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東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?

【7697918】
スレッド作成者: 東大王 (ID:nMjSBSRGBB.)
2025年 08月 06日 17:57

東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」

入試概要:
A方式(50名)
 *大学入学共通テストの結果
 *高校の調査書(または成績証明書)
 *エッセー
 *東大が指定する英語試験の結果などの書類
 *英語による面接

B方式(50名)
 *東大が指定する国際的な統一試験の結果
 *複数の提出書類
 *英語による面接


特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします

【7714002】 投稿者: これまでの流れ   (ID:Kq4swj21bhI)
投稿日時:2025年 09月 26日 20:08

メタさんが、これからはAIが自動翻訳するから英語は要らない、と書いて、これに保護者さんが、AIは英語情報でできており、英語ができないと使いこなせない、と反論したところ。
個人的には保護者さんに賛成。AIを作ってる人は、英語に不自由していないので、英語のできない日本人のために投資するとは思えない。
マイクロソフトのワードの日本語バージョンが使いにくいと言われてもずっと改善されないと一緒。日本は市場が小さいマイナー国であり、日本語環境には投資があんまりなされないから、個人レベルの解決策としては英語を若いうちからガンガンやるしかない。

【7714006】 投稿者: で?   (ID:EcvWF0rhaSY)
投稿日時:2025年 09月 26日 20:13

コクサイケイの中高一貫に行けば一発解決…的な結論?

【7714007】 投稿者: というか、   (ID:EcvWF0rhaSY)
投稿日時:2025年 09月 26日 20:14

レスをするスレッド、間違えてない?

【7714009】 投稿者: 教員   (ID:/b7Z0.0TAb6)
投稿日時:2025年 09月 26日 20:16

なかなか集まらなくて学内では評価低いけど、エデュではエライ期待されてるんだね。

【7714024】 投稿者: meta視点から   (ID:c30bD8b1Tpk)
投稿日時:2025年 09月 26日 21:02

西千葉さんの依頼を基に作成した志望理由書(完成稿・約2000字)、英字サマリー(1000語相当)を再度置かせていただきます。

少し前に絡んで来た方が同様に文章作成していましたが、AI(GPT、DeepSeek、Gemini)にAI作成と見抜かれ、おそらく彼が作成に用いたと思われるGeminiには「東大総長の具体的な発言や生産研の研究内容といった、新学部の設立背景に関する「良質な情報」を元にAIに書かせた、つまり採点基準に沿って書かれたもの」と見抜かれていました。

ですので、AIを用いれば、もっと短時間に何度もブラッシュアップできそうですが、AIを高精度に判別されれば、却って減点対象になるであろうと、本気で手動手直ししました。

これを以て最終稿と致します。人力でやれる事は全部したと思います。

英語も高校生が使って違和感のない単語に抑え、日本語の語呂合わせで書かれている部分も、英語でそのニュアンスが伝わる様に記述しました。

もちろん、英文の専門家が手直しすればもっと洗練されるでしょうが、その素人が書いた荒削りな箇所が寧ろ高校生レベルに判断されると思います。

西千葉さんの仰る様に、受験生の志望理由書作成時のベースにして頂いたり、塾の参考例にして頂いて良いと思います。著作権も放棄してしてフリー素材と致します。

以下

志望理由書(完成稿・約2000字)
 日本社会が直面する深刻な課題のひとつに、子どもの貧困があります。厚生労働省「国民生活基礎調査」(2022年)によれば、子どもの貧困率は11.5%、すなわち約9人に1人の子どもが貧困状態に置かれています。経済的に豊かに見える先進国の中で、この数字は決して軽視できない現実を示しています。その背景には、親の非正規雇用や低賃金、住宅の不安定さ、教育格差といった複合的要因がありますが、現状では国や自治体の政策対応は十分に追いついていません。
 この現実に対して、市民や地域が自主的に生み出したのが「子ども食堂」です。全国で1万カ所を超える規模に広がり、ボランティアと寄付によって運営され、温かい食事と安心できる居場所を子どもたちに提供してきました。子ども食堂の誕生と発展は、市民社会の底力を示す象徴的な出来事でした。しかしその一方で、子ども食堂の「役割」や「期待のされ方」にも課題が浮かび上がっています。
 その象徴的な出来事が、東京都大田区で13年間子ども食堂を運営してきた近藤博子さんの「『こども食堂』という名前を使わない」とする宣言でした。彼女は、子ども食堂に「子どもの貧困対策」という役割が過度に投影されてしまい、実態以上の期待とイメージが独り歩きしていると指摘します。企業が寄付を行うことで「子どもの貧困に貢献している」と自己満足に浸る構造。月に数回の食事や数キロの米を渡すことが、根本的な解決には結びつかない現実。むしろ、子どもたちの生活はより厳しさを増しているという実感。そこには、善意の活動が「社会問題の代替装置」として消費されていく危うさが表れていました。
 私が志望理由の中核に据えたいのは、この「子ども食堂」を単なる対症療法的な貧困支援の場ではなく、世代をつなぐ共生の場へと拡張するデザインです。とりわけ、高齢者の孤立問題と子どもの貧困問題を接合させることに大きな可能性を見ています。
 現在、日本の高齢者の中には、孤独や社会的断絶に直面する人が少なくありません。生涯で培った知識や経験を活かす機会がなく、また家庭や地域から切り離されることで心身の健康を損なう例も多い。この「高齢者の孤立」と「子どもの貧困」は、表面的には異なる社会問題に見えますが、両者をつなぐ仕組みを設計すれば、互いに補い合い、新たな社会的価値を創出できるのではないかと考えます。
 具体的には、子ども食堂に高齢者が積極的に参加する形です。料理を通して伝えられる「お袋の味」、職業生活で得た技能や知識、そして人生経験に裏打ちされた言葉。それらを子どもに伝えることで、食堂は単なる食事提供の場ではなく、教育と教養の交流拠点に変わります。子どもが宿題を広げる横で、年配者が経験談を語り、時には包丁の握り方や家庭の知恵を伝える。逆に、子どもがスマートフォンや最新の流行をシニアに教える場面もあるでしょう。その双方向性こそが、「教育」と「教養」の本質を浮かび上がらせます。
 愛知で365日子ども食堂を運営する大法寺の住職、長谷雄蓮華氏はこう述べています。「人間を幸せにするのは教育と教養。教育とは『今日行くところ』があること、教養とは『今日用事』があることだ」と。この言葉は、子どもにも高齢者にも等しく当てはまります。食堂に通う子どもにとっては「今日行く場所」ができ、高齢者にとっては「今日やる役割」が生まれる。まさに、世代を超えて人間の尊厳を回復させる仕組みがそこにあります。
 もちろん、子ども食堂を通じて貧困そのものを根絶することはできません。住宅や雇用や教育といった構造的課題には、国家政策が不可欠です。しかし、地域での実践の中にこそ、政策や制度を設計し直すヒントが宿ると考えます。子ども食堂における世代間協働のデザインは、その典型です。ボランティアの美名に頼るのではなく、地域の制度設計に組み込み、自治体や教育機関、福祉政策と接続することで初めて持続性を獲得できるでしょう。
 このような取り組みは、単なる福祉活動ではなく、「知をいかに社会にデザインするか」という問いに直結しています。まさに東京大学が新設する学部「College of Design(仮称)」の理念に合致する挑戦です。知識を一方向的に伝えるのではなく、異なる世代・立場を橋渡しし、制度の枠組みを再編すること。これは法律や経済や福祉といった既存学問の境界を越え、実社会の課題解決に直結させる営みです。
 私がこの学部を志望するのは、まさにその「制度をデザインする力」を学び、実践に結びつけたいからです。子ども食堂を拠点とした世代間協働のモデルを構築し、そこから見える政策提言を社会に発信する。その過程で、教育学や福祉学、都市計画や公共政策といった学問の知を結びつけ、新たな社会像を描きたいと考えます。
 将来、子ども食堂が「減っていく」ことこそが、本当の意味での成功です。子どもの貧困が減り、社会が豊かになった証だからです。けれど、その過程で「子ども食堂」という仕組みが一過性の救済装置ではなく、世代をつなぎ、人々に「今日行く場所」と「今日やる役割」を与える場として進化すれば、日本社会は大きな力を得るでしょう。その実現に向けて、私は大学での学びを深め、実践的な制度設計に挑戦したいと考えています。

Redesigning Social Systems: A Vision for Intergenerational Connection
One of the most pressing issues in contemporary Japan is child poverty. The 2022 Comprehensive Survey of Living Conditions revealed that 11.5 percent of children—nearly one in nine—live in poverty, a sobering statistic in a country often seen as economically prosperous. The root causes are complex, including unstable employment, low wages, and educational disparities, yet existing government policies have proven insufficient to address them.
In response, a powerful grassroots movement has emerged: the “kodomo shokudō,” or children’s cafeterias. With over ten thousand locations nationwide, these volunteer-run, donation-supported spaces provide warm meals and safe havens for children. While a testament to civic solidarity, the movement has also exposed a critical paradox. As Hiroko Kondo, a longtime cafeteria operator in Tokyo’s Ōta Ward, pointed out, the term itself has come to be a symbol of a problem it cannot solve. Corporations and individuals might donate to feel they have "done their part," but a few meals a month won't fundamentally change a child's life. The risk, she noted, is that these well-intentioned acts are consumed as a substitute for meaningful policy.
This insight is central to my own aspiration: to redesign the children's cafeteria movement. Rather than seeing it as a stopgap measure for poverty, I see it as a powerful, untapped platform for intergenerational exchange. This approach would tackle a second, equally critical crisis: the widespread social isolation of Japan's elderly. Many seniors, despite their accumulated knowledge and life experience, find themselves disconnected from their families and communities, leading to both physical and mental decline.
My proposal is simple but transformative: bring the two groups together. In this new model, a cafeteria would become a dynamic hub where seniors pass on culinary traditions, practical skills, and life stories. In return, children might teach their elders how to use modern technology, bridging the digital and cultural gaps. This reciprocal exchange is what truly constitutes education and cultivation. As Haseo Renka, a Buddhist priest who runs a year-round children's cafeteria in Aichi, has said, what brings happiness is “to have somewhere to go today, and something to do today.” For children, the cafeteria becomes a destination. For seniors, it provides a purpose. For both, it restores a sense of dignity.
I recognize that this model cannot, by itself, eradicate structural poverty. Large-scale issues in housing, employment, and education require national policy. However, I am convinced that the most effective solutions are those that emerge from practical, local initiatives. By studying how to integrate this intergenerational model into municipal systems, education, and welfare policy, we can move beyond the limits of volunteer goodwill and create a sustainable, scalable system.
This is precisely why I am drawn to the University of Tokyo’s new College of Design. Its mission to "design society through the structuring of knowledge" is a direct call to action. I want to learn how to bridge existing academic disciplines—from public policy and urban planning to education and welfare—to solve real-world problems. My goal is to build a practical, evidence-based model of intergenerational collaboration, and from it, develop policy proposals that can be implemented on a wider scale.
Ultimately, the true measure of success would be the day that children’s cafeterias are no longer necessary, because child poverty has been solved. Yet, even as that goal is pursued, if these spaces can evolve into enduring institutions that connect generations and provide everyone with a place to go and a role to play, they will have left an indelible mark on Japanese society. This is the challenge I wish to take on through my studies at your college.

【7714025】 投稿者: 要注意リスト   (ID:cjKzq3z4SKQ)
投稿日時:2025年 09月 26日 21:08

入りですね。
似たような内容の志望理由を書いた生徒は不合格で。

【7714038】 投稿者: meta視点から   (ID:gv03jM1oaxI)
投稿日時:2025年 09月 26日 21:42

さて。
東京大学の新設学部「College of Design」に対する、私の意見。

5年一貫制、英語教育、全寮制、9月入学など、制度面での目新しさばかりが語られるが、本質はそこではない。むしろ、国内ブランドへの依存では人材を惹きつけられなくなったという冷徹な現実を直視し、大学そのものを内側から作り替えようとする試みだと見るべきだろう。

形式的な欧米化ではなく、選抜と育成を国内の高大接続システムから切り離し、国際的な人材市場に直結させようという意思が透ける。背景にあるのは少子化ではなく、国内での磁場はあっても、国際競争では通用しないという危機感だ。

これまで東大に集まってきたのは国内制度に最適化された優等生であって、世界に問いを投げ返す創造性や設定力を備えた人材ではなかったのではないか。その反省がようやく内部から声になったということだ。

だからこそ、この学部が呼びかけているのは、東大経由で大企業や官庁に流れる安全な出口ではない。むしろ既存のキャリア設計を一歩外れ、最初から世界を主戦場に据える志向を持つ層だ。国内制度との距離をあえて取る姿勢は、東大が初めて自らの前提を疑い始めた証拠でもある。

ただし、構想と現実のあいだには深い裂け目がある。制度を動かすのは理念ではなく人であり、教員配置、入試設計、授業運営といった実務面では既存リソースでは到底足りない。特に全授業を英語で行える教員の確保は国内では難しく、海外から本当に一流を呼ぶなら報酬体系や研究環境を根本から壊す覚悟が必要だろう。

そこに踏み込めるかどうか。構造改革を伴わなければ掛け声倒れに終わる。しかも「多様性」や「国際性」が実際には東アジア出身や日本語に近い背景の層に偏るリスクも高い。形式的には英語で運営されても、実態は国内延長線という逆説に陥る可能性は否めない。

さらに、英語化は言語能力の問題に留まらない。大学の委員会、規程、研究倫理、キャリア支援といった神経系全体を双語化する必要がある。そこまで組織を作り直せなければ、英語授業はただの表層に終わる。

摩擦を最初に被るのは学生ではなく教員だ。授業も研究も生活支援も担いながら、英語で校務もこなす。不可視の労務やメンタルケアの負担は増え、既存の昇進・研究評価の物差しでは測れない成果が山積する。査定軸を変えなければ、学際や共同体形成の名の下に無償労働だけが増える危険がある。

一方で、この学部の掲げる「社会システムの変革」「広義のデザイン」といった理念は壮大だが、出口は不透明だ。どの産業がこの人材を必要とし、どの領域に社会実装できるのか。その道筋を曖昧にしたままでは、理想だけが浮遊する。5年間で知識を職能に転換する仕組みを設計できなければ、学生を送り出す先は霧の中だろう。

結局、この学部の行方は二つに一つだ。既存枠の外に置かれる「別枠」にとどまるか、それとも東大全体の再構築を触発する「中核モデル」となれるか。後者になれなければ、ただ少人数のエリート枠を追加しただけで終わる。

開くとは、外に翻訳し、晒し、変容することを意味する。包摂を掲げるなら、異物を外から取り込むのではなく、異物を前提とした共同体を設計できるかどうかにかかっている。

理念と制度のあいだをどう橋渡しするか。その実行力こそが、これからの東大を決定づける。

【7714046】 投稿者: 西千葉   (ID:7Ko7vDMSNss)
投稿日時:2025年 09月 26日 22:36

有難うございます。metaさんのtentativenessに刺激される高校生が現れるでしょうね。楽しみです。

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