日大明誠が選ばれる理由とは?
2026年東大合格者が伸びそうな学校
河合東大オープン第2回受験者数でみる
2025東大合格率
中学受験の参考になる情報です
合格率 高校 東大合格/東大オープン受験者
74.1% 筑駒 117/158
59.5% 渋渋 50/84
56.0% 渋幕 75/134
54.0% 聖光 95/176
50.5% 浅野 51/101
46.4% 麻布 83/179
43.7% 栄光 55/126
42.6% 開成 150/352
38.3% 海城 49/128
37.5% 早稲 30/80
35.4% 筑附 28/79
35.0% JG 28/80
33.3% 桜蔭 52/156
29.7% 豊島 19/64
28.9% 駒東 39/135
25.7% 広尾 18/70
23.3% 市川 17/73
やり取りを拝読しながら思い出したのは、総武線緩行の始発辺りから乗っていた桜蔭生です。紺地に、白くOINと大き目に抜いた手提げを持っていました。その手提げが教育指針を押し出していて、即ちそれは質実剛健かな、と伺ったものです。なるほどこれが、女子高等師範学校の気前かと、妙に感心した覚えがあります。まだ、生徒に持たせているのでしょうか。
おや?
消されるほどの内容かな?
1分差 笑
スルーするつもりができない 笑
必死さが伝わってきますね←こういうのも稚拙な印象操作です。
結構ですとおっしゃるのなら
>当時は2つ3つのスレを跨いでのやり取りで私の記憶ではまた別のスレで「人間は〜」とあったと思いました。しかし削除祭りもあり今現在は見つかりません。
などと言い訳をしない事です。
あなたが絡んで、私が言ったという発言も見つけられなかった。
消えたとしても魚拓やキャッシュというのもありますが、それも、スクショなどもない。
裁判であれば証拠不十分で無罪、不起訴です。
つまりあなたの負け。であれば、陳謝して、もう結構です、ですよね?大人なら。
にも関わらず、「現在は見つかりません。」と、まだ私が言ったとおっしゃる。このやり取り、ご自身のお子さんに見せられますか?
とは言ったものの、まあ、内情を言えば、私自身、さっきのダイタイアッテル、結構好きで昔よく使っていたフレーズですがここで最近書いた記憶は見直すまで全くありませんでした。
ですので、ひょっとしてして
「人間は経験したものしか理解できない」
的な発言を絶対に言っていないと自信を持って言えるか?と言われれば、そんなセリフを言っている可能性はゼロではないなと正直思っています。
だって私は絶叫系が好きで、高さ日本一の215m八百津のバンジーでは、飛び出した瞬間に胃が頭に浮くような感覚と、空気の重みと風切り音が全身を包むあの瞬間の独特の空気感を体験しましたし、国内最高高度12,500フィートからの桶川スカイダイブでは、飛行機から足を踏み出した瞬間の虚空感、自由落下で全身を貫く風圧、視界いっぱいに広がる地平線の壮大さを肌と目と耳、全身で感じました。やっていない人には、どれもただの文字情報でしかありません。「凄い体験だった」とまとめられても違和感しかないです。
なので「人間は経験したものしか理解できない」その文脈も分かる。
が、私の基本スタンスは、やはり
「経験したものだけ理解すると言い切ってしまうなら、想像力、歴史、教育、そして学術そのものが意味を失う、哲学や科学は、他者の視点や未経験の理論を想像によって探究する営みではないか、カントが一度もロンドンの空を仰ぐことなく、その自由の理念を語ったように経験だけが絶対では『絶対に』ない」
というのが本心です。
私は長文はメモ帳でかなり推敲を重ねるので、大抵文章が残っていますが(それもいらないなと思えば時間を経て消しますが)、短文の合いの手投稿はほぼ投げ捨てで残していません。
嫌味でなく、私の軽口に着目いただき、いかに私が日頃、いい加減に発言しているかということが再確認できたのは感謝したいです。
まあこの件はお互い終了ということで、今後も建設的な意見交換でご一緒できたら幸いです。分かりますさんの書き込みも、非常に読み応えと気付きがある良い投稿だと思っています。
親切心からのコメントなのでしょうが、本人には響かないと思いますよ。
個人的には桜蔭のイメージと一致すると思っているので、学校のレピュテーションへの影響は少ないように思います。
罵詈雑言レスは即削除されてますから、オンタイムで読まない場合は受ける印象が変わり、図らずも運営側による本人にとってはお得な印象操作が行われているという皮肉な面もありますね。
私自身は、これぞ分人の見本のようだと、暇な時には面白くウォッチさせてもらっています。
他人の発言を勝手に捏造しておきながら、結局一切の陳謝もできない。
その時点で議論者としても大人としても失格です。
「分人の見本」などと観察者ぶって評してみせても、結局は捏造という事実から逃げているにすぎません。
レピュテーションに言及するなら、まず自らの倫理性と知的誠実さを保たれてはどうでしょうか?




































