今年入学した高1生が語る青春リアル
東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします
議論を戻しましょうか。
誤記も訂正。
学校が「探究教育をやらせる」時点で、それは既に探究ではない。制度化され、パッケージ化された探究は、優秀な子にとってはただの演習問題に過ぎず、その他大勢にとっては「探求シミュレーション」で終わるだけ。
けれど、これは教育制度の限界であると同時に、日本社会の深層に染みついたメンタリティとも直結している。
寄らば大樹、付和雷同、空気を読んで異を唱えない。独自性を持たず、群れに埋もれて安心しようとする。そもそも、自分として生まれて来たのに、誰か仲間がいないと不安という感覚そのものが、私には理解できない。
以前放映されていた、セールスフォースの日本のCMをご存知だろうか?こうした我が国の風土に鋭く切り込む深い“コトバ”だ。
“Rather than being in a crowd without reason, become isolated with a reason.”
「無意味に群れるよりも、意志のある孤立を。」
群れに紛れることで安心を買う代わりに、独自性を放棄して空虚になる。これが日本でイーロン・マスクのような独創的リーダーが生まれない最大の理由。
この際、全文掲載。
Are you satisfied with the world we live in now?
Rather than perfection, but an eternal imperfection
Rather than criticize, but to suggest
Rather than to grieve, but to have humor
Rather than being ordinary, but to be extraordinary
Rather than for the past, but for the future
Rather than to say what’s right, but to do what’s right
Rather than being in crowd without reason, become isolated with a reason
Rather than just for myself, but for the world
Rather than the world as it is now, but to a world better than ever.We have the power to make this world much more interesting
To the World Beyond
今の世界で、満足か?
完璧よりも、永遠の不完全を。
批判よりも、提案を。
嘆きよりも、ユーモアを。
常識よりも、非常識を。
過去よりも、未来を。
正しいことを言うよりも、正しい行動を。
無意味に群れるよりも、意志のある孤立を。
自分のためのみよりも、世界のためを。
今の世界よりも、これまで以上の世界を。
人間次第でこの世界はもっと面白くなる。
さあ、次の世界へ。
批判ではなく提案を、常識ではなく非常識を。孤独を恐れずに飛び込む人間だけが、新しい景色を切り拓く。
思い返せば、私の周囲にもいた。米国の大学に単身で進学し、サスペンションの研究からスタートアップを興し、後に会社がGoogleに買われ、そのままGoogleで働く知人、フランスに渡り、今やPRADAの広告に立つ同世代の知人、国連でキャリアを築いた後に、法人企業の海外進出をバックアップする会社を立ち上げ、アフリカや中東あたりの辺境の地で、ガチで勝負している仲間。何れも、誰かにやらされた「探求」ではなく、自らの意志を燃料にして跳んだ人々。
制度化された「安全な探究」と、制度も保証もない「孤独な飛躍」。教育は投資であると同時に賭けである以上、家庭がどちらに舵を切るかが本質。
パンフレットに映る数人の成功者や表層的「グローバル」という耳障りのよい言葉に目を奪われている時点で、すでに視座を外に明け渡している。
教育の本質は風に翻弄されることではなく、自ら風を起こすこと。
天は自ら助くる者を助く。
制度も流行もいずれ色を変えるが、自らを駆動する意志だけは奪われない。
風を待つ者に未来はなく、自ら風を起こす者だけが、新しい大地に立つ。
日能研では2021年から海外大学の合格実積を報告し始めた。2021年、2022年までは各中高一貫校の現役合格者2人以上のデータを作成。
2023年に2人以上だと100校になった。そのため3人以上でまとめたら73校となった。
首都圏私立国立公立中高一貫校が300校弱なので、25%以上が海外大学3名以上合格。
これほどまでに海外大学志向は進んでいる。
2021年~2025年の海外大学合格実積ランキング
1位 広尾 1123人
2位 茗渓 391人
3位 三田国 292人
4位 渋渋 195人
渋幕 195人
6位 学芸国 182人
7位 開智日 106人
8位 文杉 104人
9位 かえつ 95人
10位 開成 77人
開成を除くと国際系の学校が圧倒的に海外大学合格実積があり、多くの高校生が海外大学を目指している。
これだけ多数の高校生が東大を含む日本の大学を目指さないのはなぜか?
なぜ日本人の保護者は海外の中等教育機関、ボーディングスクール、インターナショナルスクールと日本の教育を受けないことを高い金を払ってまでしているのか?
なぜ日本の中等教育で国際系の学校が選ばれるのか?
そこを問うべきだろう。富裕層や海外経験者等一部の動きだと片付けている人間に問題があるのでは。
「日本の大学は魅力がないから若者が離れている」「答えのある演習ばかりだから避けられる」──そうした短絡的な診断では、この問題の本質は一歩も見えていない。
少子化で大学が減るのは既定路線だが、そこで終わりではない。すでに佐賀県武雄市では「武雄アジア大学」構想のように、大学を単なる教育機関ではなく、医療・雇用・人口定着をつなぐ地域存続の装置として再定義しようとする動きがある。対照的に三重県の県立大学構想は立ち消えた。そこに見えるのは、単なる温度差ではなく、「大学という制度に何を託すか」という行政哲学の差だ。
つまり大学の未来を語るなら、「魅力があるかないか」という感想レベルではなく、社会制度としてどんな役割を担わせるかに踏み込む必要がある。若者の流出入も、その制度設計の一部にすぎない。都市の大手私大に集中させれば便利かもしれないが、同時に地方社会の崩壊を加速させる。だからこそ地方大学は「教育競争機関」ではなく「地域のハブ」として再編されるべきだし、それがなければ国家全体の統治困難が深まる。
海外大学への合格者数を並べたり、「偏差値教育は嫌われる」と嘆いたりする議論は、すべて現象の表層にすぎない。問うべきは「十年後、大学が何を担う制度へと変容するのか」であって、「今、合格者が何人減ったか」ではない。
教育を「消費する場」としか捉えない視点では、未来の設計は一切できない。大学は潰れるだけでなく、形を変えて生き残る。その変質をどう方向づけるかこそが、いま最前線で問われていることだ。
「なぜ東大を含む日本の大学を目指さないのか」「なぜ高額を払ってまで海外や国際系の学校を選ぶのか」──その問い自体が浅い。まるで教育を「どこに通うか」の消費選択としてしか見ていないからだ。
本質は、教育を通じて「どんな未来を拓くか」にある。海外ボーディングに行くのも、インターに通うのも、東大を避けるのも、それ自体がゴールではなく「通過点」にすぎない。親や生徒が動いているのは「学校選び」ではなく、「未来への布石」だ。
そしてそこに、日本の教育制度の弱点が露呈している。国内の多くの学校が「既存の枠組みの中での競争」しか提示できず、「世界で勝負するための跳躍の場」になっていない。だから富裕層や帰国子女だけでなく、より広い層が外へと流れていく。
だが問うべきは「なぜ海外か」ではない。むしろ「国内でどうすれば未来を切り拓く教育が可能になるか」だ。武雄市が大学を「教育機関」ではなく「地域存続装置」として構想したように、日本の教育もまた制度そのものを再設計しなければならない。
学校や進学先を「ブランド選び」としか捉えている限り、議論は表層で堂々巡りするだけだ。教育の本質は「どこに通ったか」ではなく、「その先で何を生み出したか」にある。




































