今年入学した高1生が語る青春リアル
中学受験有名校からノーベル賞が出ない理由
坂口先生、おめでとうございます。免疫学の業績でいつ受賞してもおかしくなかった。
中高は公立? 毎度この時期になると「なぜ中学受験の有名進学校からノーベル賞が出ないのか?」話題になります。
皆さん、どうしてだと思いますか?
> そして、中学受験させる親は、研究者よりも、医者や弁護士、コンサル金融など、安定して良い暮らしを求めているので、住み分けているので問題ないのでは?
棲み分けはしていないのではないでしょうか。
子供に中学受験させる研究者は別に珍しくなく、そういう家庭は研究者より医者等を求めているとは限りません。
研究者以外の家庭も同様です。
また、子供が就きたい職業に就けば良く、子供に就いて欲しい職業は特に無い、という中受親もいます。
週刊新潮」2025年10月23日号 掲載
6日、ノーベル生理学・医学賞を受賞した坂口志文(しもん)・大阪大学特任教授(74)。30年前の大発見が見事に結実したわけだが、少年時代は、厳しいながらも国際色溢れる環境に身を置いていたという。
坂口教授の故郷は滋賀県長浜市。高校教諭の父と、医師家系で同じく教育者だった母との間に、3兄弟の次男として生まれた。
同市で開業する医師でいとこの安井一清さん(73)が言う。
「志文さんと私は母親同士が姉妹で、私は志文さんより2学年下。同じ長浜北高校に通っていたのですが、高1の春から半年ほど、坂口家に下宿していた時期があります。お父さんの正司(しょうし)さんは当時、その高校の校長先生でもあり、あちらの3兄弟と私は、自宅では徹底的、それこそスパルタ式で勉強させられました。
お父さんは、高校の進学率を上げるために一生懸命だったのです」
中でも安井さんが驚かされたのは、 「家庭の方針だったのか、志文さんは、テレビはNHKしか観ませんでした。私は漫画も読むし民放の番組も好きだったのですが、志文さんには『もっと勉強しろ』と怒られたものです」
父親の正司さんは京都帝大哲学科出身。西洋哲学の研究者を志していたが陸軍に徴兵され、終戦で復員後は教職に。自宅には海外の原書が並び、「シモン」の名も聖書にちなんだという。
ちなみに坂口教授は高校卒業後、1浪して京大医学部に入学しており、 「現役の年は学生運動の影響で東大の入試が中止となり、全国の秀才が京大に集まったものだから志文は落ちてしまったのでしょう。
その後は自宅で浪人生活を送っていました。当時は予備校に通うには京都まで出なければならず、とても通えなかった。かといって下宿すれば炊事や洗濯に時間を費やされる。“宅浪”は効率的だったのです」(同) とのことで、前出の安井さんも、 「浪人中は、自分で生活のリズムを作って勉強に励んでいました」 弛まぬ努力で信念を貫く姿勢は、こうした環境で培われたのである。
研究と受験を対比する発想自体が、知の本質を見誤っている。
受験とは、既知の体系を効率的に再現する訓練で、研究とは、既知の体系そのものを疑い、破壊し、再構築する営み。
坂口志文や柳沢正史が示したのは、点数ではなく「問い」を持ち続ける人間の強度なのだ。
彼らに共通して通底するのは、知識の量ではなく、世界をどう見るかという座標の持ち方。
そして、それを支える精神の粘度。
東大か京大か筑波かといった線引きは、知を制度に閉じ込めた時代の名残に過ぎない。
受験巧者が築くのは既存の秩序でしかなく、研究者が築くのは秩序の外側にある新しい地図。
そしてその地図は、偏差値では測れない。
受験が正解を選ぶ力を育てるのだとすれば、研究は問いを定義し直す力を磨く。
教育の危機とは、この転換点を見失い、知を依然として点数の文法で語ろうとする社会の惰性にある。
坂口も柳沢も、その惰性の外側に立つことを恐れなかった。
その一点にこそ、学歴を超えた知の尊厳がある。




































