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東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?

【7697918】
スレッド作成者: 東大王 (ID:nMjSBSRGBB.)
2025年 08月 06日 17:57

東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」

入試概要:
A方式(50名)
 *大学入学共通テストの結果
 *高校の調査書(または成績証明書)
 *エッセー
 *東大が指定する英語試験の結果などの書類
 *英語による面接

B方式(50名)
 *東大が指定する国際的な統一試験の結果
 *複数の提出書類
 *英語による面接


特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします

【7703919】 投稿者: meta視点から   (ID:ym9bVDTdzdU)
投稿日時:2025年 08月 26日 19:48

とても興味深い示唆をありがとうございます。
相変わらずの発見や新たな学びを頂ける、西千葉さんの書き込みに感謝です。
30代の私は存じ上げない内容でしたので、学院の沿革を紐解いてみました。

1995.7
学院を会場として、米国シカゴ大学が大学院の正規MAコースを開設(2003年12月まで)

30年前ではないでしょうか?そして22年前に幕を閉じたようです。

四谷に、あのような試みがあったこと。しかも1995年、そんな昔に。

言葉を失いました。
思えば、あの一角は、いかにも東京らしい皮膚感を持った場所で、教育という営みに血が通っていたことなど感じたことはありませんでした。
(私の中で四谷は中華料理「嘉賓」さんの具なし焼きそば「カキソース和えそば」を食べに行く場所ですw)

けれど、その空間の奥に、かつて正規のシカゴ大学が根を下ろしていた。大量の文献とディスカッションに押し戻されたとおっしゃるその手応えも含めて、日本のどの大学も本気で向き合わなかった方法論を、あの場所は一時的にせよ、受け止めていたのでしょう。

新学部の背後に、米国型リベラルアーツの文脈があるとすれば、それが今再び蒸し返されているというより、私たちが一度はそれを手にしていながら、いつの間にかその存在すら忘れていた、という事実に慄然としました。

貴重な西千葉さんのご記憶と情報に感謝です。

一方で、AIを無思考に用いて、いや用いているつもりで、実はAI出力をエデュにコピペさせられているだけ。主従が逆転した、ヒトであることを放棄した存在。

奇譚小説、沼正三著「家畜人ヤプー」で描かれた日本人の家畜人たるヤプーを思い出した。ヤプーは白人のための便器や椅子などに改造される人間家具である。

その家具ですらない。AIに使役される家畜。

ChatGPTはインターネット上にある膨大なテキストデータを学習し、質問者からのテキストベースの質問・リクエストをキーワードごとに分析し、各キーワードの次に続くテキストを統計論から導き、自然言語で構成して回答を生成するが、そこに思考は介在していない。

昨日の午前中にやっていたNHKの自論公論。

「活用進む生成AI 欠かせない人間の力」と題して

IT担当、三輪誠司NHK解説員が解説をされていた。

そこで紹介されたのが、東京大学先端科学技術研究センター、元橋一之教授の研究。

生成AIがイノベーションを起こすことができるかを検証するため、日本、中国、アメリカ等の企業が持つ特許情報と学術論文の組み合わせなど4000万以上、更にその企業が提供しているサービスなどを生成AIに学習させた。

そして論文や特許を元に生成AIが新しいビジネスを提案できるか試したが、ニーズにあった画期的なサービスを提供することはできなかった。

生成AIには限界があり、人間の代わりとして位置付けることはできないと言う

元橋教授は「画期的なイノベーションを起こすには人間が持っている感性が必要だ。感性は言葉では表現しきれないために、AIの学習データには存在せず答えを出せなかったと考えられる」と。

生成AIを使い、自らは議論の中身が全く理解できていないのに、議論に入った気になり、悦に入るAIの奴隷、あるいは家畜。他人の承認がなければ、不安で仕方なく、同調する観客をも自演で生み出す。

感性とはそもそも、言語化できない、言葉にできない何かを抱えていること、それこそが、AI時代において最も人間的で、最も教育的な営為というパラドクスに、AIに使われることでヒトたるレゾンデートル(存在理由)を放棄してしまう「ヒトあらざる思考しない肉塊」。自分の発言と相手の発言の区別を間違ったAI生成文章に気づかず、そのまま貼り付けてしまうヒトもどきが自活できる世界線など存在するだろうか?

だからこそ、今このスレッドに横たわっている危うさに、私はどうしても触れざるを得ません。
無邪気な質問、意味を欠いた返答、そして便利さへの過剰な信仰。
そうしたものがうっすらと積もっていく空気のなかで、人間の知性の輪郭は、少しずつ削れていく。

誰もがAIに語らせ、AIにまとめさせ、AIに思考を委ねる。まるで「考えないこと」こそが進歩であるかのように。

そして、そんな彼らの言葉には、不思議なほどに痛みがない。

知ることの重み。考えることの責任。
言葉を発することに伴う、切実な震え。
そういう人間的な痛覚が、彼らには決定的に欠けている。

だから私は、西千葉さんにお教え頂いた、シカゴ大学がかつて四谷に存在したという事実に、強く打たれたのです。

あの一角に、かつて人間の感性が根を下ろしていた。AIでは構築できない学びの地層が、確かに、あの建物には宿っていたのでしょう。

それが今や、都市の記憶からも、教育制度の記憶からも、すっかり風化している。。。
その事実こそが、この国の教育の現在地を、逆照射しているように感じられてなりません。

シカゴ大学が日本から離れた理由は、単なる制度的な非整合ではない気がしています。
私たち自身が、その熱量を持ちきれなかった。
考えるという営みの重さに、私たちが最後まで耐えきれなかった。そう思えてなりません。

人が考えるということの重さを、もう一度引き受け直すために。
そして、教育という営みが、単なる効率や成果を超えて、生き方そのものに触れていたという事実を、再び記憶しなおすために。

AIには決して描けない問いが、今も私たちの内側には、きっと残っている。
それにふと触れたとき、私は信じたくなるのです。

人間の教育は、まだ終わってなどいないのだと。

もはや、それが都市の記憶からも、教育制度の記憶からも、すっかり風化しているという事実こそが、この国の教育のいまを逆照射しているように感じられてなりません。

シカゴ大学が離れた理由は、単に制度的な非整合ではない気がします。それは、私たち自身が、その熱量を持ちきれなかったからではないでしょうか。

人が考えるということの重さを、もう一度引き受け直すために、そして、教育という営みが、単なる効率や成果を超えて、生き方そのものに触れていたという事実を、再び記憶し直すために。

【7703922】 投稿者: meta視点から   (ID:ym9bVDTdzdU)
投稿日時:2025年 08月 26日 19:56

東大新学部のプレゼン資料に記された詳細な内容をご紹介いただき、ありがとうございます。

ご紹介いただいたプレゼン資料の文言群、読ませて頂きました。
確かにそこには、制度が意識的に「場」としての大学を設計し直そうとしている気配が漂っています。

講義・演習・プロジェクト・デザインラボ・フィールドワーク。さらには、学内外のチューターやオフキャンパスでの活動まで。構成要素の一つひとつに、知識の伝達ではなく、知的経験の共創を志向する意図が透けて見える。

けれどそれは、単に装置を並べることでは決して届かない領域でしょう。
たとえば「自由な議論」とは、発話する自由があるということではなく、沈黙が耐えうる空間が開かれているかどうかの問題で「共働」とは、成果の分有ではなく、過程の同伴を意味しているはずです。

問いは、掲げるものではなく、耐えるもの。
自由は、許されるものではなく、引き受けるもの。

カリキュラムの斬新さや形式の革新性ではなく、その奥にある制度と感性の接合部で、何が育つか。そこにしか、本当の変化は宿らないように思います。

この制度が生むのは、まだ言語化されぬ問いを持ち続けることができる人間なのか。
それとも、自らの問いを演じることに長けた、ただの優等生なのか。

プレゼン資料には確かに未来の構図が描かれていますが、その絵の中に生の手触りが宿るかどうかは、設計者でもなく、制度でもなく、最初の一歩を踏み出す学生たちの孤独に、どこまで制度が寄り添えるかにかかっている。

そして、おそらくそれは、教育という営みの本質的な重さに、制度側がどこまで耐えられるか、という問いでもあるのだと思います。

沈黙に耐え、問いに晒されながら、それでも言葉を紡ぐこと。その営みが再び制度の内部で許容されるのだとすれば、私たちはようやく、学ぶという行為に、ほんの少しだけ近づけるのかもしれません。

【7703949】 投稿者: 西千葉   (ID:age242RKrS6)
投稿日時:2025年 08月 26日 20:47

年代の記憶違いは、お恥ずかしい限りです。 その説明会は、大井孝さんがなさいました。大井さんは、東京学芸大教授から日米会話学院長をされ、おそらく教え子の根岸雅史さんは、高校英語の文法書を執筆されています。その例文が大変面白く、啓発される所があります。 なお、お時間があれば、中央快速では隣のアテネ・フランセの夜学のラテン語講座をお奨めします。そこのラウンジで、池澤さんのご両親が出会ったようで、駿河台縁のやや異界めいた空間の午後8時は、読書筋upにも好適かと思います。

【7704002】 投稿者: meta視点から   (ID:nPE6T1h/TPE)
投稿日時:2025年 08月 26日 23:39

西千葉さん、あたたかなご返信、そして貴重なご教示をありがとうございます。
記憶に誤差?何が問題ありましょう 笑
その空気の匂いまでたしかに伝えて頂いた語りは、むしろ記録には宿りえない温度のようなものを届けてくださっていると感じております。

大井孝先生のお名前、深く頷きながら拝見しました。通訳という営みが、単なる言語の置換ではなく、両言語の間に開いた沈黙を橋渡しする知の仕事であるならば、まさにその第一線で長らく言葉の重さと向き合ってこられた方なのですね。
フランス語の会議通訳としてもご活躍されていたとのこと、英仏を往還する言語感覚の奥行きにも思いを馳せました。

根岸雅史先生の文法書に触れてくださったのも印象的です。例文という構文の隙間に、どれだけ豊かな知性やユーモアが染み出すか。そこにもまた、教育という行為の繊細さが宿っているように思います。

アテネ・フランセのラテン語講座までご紹介頂きありがとうございます。
駿河台の夜の気配、ラウンジに揺蕩う記憶の粒子、そして池澤さんのご両親の出会いの場としての地層。。。
言葉にならない時間の連なりが、都市の記憶の底に静かに沈殿している様が目に浮かびました。

「通訳」も「教育」も、読むことすらも。
他者の声にどこまで自分を開け放てるか、という一点において、深く通底している営みなのかもしれません。

引き続き、学ばせていただけること、心より楽しみにしております。

【7704010】 投稿者: 中学受験に異変   (ID:wH5SdgladFM)
投稿日時:2025年 08月 26日 23:57

今年、開智所沢の出願者数が日本一となった。開智所沢は医進、国際、探求の3コースにわかれており、これが保護者のニーズにあった。

2位の開智も探求に力を入れている学校。総合型選抜入試の割合が大学入試全体で20%程度まで上昇していることから探求学習と総合型選抜入試は直結しやすい。

こうした保護者のニーズを踏まえ、多くの中学で、国際、医進、探求などを掲げる改革がなされはじめている。

【7704025】 投稿者: meta視点から   (ID:i4DCaE0/9aA)
投稿日時:2025年 08月 27日 00:39

ご紹介ありがとうございます。

けれど、どうしても胸の奥にモヤつきが残るのです。それは改革という言葉の軽やかさと、現実の重さとの間に、埋めがたい齟齬があるからかもしれないと思っています。

国際、医進、探求。
それらの語が持つ手触りは、まるで栄養表示のように機能的で、即効的で、親の不安や期待に対してわかりやすく応える言葉として陳列されているように見えてしまう。

けれど、それは本当に子どもたちが未来と出会うための教育なのでしょうか?

それとも、単に社会の変化に対応するという名目のもと、依然として出口主義と序列幻想をなぞり直しているだけなのでは?

総合型選抜と探究学習の直結という言葉も、どこか喉元を素通りしていくような印象があります。
探究とは、そもそも答えのない問いに向かう営みである筈。
けれど、選抜と直結した瞬間、それはまた別の正解」得るための準備学習へと吸収、転化してしまう危うさを孕んでいないでしょうか。

いま、求められているのは新しい語彙ではなく、そもそも我々が教育という語で何を欲しているのかという、より根源的な問い直しなのだと思います。

この国が静かに蝕まれているのは、言葉の豊かさでも制度の設計でもなく、人間とは何かという問いを真剣に抱えられる教育の体力そのものではないでしょうか。

食べるように学ぶ。効率よく、目的のために。
それがすっかり当たり前になってしまった時代に、どこか一箇所くらい、腹が減っていなくても、食卓につくという営みが許される場所が必要なのだと私は思いますが。

【7704074】 投稿者: 将来   (ID:mHgW9u8X5MA)
投稿日時:2025年 08月 27日 09:31

保護者たちが探究、国際などの特色ある学校を選択しているのは、これからのAIが進展していく時代の中でどういう教育を子どもが学ぶことがベターなのか、熟慮しての選択なのかと。

それと大学入試の動向を見据えての選択なのではないかな。

例えば、日本は少子化でこれからの時代英語は不可欠だ、将来は海外の大学や教育を受けさせたいと思う人は国際、インターコースなどを設置する学校を目指すでしょう。その結果、渋谷系や広尾、三田国際などが台頭してきたし、出願者を集めてきた。

また、これからの時代、答えのある問題より、社会課題を認識し、その解決に向けた教育を学ばせたいという保護者は探究学習に特色ある学校を選ぶでしょう。

探究学習は総合型選抜入試や学校推奨が増えている大学入試の状況を先取りしている。

これからの時代、子どもたちが何を学ぶことが必要なのか、大学入試を見据えて何を学ぶことが良いのか、将来子どもが学ぶ必要性のある教育と大学入試の実利の両面から評価されているのでは

【7704098】 投稿者: meta視点から   (ID:rc8TH51Ju3w)
投稿日時:2025年 08月 27日 11:03

ご丁寧なご返信ありがとうございます。

お書きいただいた通り、多くの保護者がこれからの時代を見据えて選択していることは確かにあるのだと思います。AIの進展、英語力の必然、大学入試の形式の変化。そこに応答する形で学校が国際や探究を打ち出すのは、時代の自然な反射のようにも見えます。

けれど、私がどうしても引っかかるのは、その熟慮とされるものが、結局のところ、制度が要求するものにどれほど適合できるかという尺度から大きく外れていない、ということなのです。未来を思うように見えて、なお出口の形に縛られている。問いを持つ自由や、答えのない問いに立ち向かう勇気そのものが、実利の網にかけられ、制度の言葉で再定義されてしまう。

教育は本来、制度に収まらないものを抱える営みのはずでした。けれど今や、未来でさえ入試を先取りすることによってしか語られない。そこに私が感じるのは、時代に順応する軽やかさではなく、むしろ深い疲弊とでも呼ぶべきものです。

人が人として何を学ぶべきか?
その根源を問うことを忘れた社会に、果たしてどんな未来が用意されているのか。
その問いだけが、いま静かに残響しているように思えてなりません。

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