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東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?

【7697918】
スレッド作成者: 東大王 (ID:nMjSBSRGBB.)
2025年 08月 06日 17:57

東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」

入試概要:
A方式(50名)
 *大学入学共通テストの結果
 *高校の調査書(または成績証明書)
 *エッセー
 *東大が指定する英語試験の結果などの書類
 *英語による面接

B方式(50名)
 *東大が指定する国際的な統一試験の結果
 *複数の提出書類
 *英語による面接


特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします

【7702712】 投稿者: 東大新学部の学生寮   (ID:2lTughkqnd6)
投稿日時:2025年 08月 22日 07:29

旧生産研跡地って稲毛?柏の葉?

柏の葉であれば東大大学院があるから大学院の学生寮でしょう。

柏の葉にはラグビー校があり、東大総長がラグビー校を見学して学生寮は必要との認識を得たとどこかの記事にあった。

新学部の学生寮は目白台を予定しているとの記事があったから違うでしょう。

本来は海外の大学のように、本郷のキャンパス内にあれば良いのだけれど。

【7702718】 投稿者: 西千葉   (ID:HeE.fcQNzaQ)
投稿日時:2025年 08月 22日 07:54

西千葉駅前の跡地です。民間分譲マンションも同じ敷地に建設中です。この寮の対象学生は誰か、千葉大生をも認めれば、助かるご家族も多いでしょう。

【7702723】 投稿者: meta視点から   (ID:Kv8CWoDpT0w)
投稿日時:2025年 08月 22日 08:02

日本は理数教育が強いのに研究が弱い。女子が理系に進まない。イノベーティブな移民起業家が出てこない。

これらは一見ばらばらの話に見えるが、実は同じ構造の裏返しで、どこを切っても中から日本社会の硬直性が透けて見える。

問題は個別の制度や予算配分ではない。社会全体が変わることそのものに異様な抵抗を示すという事実があるだけだ。

理数教育が強いと言っても、それは全国一律の画一的な内容を反復させる指導の成果であって、個人の創造性や飛躍を評価した結果ではない。

点数を取る能力は育てるが、点数のない世界で何を生み出すかという方向にはまるで向いていない。
日本で突出した若者が研究を続けず、官僚や医者や外資に流れるのは、合理的に選んだ結果とも言える。研究職が尊敬されず、報酬も安定も見込めない社会では、それが自然な流れだろう。

女子が理系に進まない問題も、なぜそうなるのかという問いに対して本質的な答えを出せていない。
教育段階での進路指導や周囲の空気、家庭の価値観、社会の期待といった「外部」からの見えない力が、合理性とは関係なく進路を歪める。

制度上の差別が消えても、内面化された無意識の制限が残る限り、数値は変わらない。だからこそ、京大や東工大がわざわざ女子枠を設ける必要が出てくる。

移民起業家が育たないのも、法制度の不備以前に、日本社会が「異質な存在」に対して根本的に寛容ではないという文化的要因がある。
人と違うというだけで問答無用で排除される空気は、帰国子女や在日外国人だけでなく、日本人の中でも既存の枠を踏み越える者に対して容赦ない。
この社会では、突出するにはまず孤立に耐える必要がある。そのコストはあまりに高く、合理的に選ぶなら最初から外に出る方が早い。

それでも制度的に動き出している部分もある。8/19、毎日新聞の記事。
大学定員の上限に関して文科省が留学生向けに緩和策を出し始めたのは象徴的だ。110%まで受け入れられるようにすることで、海外の知性を引き込もうという試みだが、これは実際には大学の国際競争力を底上げするための動きに過ぎない。ただそれでも、「日本人ファースト」のようなスローガンが横行する空気の中で、あえてこの施策を通したという事実には意味がある。国力とは、閉じて守って築くものではなく、開いて迎え入れて育てるものであるという根本の話に立ち返る必要がある。

ノーベル賞受賞者に関しても、本来なら中等教育がどうだったかより、なぜその知性が日本を去ったのかという問いの方がはるかに重要だ。

本庶先生が賞金を自ら若手研究者支援に回した事実は、制度がそれを担えていない証拠でもある。文科省がどうこうというより、社会全体が「研究とは地味で貧しくても耐えるもの」といった昭和の価値観に縛られている以上、構造的な是正は進まない。

眞鍋氏が言った「調和の中で生きる能力がないから日本に戻らない」という言葉も、実はこの国の教育と深く結びついている。
人と違うことを是としない、言葉にせず察することを求める、自己主張を抑えて空気を読むことが美徳とされる。こうした美学が、創造性やイノベーションの芽を次々に潰していく。これを社会の安定と呼ぶのなら、それは進化より停滞を選んだということだ。

国内にも変革を模索する動きはある。
柳沢幸雄氏のように、教育の現場で真正面から「自分の意見を持つ」ことの訓練をしている人もいる。だがそうした取り組みが例外扱いされ、系として拡がらない限りは、日本の初等教育は知識の注入と従順さの訓練に終始し続けるだろう。

そもそも、誰かが突出した力を見せた時、それを称えるよりも「調子に乗るな」と引きずり下ろす空気がある限り、イーロン・マスクのような存在はこの土壌からは出てこない。世界に出て初めて評価されるタイプの人間が、日本では変わり者として扱われる。この違いを「国民性」として片付けるなら、もう何も変わらない。

科学でもアートでもスポーツでも、日本で十分に評価されずに海外に出て行く人材が後を絶たない。問題は個人ではない。社会がそれを受け止める器を持たないことに尽きる。

だからこそ、本気で「人材戦略」と言うなら、予算の配分や制度の設計以前に、「異なるものに価値を見出す」という文化を育てなければいけない。

あらゆる制度はその上にしか成立しない。そうでなければ、どれほど表面を整えても、根から折れていく。

【7702728】 投稿者: 異質な人材の受け入れを許容する文化   (ID:Q3bd4kcAGwY)
投稿日時:2025年 08月 22日 09:11

東大の松尾教授が起業で成功して数百億円の資産を手に入れた人たちがまわりにいたら、誰もサラリーマンをやろうとはしないといって起業家を多数輩出している。

これと同じで異質な外国人や理系に女子を入れることで異質な人たちを許容できる文化が日本に育てば、日本にもイーロンマスクのような移民起業家が生まれるかもね。

日本人にいくら異質なものを許容せよと教育しても限界があるので学校や大学は率先して異質な人材を受け入れるようにしたらいい。

実際京大や東京科学大など理系に女子枠を導入したり、東大大学院が英語授業にして、外国人留学生を受け入れやすくしたり、異質な人材の受け入れ改革を行いはじめている。

東大の新学部にも異質な人材を受け入れを許容する文化の萌芽を期待したい。

学校や大学が変われば社会も徐々に変わっていくだろう。

【7702745】 投稿者: meta視点から   (ID:j/OtarroJyI)
投稿日時:2025年 08月 22日 10:23

ご指摘の「異質な人材の受け入れを許容する文化」の必要性には同意します。ただ、それが「外国人」「女性」「移民起業家」のようなわかりやすい異質さに限定されるのは、やや短絡的かもしれません。

イーロン・マスクを例に出すなら、彼の異質さとは「移民だから」ではなく「普通の社会常識をおかまいなしに打ち破る異常なまでの行動力と発想力」にあったはずです。

それを支えたのは、アメリカという「トンデモに金が集まる社会構造」で、教育というよりは制度・資本・カルチャーの側です。そこを見誤ると、単に多様性の記号化に終わってしまう。

東大の新学部がもし本気で異質を受け入れる文化を育てたいなら、外国人・女子・帰国子女などの属性的多様性ではなく、空気を読まない者(あたしあたしw)、共感より論理を重視する者、定型的な協働よりもノーマルを逸脱する個といった、日本特有、”察し“の空気社会が最も排除しがちな才能にこそ、逆に進んで門戸を開くくらいのドラスティックな意識改革が必要でしょう。

むしろ今の日本で本当に異質とされるのは、声が大きい人でも英語ができる人でもなく、空気を読まずに、動機と実行にこだわる人だと思います。そういう人が生きやすい大学や社会をつくれなければ、異質さの輸入はただの飾りに終わります。

日本はよく「同じ空気を吸っていれば、いつか分かり合える」と信じたがる国。
でも本当に異質な才能というのは、同じ空気にすら窒息する側の人間なのかもしれない。
許容するというより、彼らの呼吸圏ごと、この社会が拡張できるかどうか。
その一点が、未来の分かれ目なのだと思います。

【7702780】 投稿者: 社会の安定   (ID:5u84FQuKO02)
投稿日時:2025年 08月 22日 14:01

日本社会は突出した人物を好まないですよね。
これは長幼の序を重んずる儒教の影響なのか、みんな一緒の小学校以来の同一化教育の賜なのか?

西欧社会の長幼の序ってあるのか知りませんが、少なくともアメリカでは実力があれば年齢は関係ないようですね。
大学教員も公募で若い人がどんどん選ばれる。

一方社会の安定、安寧?と言う意味ではどうなんでしょうか? 実力主義で全てやるより年功序列の方が心安らかな人が多いでしょう。 若手の抜擢は年配者のやる気をなくす可能性もあります。

画期的な物を発明したり開発する人は変わり者が多いのでしょうが、それを温かい目で見守る年長者がいるかどうかですね。 日本はまだまだ若者の突出を許さないかな?

でも明治維新でも太平洋戦争後でも若者は活躍したんですが・・・・。今は果たしてどうかな? 安野夫妻が潰されないでこのまま政党を大きく出来るかどうか?

【7702813】 投稿者: meta視点から   (ID:XFV1mRlr8UM)
投稿日時:2025年 08月 22日 18:55

ここにこそ、日本の「安定」の正体があると思う。

突出した個を許さないという現象は、よく村社会的だと軽く扱われがちだけれど、実際にはもっと深く根を張っていて、制度や構造にまで組み込まれている。

小学校から大学、会社に至るまで、協調性が評価の中心に置かれ、出過ぎた人間は煙たがられる。組織にとっては管理しにくいリスクと見なされてしまう。それはもはや価値観とか心理の話ではなく、社会全体に埋め込まれた設計思想みたいなものだ。だから、簡単には変わらない。

西欧の例を見ると、たとえばフランスのエリート教育(グランゼコール)や、アメリカのポスドク制度では、序列の根拠が年齢ではなく、実績で柔軟に組み替わる仕組みがある。

日本でも年功序列が崩れたように見えるけれど、それは新自由主義的なコストカットと非正規雇用の拡大とセットで進んだもので、若手が自由に抜擢される場が広がったわけではない。

本質的な問題は、若者が抜擢されないことそのものよりも、異端が評価される回路がないという点にある。

新しいものを生むのは、いつの時代も、常識の枠からはみ出した変わり者であって、順当に育った優等生ではない。でも、日本では年長者の顔を潰さないかたちでしか若手は評価されず、組織の中で突出すること自体がはじめから許容されていない。

明治維新や戦後の復興期に若者が表舞台に出られたのは、既存の秩序が一度壊れたからであって、普段は排除されている突出が、壊れた隙間から一時的に流入したというだけの話。

今の日本は、秩序自体は生き残っているのに、機能だけが止まっているという、もっと厄介な状況にある。

安野夫妻が際立って見えるのも、制度の内側で評価されているというより、制度の外にいるからこそ、という印象がある。

ちな、奥様であるりなくろさんは中高大、すべてかぶっている上に、さらに重なりもあって、かつ、昭和歌謡マニアと言う共通点もあって(つねにねむいというとこも一緒w)、推したいポイントですが、引いて見れば、制度の中で評価されていない限り、どれだけ魅力があっても社会全体を変える力にはなりにくいのが現実だと思っています。

突出を許す社会とは、突出を持ち上げる社会のことじゃない。

大事なのは、異端が制度の中をちゃんと通過できる構造があるかどうか。それがなければ、突出も結局、外に弾き出されるだけになる。

いまの日本に欠けているのは、実力主義ではなく、異端を制度に取り込む回路そのものだと思う。

その意味で、りなくろさん(安野里奈)さんが工学部から文学部に転部したのは、ひとつの異端の軌跡としての一例かもしれない。

きっかけになったのは、ミランダ・ジュライの『いちばんここに似合う人』という本だったそうだ。

バルガスリョサのノーベル賞講演を聞いて、それが転部の決定打になったとも語っている。

彼女は中学時代から『デセプション・ポイント』に夢中で、自由研究(中3が1年かけて書く卒業論文みたいなの)をアメリカ大統領選について書いたという。*ちな、一方でちょい下の私はというと、その年、NHKで再放送されていた『映像の世紀』に衝撃を受け、「アウシュヴィッツはなぜ工場だったのか?20世紀における死のマネジメントと労働倫理の終焉」という自由研究を書いていた(今考えてもイタ過ぎる。。拗らせすぎやw)最後の最後に、世界に出すんだ、うん、英語にしようと、全編英文で翻訳し、英語の先生に「やる気は伝わるが、誰も添削できません」と困らせたのは今でも少し申し訳なく思っている、ちなみにもうさすがに捨てたが、後に振り返ると、文法や単語のミスだらけで、あれを数十枚読まされ、間違いだらけで意味も不明、そりゃ誰も直せないわw先生、本当に申し訳ない。。。)

里奈さんの本題に戻って、高校では「他人に勧められた本はとりあえず買うようにしている」という友人の言葉を今も覚えていて、そんな大人になろうと心に決めたというエピソードも印象的だった。

こうした感性と、文理を横断してきた経験が、いまの彼女をつくっているのだとすれば、突出を潰すか讃えるかではなく、個がどこに逸れていっても拾い上げられるような構造を、制度側が持てるかどうか。そこにもっと目を向ける必要があるように思う。

ある日ふと、別のホームに降りてしまった誰かが、そのまま行き先を変えて戻ってこない。。。そんな脱線すら、どこかでつながっていると信じられる社会。

異端とは、いつも、そうやって世界の形を少しだけ書き換えてきたのだ。

そんな異端(あたしもおそらく該当w)が許容される社会、案外それは八百万の神のいた昔の日本の社会に近いものなのかもしれない。

【7702824】 投稿者: meta視点から   (ID:rW.OiRaWb2k)
投稿日時:2025年 08月 22日 19:11

かと思えば、思わぬ機転や、経験に裏打ちされた鋭さも反面で見せて読者を驚かせる。警部もなんだ?このババーたちと思っているうちに次第に絆されていく。

が、読んでいくとそもそもなぜなぜ舞台が老人村なのか?なぜ老人ばかりなのかが最後は分かると言う仕掛けになっている。

ユーモラスな語り口ながら、その中に、老人たちの人生の重みが顔を覗かせる。誰しも人生に後悔や成し遂げてきた事への自信、あるいは衰えていく身体と心への諦め、余生への知覚。。。

それらが物語と交錯し、その上で現在の人生を精一杯謳歌している木曜殺人クラブのメンバーが逞しくもあり、この事件の背景にも長い間生きてきた老人の過去や人生が深く関わっている。

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