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東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?

【7697918】
スレッド作成者: 東大王 (ID:nMjSBSRGBB.)
2025年 08月 06日 17:57

東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」

入試概要:
A方式(50名)
 *大学入学共通テストの結果
 *高校の調査書(または成績証明書)
 *エッセー
 *東大が指定する英語試験の結果などの書類
 *英語による面接

B方式(50名)
 *東大が指定する国際的な統一試験の結果
 *複数の提出書類
 *英語による面接


特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします

【7699795】 投稿者: meta視点から   (ID:lrshTWLgAV.)
投稿日時:2025年 08月 12日 14:32

因みに上記私の書き込みをGPTに手直ししてもらった。

前提として:これは「英語化反対論」ではない。むしろ、英語化礼賛が浅すぎることへの異議申立てです。

英語化によって「世界中から優秀な人材が集まる」という期待は、表層的な願望にすぎません。

英語が必要条件であることは否定しません。問題は、それが選ばれる大学になる十分条件では決してないという点です。

なぜか。
それは、「優秀な学生」は、英語が通じる場所を探しているのではなく、学ぶ価値がある場所を探しているからです。

世界には、英語で修士課程を提供している大学など山ほどあります。
しかし学生が集まる大学と集まらない大学は、はっきりと分かれている。

その差は何か?
研究力、資源、産業との連携、在留支援、文化的な包摂性――これらの総合力に尽きます。

ETH Zurich や TU Munich が国際的評価を得ているのは、「英語で授業をしているから」ではありません。
英語化はただの導線。選ばれる理由にはならない。

さらに、日本のSGU(スーパーグローバル大学)では、英語で授業を受け、日本語も日本の学術文化も理解せずに卒業する留学生が少なくないという現状があります(文科省報告書, 2022年)。

これは「来るが、根づかない」状態。
つまり国際化ではなく、一時的な流入に過ぎない。

もっと深刻なのは、英語化によって「日本語による知の体系」が崩壊するリスクです。
国際教育学の分野では、Altbach & Knight(2007)をはじめとした研究が、英語偏重によるローカル知の喪失と制度的植民地主義の進行を警告しています。

東京大学が「日本語による思考と知性の蓄積」を犠牲にしてまで英語圏的価値観に最適化すべき理由は、果たしてあるのか?

ここまで来ると、もはや言語の問題ではなく、「学術主権」の問題です。

結論:英語化とは、ただの手段である。
その手段を使って、どれだけ深く自国の文化・研究・制度と結びつけられるかが問われている。
それがなければ、単なる「英語圏向け商品化」に終わる。

本当の意味でのグローバル化とは、言語を変えることではなく、「価値の厚みを世界と共有できるよう設計すること」。

表層の英語で大学の本質は変わらない。
そのことは、すでに世界の大学改革が証明しているのです。


くぬぬ。。。
私の文章より格段に読みやすく、印象的ではないか。だが、認めん。
私は私の文章でいきます。読みにくかったら読まなきゃ良いのよ〜

【7699797】 投稿者: ん!   (ID:vGtKGHJYbMs)
投稿日時:2025年 08月 12日 14:39

貴方の文章は大変読みやすくてよ。説定ですとか経歴ですとか、どなたがニートですとか、細かいことはお気になさらずにお書きになられたらよろしいわ。


ごきげんよう

【7699798】 投稿者: 仕切り直し   (ID:dCDoEiNTLuM)
投稿日時:2025年 08月 12日 14:40

あなたの指摘する「英語化=国際競争力強化は短絡的」という見方は一面の真理ですが、その前提に重要な論点のすり替えがあります。確かに英語化だけで世界中から優秀な人材が雪崩れ込むわけではありません。しかし、国際的な研究者・院生の母集団にアクセスするための最初のゲートウェイが言語である以上、そのゲートを閉ざしたままでは他の要素(研究環境・資金制度・企業連携)をいくら磨いても、そもそも候補者が入口に辿り着きません。必要条件を整えずして十分条件の議論をしても、机上の空論に終わるのです。

ETH Zurichの例も、確かに研究水準や企業連携が地位確保の要因ですが、彼らは修士課程の全面英語化を通じて世界の人材プールと直結し、その上で資金・制度を組み合わせています。言語開放と質的魅力の構築は順序ではなく両輪です。東欧やASEANで英語化しても学生が集まらない例は、英語化以外の条件が整備されていないためであって、英語化そのものの効果を否定する根拠にはなりません。

また、SGUで「滞在はするが定着しない」留学生がいる事実も、英語化の失敗ではなく、英語化に伴う統合プロセスの設計不足が原因です。逆に言えば、英語化と並行して文化的・制度的インテグレーションを組み込めば、短期滞在型から長期定着型への転換は十分可能です。

さらに、「英語化は植民地化のリスク」という議論は、言語をゼロサム的に捉えすぎです。日本語による知的蓄積を維持しつつ、英語による発信チャンネルを増やすことは両立可能です。国際競争力を意図的に制限してまで「学術主権」を守るという発想は、結果的に自国の研究を世界的議論の周縁に追いやる危険すら孕みます。

結局、英語化は魔法の杖ではありませんが、世界の優秀層をリーチするための不可欠な基盤です。その基盤を持たずして「厚みある設計」を語っても、対象は永遠に国内限定に留まり、国際舞台での発言力は構造的に弱まります。英語化は「必要条件にすぎない」のではなく、「必要条件であるがゆえに避けて通れない第一歩」なのです。

【7699799】 投稿者: 次   (ID:qSTWaQMw5i2)
投稿日時:2025年 08月 12日 14:43

あなたの懸念する「英語化は表層的」という指摘は理解できますが、グローバルサウスの視点から見ると、英語化は単なる言語選択ではなく、アクセス権の拡張そのものです。多くの新興国の学生・研究者は、日本語習得に費やす時間や資金を確保できません。特にアフリカ、中南米、南アジアでは、国内で日本語教育のインフラが脆弱で、優秀な学生であっても「言語の初期壁」で応募自体を諦めざるを得ないケースが大半です。

英語化は、その初期壁を一気に低くし、応募の母集団を広げます。これは単に「必要条件」ではなく、グローバルサウスにとっては参加資格そのものを保証する基礎条件です。ETH Zurichやシンガポール国立大学(NUS)も同様で、英語化によってアジア・アフリカのトップ層が直接アクセスできる環境を用意し、その後に制度・文化統合を設計しています。

さらに、日本がアジア以外から優秀層を引き寄せたいなら、日本語前提の制度は構造的に不利です。例えばアフリカの工学系トップ人材は、卒業後に国際機関や多国籍企業で活動することを前提にしており、日本語という地域限定言語よりも英語環境を求めます。日本語運用能力の欠如を理由に排除することは、彼らから見れば「最初から門が閉まっている大学」という印象につながります。

もちろん、英語化だけでは定着や統合は保証されません。しかし、グローバルサウスから見れば「まず門を開く」ことが存在意義の前提です。その入口が閉ざされている状態で、研究環境や文化融合の魅力を伝えても、そもそも届かないのです。

結論として、日本の学術主権を守りつつも、英語化は国際的発言権を確保するための基礎的インフラです。特にグローバルサウスにおいては、それが「贅沢な付加価値」ではなく「最低限の参入条件」なのです。

【7699803】 投稿者: 大学院   (ID:ffhEImfM9/g)
投稿日時:2025年 08月 12日 14:59

数年前に日本語下手な優秀な留学生がとある研究室で活躍してましたね。
教員とは勿論英語で、研究室内ミーティングも英語なので問題なし。
卒業後は研究内容とは全く関係ない分野の仕事を楽しくやってるようで笑。
結局、優秀な留学生が来ても一時的に滞在するだけで何の国益にもならないケースが大半です。まずは大学に残ってPhDまで頑張る学生を増やす、そのためには若手研究者のポジション増設と待遇改善を大幅に改革しないとアカデミアに残る若手は増えないでしょう。
研究者を大切にする気がなければ英語で授業やったところで研究力アップするわけがない。
冷めた目でみてる東大関係者は少なくないですよ。

【7699811】 投稿者: 次   (ID:0dcwiiyVFLA)
投稿日時:2025年 08月 12日 15:19

確かに、優秀な留学生が日本に一時的に滞在して研究室を離れるケースは多いかもしれません。しかし、国益を「日本国内に留まること」に限定するのは視野が狭すぎます。グローバル化した現代において、優秀な研究者が日本で学び得た知識や経験を母国や世界の舞台で活かし、日本との学術的・産業的連携を促進することも立派な国益です。

例えば、日本で博士課程を経た研究者が帰国後に国際的なネットワークを構築し、日本企業や大学との共同研究、技術交流、ビジネス展開に貢献すれば、それは「国際貢献」かつ「間接的な国益拡大」に繋がります。滞在期間の長短にこだわるより、世界に広がる人材の“ハブ”となることこそ、日本の国際的地位向上に寄与します。

もちろん、若手研究者の待遇改善やポジション拡充は重要課題ですが、英語化によって優秀な人材が日本にアクセスしやすくなること自体が、研究力強化の第一歩となる点は否定できません。多様な国際人材が交わる場を提供し続けることこそが、結果的に日本の研究環境を活性化させ、長期的な国益に繋がるのです。

【7699813】 投稿者: 大学改革   (ID:RrfJu/qwg/A)
投稿日時:2025年 08月 12日 15:22

研究者ももちろん重要だが、大学や大学院を卒業するものは、ほとんどは日本で企業等に就職する。

留学生の場合は半数程度が日本で企業等に就職する。この割合を政府は6割に引き上げる目標を定めている。

今や日本企業でさえ、インドの大学等から優秀な人材を雇用する競争に直面している。日本の大学や大学院が素通りされていることを自覚した方がいい。

日本企業もできれば日本と母国を良く知る人材として、日本の大学や大学院に進学した人材がほしいと思っている。

東大は卓越大学の申請をしており、卓越大学に認められれば東大の改革の方向性が東北大のように公表される。

日本の大学は英語授業への転換だけでなく、ガバナンス、組織、人材の多様性等を含め徹底的に改革していくことが必要。研究者は国に金をくれとか、雑務を減らすべきとか、愚痴ばかり言わず、みずから大学改革をすべき。

【7699814】 投稿者: meta視点から   (ID:uOzT.YpF5wQ)
投稿日時:2025年 08月 12日 15:24

これまでの流れ、大筋として同意します。

が、いずれも「英語」「研究者の雑務」「起業家育成」など具体論の枝葉に集中しており、肝心の幹の部分=制度の根幹と文化資本の設計思想への言及が乏しいように思います。

たとえば、「ハーバードの財務基盤」を引き合いに出す議論は定番ですが、彼我の最大の違いは、「寄附文化が根づいているか否か」ではなく、そもそも大学が「どの階層」の「誰のため」の装置として機能してきたか、にあります。

米国のトップ大学群は、歴史的に「国の未来を担う人材を少数育成するための投資対象」であって、同時に「富裕層が階級再生産するための文化装置」でもありました。

故に、卒業生の帰属意識は高く、寄附という行為も「資本による政治的参加」の一形態として定着しています。自己保身とは敢えて言いません。

一方、日本の大学(特に旧帝大)は、明治以降「国家官僚や技術官僚の供給装置」として整備され、主体的な資本形成や産業創出よりも、組織適応能力を重視する訓練機関として機能してきました。

卒業生が起業で財を成しても、大学に寄附する文化は育たず、大学側も「資本形成より制度適応」に長けた人材を是とする評価構造を温存してきた。

つまり、問題の根は「研究者が雑務で疲弊している」ことや「起業家が少ない」ことではなく、大学という制度の本来的な目的を誰がどう再定義するかという設計思想のレベルに根本的要因がある。

文科省の審議会で「雑務軽減」や「スタートアップ推進」が議論されても、それが「大学制度の構造転換」ではなく、「予算削減下での現場最適化」に過ぎないなら、本質的な変化には至らないでしょう。

「予算を増やせばいい」という声ももっともですが、予算が配分された先で「何を以て価値とするのか」という評価軸の再構築なくしては、いくら金を積んだところで、戦略なき投資に終わるのが関の山。

東大をハーバードにしたければ、まずは「何のために大学があるのか」という問いを、日本語だの英語だのと言った表層の「言語」ではなく、思想のレベルで再設計する必要があるでしょうね。

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