今年入学した高1生が語る青春リアル
東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします
>しかも世界大学ランキングトップ100に多くの高校生が合格している。日本の大学を素通りする方向性は変えられない。
これ、何度も書いているみたいだけど、日本の大学を素通りするつもりなら、わざわざ一条校の国際系私学なんか最初から選ばないでしょうに。
つい先日も、某インターナショナルスクールから海外名門大学に多数合格しているという記事を見ました。
敢えて一条校を選ぶのは、日本の大学も受験できるからですよね?
いつものことだけど、色々矛盾しています。
追記です。タイミング良く、ロイターがBYDの2025年販売目標下方修正を報じました(最大16%減、460万台水準)。数年続いた急成長の終焉を示唆するニュースです。
この事実こそ、モリゾウ氏が繰り返し語ってきた「EV一本槍では持続可能でない」という指摘の妥当性を裏づけるもの。EVを軽視したのではなく、HV/PHV/FCVを含めた多様な電動化戦略が必要だ、という文脈がここに現実味を帯びてきています。
つまり、EVの旗手であるBYDですら成長に陰りが見える今、「トヨタはEV懐疑」というラベリングは完全に的外れです。むしろ逆で、全方位戦略こそがリスク分散として正しかったことが浮き彫りになっています。
そして繰り返しますが、これを東大の「未来図」や「スローガン」と並べるのは二重に誤りです。トヨタは市場データに即して戦略を調整するが、東大の国際化構想はキャッチコピー偏重で制度設計が曖昧。この差は歴然です。
いやはや。それにしてもやはりトヨタは強か過ぎる。クルマ好き目線で言えば、食指の動くパッションを感じるクルマなどほとんど作っていないというのに。
無難、卒ないプロダクトが、市場と流れにぴたりと合っている。だからこそなおさら未来は読めない。
好きか嫌いかを超えたところで、結局は世界の大河を渡っていくのだろう。誰もが望んだクルマではなくても、誰もが乗ってしまうクルマをつくる。そこにあるのは、熱狂ではなく持続、憧れではなく必然。
その風景を眺めながら、私たちはいつも遅れて気づく。強かさとは、声高に叫ぶ情熱ではなく、気づけば傍らに根を張っている沈黙の力なのだと。
ここから東大新学部が学ぶもの、いや学ぶべきことは、トヨタが体現している「声高に叫ぶ熱狂ではなく、いつのまにか市場を支配してしまう沈黙の強かさ」だろう。国際化を標榜するなら、単に海外の大学へと通じる入口をつくることではなく、その入口の先に広がる大河を渡り切る術を、自らの中に仕込むことだ。
いま議論の渦で繰り返されているのは、出発点をどこに置くかの選択肢の比較に過ぎない。だが、学びの本質とは、出発点ではなく到達点にあるはずだ。誰もが目にする未来予想図よりも、誰も気づかぬ根をどう張るか。その差異こそが後に歴史を分ける。
東大が本当に問われているのはそこだ。そして私たちが目を逸らしているのも、またそこなのだ。
加えていうなら、これは白物家電における日本の衰退と、中韓の台頭という流れに通底する真実にもトレースできる。
かつて日本メーカーは、必要かどうかも分からない新機能を次々と投入し、消費者を先導するつもりで進化を競った。だがそれに付き合っていたのは、実は国内のメーカーが仕掛けた宣伝に酔わされた日本人だけだった。グローバル市場の需要と乖離したまま、目新しさを自国向けに消費したに過ぎない。結果、世界ニーズを愚直に掴みにいった中韓メーカーが勝ち、日本の凋落は必然だった。
その裏で矛盾するように持ち上げられたのが「ガラパゴス」という言葉だった。ニッチだがユニークに進化した証拠、と自画自賛に使われた。しかし現実には、フィーチャーフォンでも日本が500万画素を誇った時、韓国ではすでに800万画素、さらには「蚊を寄せつけない周波数音波を出す携帯」など、日本以上に奇天烈な「ガラパゴス」が生まれていた。つまり、ユニークネスですら日本は負けていたのである。
ここから東大新学部が学ぶべきは明白だ。大仰な未来予想図やキャッチコピーで「独自性」を演出しても、それが内輪の自己満足にとどまるなら、白物家電やガラケーと同じ道を辿る。独自性とは内向きの物語ではなく、外の世界の需要とぶつかり合ったとき初めて意味を持つ。グローバル市場の現実を直視しなければ、東大の「国際化戦略」もまた、独りよがりな製品カタログに終わるだろう。
東大新学部が「ガラケー」に終わるのか、それとも「ウォークマン」のように世界に衝撃を与えるエポックとなるのか。私たちはその岐路に立っている。だが忘れてはならない。ウォークマンですら、やがてはiPodに取って代わられたという歴史の教訓を。革新は一度限りではなく、持続しなければならないものだからだ。
教育制度における「新しさ」もまた同じだ。制度を変えただけで未来が保証されるわけではない。世界に通じる真の価値を掴み続けること、その不断の努力なしには、一瞬の輝きはすぐに風化する。
東大新学部が未来に残すべきなのは、ガラパゴスの小さな誇りではなく、世界の耳目を開く響きである。その響きが一過性の流行に終わるのか、あるいは世代を超えて記憶に残る旋律となるのか。今まさに、その答えを紡ぐのは、そこに集う人々の想像力と勇気にほかならない。
わかってないね。
海外大学を目指す人たちの多くは帰国生。
帰国生は日本人としてのアイデンティティを培うためにも国際系の学校で日本の教育を学ぶんだよ。
もちろん、国際併願することも念頭にある人もいるだろうけど。
これだけ多くの人たちが東大など日本の大学ではなく、海外の大学を目指すようになったのは、東大等の日本の大学の教育内容や教育環境等に魅力がないからだよ。
東大新学部が海外大学を目指す高校生たちの大きな流れを引きとめられるか、問われることになる。
日本の一部には、海外大進学を「人材流出」と嘆く声がある。或いは、自ら起業と全く無縁な人間が「アングラ大の方が起業には向いている」などと軽々しく口にする。しかし、それは余りに浅薄だ。
海外大に進むことは、むしろ大いなる財産である。日本では出会えない、世界の頂点に立つ知性や起業家、未来を牽引する人材たちが生み出す空気に触れ、それを吸い込み、呼吸する価値。それは国内に閉じたままでは決して得られない経験だ。
問題は、その後である。海外で培われた知性は、果たして「カズ・ヒロ」となるのか。カズ・ヒロとは、京都出身のメイクアップアーティストで、アカデミー賞を複数回受賞した世界的才能である。しかし彼は、日本での生きづらさを抱え、アメリカに渡り、国籍を離脱し、過去の日本人としてのアイデンティティさえ拒否した。日本に戻らず、自らの居場所を海外にしか見出せず、国益の外でその才を放つ者の象徴である。
現代美術家の草間彌生、李禹煥、村上隆、松山智一のような世界的才能も、日本という未熟で突出を異端としか評価できないシステムに弾かれた存在である。一方で、大谷翔平のような才能は評価はされたものの、日本が十分な環境や報酬を提供できなかったため、結果としてメジャーリーガーとしてアメリカで活躍せざるを得なかった。海外での活躍を無邪気に喜ぶだけでは視座が浅いのだ。そこには、日本の制度や国家の評価軸の欠如、加えて人材を接続する力の不足という根深い構造的問題が横たわっている。
或いは、中国のように「海亀」として帰還する道もある。中国では、海外大を経てMagnificent Sevenと呼ばれる一流企業に就職しても、最終的に祖国に戻り、その知を国家に還元する仕組みが整備されている。
決定的な差は、国家が「グローバル知性の価値」をどれほど正確に見極め、予算化し、投資する接続性を備えているかにある。中国はそれを実現した。だからこそ、彼らの知性は「頭脳流出」ではなく「頭脳循環」を生む。
東大新学部の挑戦は、「ガラケー」に終わるのか。それとも「ウォークマン」のような歴史的エポックを刻むのか。あるいはその先、iPodに取って代わられたウォークマンの轍を辿るのか。いずれにせよ鍵は、そこから巣立つ若者をいかに接続し、国家のリソースとして還流させるかにある。
知性は、投資と接続を前提にして初めて国益へと還元される。海外大進学の増加はむしろ希望である。それを「流出」と呼ぶか、「循環」と呼ぶかは、国家の構え次第だ。
願わくば、未来の知性が二度と「カズ・ヒロ」として孤独に漂泊せず、「海亀」として還るべき港を見いだせるように。日本がその港であり続けられるか否かこそ、東大新学部という実験の命運を握る一点である。
世界トップ大に多数輩出の英国名門校が日本に初拠点 ノースロンドン神戸 開校式
という記事に、
卒業生の40%がトップ20の大学に進学する名門校が日本に初拠点を開校。
探求型教育を基盤に日本の伝統文化を大卒にした独自のカリキュラムを展開。洗練された英語力と豊かな教育を提供する。
今後新設される校舎にボーディングスクールを開校。
とある。
極端に少子化が進む日本に、ハロウ、ラグビーなどのボーディングスクールに加え、インターナショナルスクールが次々と日本に開校している。
これらの学校の子どもたちは基本的に海外大学を目指すことになる。もはや国内においても教育のグローバル化は進み、本当に魅力のある教育内容や教育環境等を提供できるかどうかが問われることとなる。
近年少子化にもかかわらず、こんなにも多くのインターナショナルスクールやボーディングスクールがなぜ開校するのだろうか?
インターナショナルスクールの誘致を目指す浜松市
という記事に、
インターナショナルスクールの誘致を目指す浜松市は、東京の日本法人グローバルインディアンエデュケーションを契約先候補として公表。
浜松市長は海外の高度な技術をもった若者にも地域に入っていただき、地域の産業、地域を支えることを期待しているとのこと。
都心の再開発エリアの富裕層が集まる地域だけでなく、地方でもインターナショナルスクール等が次々と開校していく。
こうした中、伝統校、東大等の日本の大学、日本企業が選ばれるようになるのか、問われることとなる。
インターナショナルスクールやボーディングスクールの観点で言うなら、
> こうした中、伝統校、東大等の日本の大学、日本企業が選ばれるようになるのか、問われることとなる。
これだけでなく、国際系が選ばれるようになるのか、も問われることとなるね。
それはそうと、あなたは勘違いしています。
> 近年少子化にもかかわらず、こんなにも多くのインターナショナルスクールやボーディングスクールがなぜ開校するのだろうか?
近年開校したボーディングスクールの多くは中国資本です。日本人マーケットを対象に作られた訳ではありません。中国の富裕層が欧米の教育を受けさせるために、自分の子どもを日本のボーディングスクールやインターナショナルスクールに通わせることが狙いです。
ですから、「なぜ開校するのだろうか?」への答えは、「中国資本が中国人富裕層マーケットを取り込みたいから」です。
あなたには難しいかもしれませんが、背景には中国政府による国際教育とバイリンガルの私立教育に対する締め付けがあったりもしますし、その他様々な背景がありますよ。




































