今年入学した高1生が語る青春リアル
東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします
たとえばBibiyのキャップ。
いいなと思った頃には既に公式完売、結局メルカリで定価以上の高値で購入した。
ネバザとNバラのコラボスニーカーも然り。店頭もWebも即完。価格の問題ではない。逃した感覚の方が厄介で、かえってこじらせて熱を持ってしまう。
特にコラボ系は、もう一種の文化装置。
SACAI×carhartt WIP、ARDER ERROR × MAISON KITSUNÉ、Dior Homme × Undermycar、LOEWE × On、CDG × VANS、PATOU × Onitsuka Tiger。。。枚挙に暇がない。
今のファッションは単なる「所有」や「衣服」ではない。戦略的な数量制限、ブランド間のコラボ、インフルエンサーの可視化、プラットフォーム内での限定展開。
こうした複層構造の上に、転売ヤーという異物すら含めて設計された市場熱が、消費の動機を喚起する。
面白いのは、こうした領域にも、東大出身が普通に入ってきていること。そして、入ってきても違和感が全くないという事実。
東大新設のCOD(College of Design)をめぐり「デザイン? 東大で?」と怪訝な反応をする人がいまだに存在するが、むしろその感覚こそが、旧時代の符号を示している。
音楽の文脈も同じだ。
昭和世代なら、小椋佳。
東大からみずほ銀行(旧:第一勧銀)という超堅いルートに乗りつつ、ヒットメーカーとしての顔も併せ持った。
しかし、今ならPenthouse。東大サークル出身の彼らがJ-Popの一線にいることに、誰も違和感を抱かない。
あるいは、米津玄師。
作詞作曲はもちろん、イラスト、ビジュアルアートや身体表現(ダンス)まで自家薬籠中のものとする存在も登場している。今や彼がそれほど特別でもなくなってきている。
現代の才能とは、一個のスキルではなく、異分野的な複合スキルを内包した構造体だ。
アニメも描ける、音楽も作れる、プロモーション戦略もセルフ、そんなマルチタスクが、個人のスキル如何に関わらず、既に現時点で、それこそ誰でもAIに外注すれば可能になった。
AIが変える世界線は、今の子どもたちが社会に出る頃には、もはや人間の想像の埒外に達しているかもしれない。
岐阜の片田舎から、YouTubeと独学だけで台頭したimaseの存在。もはや出自や環境が、才覚と無関係であることを、彼の存在が証明している。
一方で、エンタメの高学歴化も普通になってきた。
ダンスの世界で。シッキン(s**t kingz)のOguriやTAKUMIは早稲田出身。
名大医学部でさえ、最大の部活はダンス部で、プロ級のパフォーマーもいた。
世間の医学部イメージとはおそらく大きく乖離してんじゃない?
因みに、時間帯が裏でかぶらないから、ダンスの子はテニス部との掛け持ちがデフォだった。今では懐かしい話。
こんな時代に、未だ「東大から官僚・医師・コンサルへ」という一本道しか想起できない人がいる。想像力の貧しさとしか言いようがない。
そうした価値観でCODを測るのは、AI時代に「パソコンって便利だよね」と言って悦に入っているレベルのタイムスリップ感だ。
CODとは何を目指すのか。その議論が制度設計やカリキュラム論に収斂されがちなのはわかるが、本質は「出口」だ。すなわち、人材の再設計に他ならない。
カルチャー、アート、エンタメ、ファッション、アニメ、ゲーム。。。いずれもが今や、知的再生産の最前線に位置する産業だ。その領域に、東大という知的ブランドが介入していく意義は計り知れない。
勿論、全員がアーティストやクリエイターを目指すべきなど全く言ってなどいない。
そういった領域が、東大卒の選択肢として自然に存在する社会構造がクリエイトされつつある臨場感。それこそが重要だ。
日本が本当に変わるなら、東大出身者が官僚や法曹だけでなく、セレクトショップを立ち上げ、MVを監督し、世界的ブランドのチーフクリエイティブになる。。。そうした時代のほうが、ずっと健全だしkool。kは敢えてだけど、注釈つける時点で無粋。
ここだと、ついこうやって蛇足まで語りたくなる空気感って、一体なんなんだろうね。Damn…
そう言えばタバコのKOOLが実は、Keep Only One Loveだとか、Marlboro がMan Always Remember Love Because Of Romance Onlyだとか、父(60代)世代の語るウンチクのウザさ、カッコ悪さってエデュのウザさにすごく似てると思う。
横道逸れ過ぎたけど、こういう脱線こそがAIでない証だし、冗長さに帯びる熱こそが体温じゃない?
さて。
CODこそ、知のインフラが形骸化しつつあるこの国で、ブレイクスルーの扉をこじ開けるための、最後の起爆剤だ。
AIに使われている連中には、永遠に見えない地平だね。
先程は番組内容の要約に基づいた所感を書きましたが、改めて番組の構成を振り返ると、単なる東大のPRや改革紹介というより、学歴社会の構造変化そのものを問い直す内容だったように感じました。
松尾教授のもとに集う起業家たちのエピソードからは、東大がこれまでの成功のルートから意図的に外れ、自らリスクを取って社会を変革しようとする人材の育成に舵を切ったことがうかがえます。
千葉さんや武智さんのように、所属や肩書き以上に、行動とアウトプットで語る人たちが注目されていたのもとても象徴的でした。
また、小島教授のマッチング理論が、単なる配置最適化にとどまらず、働く人が自分の意志で未来を選べる仕組みの再構築に通じている点も見逃せません。
制度という構造のアップデートが、人間の納得感や熱量に直結しているのだと思います。
そして番組後半で扱われた「地方」「非大卒」「中卒・高卒層」といったテーマこそ、今後の東大(あるいはCOD)が背負うべき課題の核心ではないでしょうか。
東京大学という最上位の教育機関が、多様な入口・出口を受け入れる土壌を育てられるのか?
まさに岐路に立っているのだと感じました。
新学部の今後の報道にも注目したいですし、改革が一過性でなく、文化や構造に根ざしていくことを願います。
貴重な情報のご紹介、改めて。感謝いたします。
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言葉が通じない相手に何を言っても、改心を促して期待しても無駄ですから。
どなたかが、大学の研究は国からの補助ではなく、企業などからの支援をメインとすべき、とのご意見がありました。
産業に近い応用研究の場合はそれで良いのですが、実用から遠い基礎研究の場合は、企業からの支援を受けるのは困難です。
なので、理学系の研究は主に文科省予算の科研費(競争的資金)と呼ばれるもので行われます。
この状況は、日本に限らず、私の知る限り、米、スイス、ドイツ、韓国も同じです。
おそらく、他の多くの国も同様と思います。
基礎研究の社会的役割は、将来役に立つかもしれないことの原理を明らかにすることです。
実際、ニュートン力学が作られた400年後に人工衛星が実現し、相対性理論が作られた80年後くらい(ちょっと年数に自信がない)に、GPSが実現しました。
このように基礎研究は重要ですが、相対性理論を研究していた若きアインシュタインに企業が多額の資金を援助したとは思えません。
スイスのETHからの予算で研究していたのだと思います。
このようなわけで、大学の多くの基礎研究は産業に直結するものではなく、数年先、数十年先、数百年先に人類にとって重要なものとなるわけです。
そのような予算は営利団体の企業からではなく、国から支援されるのが妥当と思います。
マスターキートンの「ベニントン」教授は、学究肌の誠実な方でしたが、周りに担がれてイギリスのとある大学の学長候補になりました。
当たり屋詐欺グループが、学長候補なら予算をたくさん持ってるに違いないと考えて、ベニントン教授が運転する自動車に当たって入院費用をせしめようとするのですが、基礎研究を行うベニントン教授には自由になる予算がほとんど無く、詐欺師グループは当てが外れた、というお話がありました。
マスターキートンは昔の漫画ですが、そこで描かれていたベニントン教授の予算事情は、基礎科学研究の大学教員の実情に割と近いです。
東大のペニントン教授には、マスターキートンのベニントン教授の心情を理解してほしいなと思いました。
ななしさん、素晴らしいご意見です。
基礎研究に対する深い理解と、マスターキートンのベニントン教授という例えの的確さに思わず唸りました。マンガを通じて、研究者のリアルな資金状況や社会との距離を描写できるセンスは貴重で、読んでいて非常に印象に残りました。
仰る通り、応用研究と基礎研究とでは、資金の出どころも、社会からの理解のされ方もまったく異なります。
そして後者ほど、目に見える成果が出にくく、それゆえに民間からの資金を得にくいというジレンマを抱えている。。。それでもなお、ニュートン力学や相対性理論が、後に未来の技術革新を支えたことを思えば、基礎研究にこそ公的支援が欠かせないという点には、まったく同感です。
COD設置やペニントン教授のような「起業・イノベーション」の文脈が前面に出る改革のなかで、基礎科学の地道さや尊さが見落とされないようにするには、やはり大学内部のバランス感覚が問われてくると思います。
経済的な見返りのみで価値を判断しない哲学。。。
それを社会全体にどう維持していくかは非常に難しく、しかし未来を大きく左右しかねない、由々しきテーマであり続けています。
三次元のペニントン教授にも、ぜひ二次元のベニントン教授のような知に対する誠実さを失わないでいてほしい。
そんな願いを、ななしさんの文章から強く感じました。
いや、もしかすると今こそ、もう一つディメンションを加えた「4Dペニントン教授」が必要なのかもしれません。
何のこっちゃ 笑
>COD設置やペニントン教授のような「起業・イノベーション」の文脈が前面に出る改革のなかで、基礎科学の地道さや尊さが見落とされないようにするには、やはり大学内部のバランス感覚が問われてくると思います。
どこに、『ペニントン教授のような「起業・イノベーション」の文脈』が、出ていましたか?
ベニントン教授のお話のタイトルは
エピソード18フェイカーの誤算
でした。
久しぶりにユーチューブで見ましたが、記憶違いがありました。
ベニントン教授は、私財をはたいて研究用資料を購入してました。
人柄が良くお金に困っているのはその通りでしたが、科研費という概念はマスターキートンには無かったです。
面白いので、興味があれば是非。




































