされて、世間の価値基準なんていうちっぽけな枠におさまらない人になっている気がしているんですが。
仰る通りだと思います。
英語の早期教育はやっておいて損はないというラインを超えて、今ややっておかないと話にならない段階に入っていると。
特に理系分野における国際学会や学術誌の壁は明確で、それを回避する術はなかなかありません。
そういえば、ちょっと前、ラストライブの時かな?KISSのジーン・シモンズが、日本のビジネスマンに誰彼構わず「成功したいならとにかく英語を学べ」と力説していて、彼のワンパターンな説教じみた物言いに笑いつつも、あの人自身、音楽とビジネスの両方で成功しているので、意外に説得力あるなと思ったのを覚えています。
こういう「英語で世界を取れ」的なメッセージって、言い古されたようでいて、まだ日本では未消化な部分が多いとも言えます。
ただ一方で、私は真逆のスタンス。語学(多言語習得)は近い将来、AIやリアルタイム翻訳テクノロジーでかなりの部分が代替可能になる。一言語のマスターにも相当な労力とコストを伴う、ならば語学に振るパラメータを戦略的に特化スキルに全振りすべきだ、という方針。
我が子にもそのアティテュードを注入しているのですが、究極「向こうが日本語でアプローチしてくる存在」になれ、と。
これは決して英語否定ではなく、アグレッシブなストラテジーのつもりなのですが、まあ本人にはウザがられていますね。多分。
拒否反応で、逆に英語に向かっても親として否定するつもりはありません。
とはいえ、東大の国際化がこのまま制度面でも文化面でも本格化すれば、入試のための英語だけでなky入学後の言語基盤も視野に入れた教育へ、下流まで連鎖していくのは当然の流れです。
結果、漢文や古文好きの私は、それらが後退するのは悲しくもあり、避けられぬ合理でもあり。
この構造転換を「楽しみ」と受け止められる東大改革の成否さん、素敵です。
>大学入試が変わればそれ以下が変わる。
さすが。
やはり東大改革の成否さんも、このスレッドが中学受験情報板にある意味を分かっておられる。
関係ないから目障りって言っているレベルの方、親ならばお子さんが可哀想だと思いますね。
こういうスキルは親の能力に依存してしまうので。
ななしさん
ご丁寧なレスありがとうございます。
おっしゃるミニ東大をテスト的に作ってみたという整理、同意です。
前期教養課程の中にも全学ゼミやGLP(グローバル・リーダーシップ・プログラム)など、社会課題や実践知に触れる仕組みはすでにありますよね。ただ、それらが主流にまで拡張されていないのは、やはり東大という組織の巨大さゆえでしょうか。
一方で今回のCOD、既存制度の限界というよりも、「英語・9月・寮生活・5年一貫・デザイン思考」という複数要素を一体化した枠組みとして、制度側のフレームワーク自体を変えにきた印象です。つまり、教育内容のリノベーションというよりも、組織構造のピボットに近い。
仮に前期教養の枠内で同様の試みを進めようとすれば、既存カリキュラムとの折衷や調整に時間を要し、中途半端な総花的カリキュラムなるリスクがある。だったら別棟でガチ実験した方が手っ取り早い、という判断なのかもしれませんね。
もっと踏み込むと、エリートの育成という文脈が、従来の東大教養(抽象と普遍)では、やはりやや弱いと見なされてきたのかもしれません。
今回の学部はむしろ、教養というよりフォーマルな意味でのリベラルアーツ再定義の試みに見えます。
もちろん、ミニ東大の失敗が本体に波及しないためのリスク隔離(回避でなく)的な意味合いもあると思いますが、それ以上に新しい型の人材育成を、日本の制度の外で再設計したいという、わりと強めの意図すら感じていますね。




































