今年入学した高1生が語る青春リアル
筑駒が渋渋にとらえられる日がくるのか?
もはや誰も疑う余地のない渋渋の快進撃ですが、このまま行けば筑駒の位置をとって代わる事もあると思いますか?
筑駒や開成などの伝統校の人気は東大合格者が多いから。桜蔭も同じ。
だけど、渋渋が桜蔭を越えてしまったら、実質倍率1,8まで桜蔭が落ちて合格者の方が多い入試になってしまった。
東大合格者が多いというだけで人気の学校は東大合格者が減ると一気に落ちていく。
礼法の授業、古臭いだの無意味だの言われますが、社会に出てみて、ああやっておいて良かったなと本当に実感します。
現実女子校ですから、学内の女子が醸し出す無法地帯ぶりは凄いものです。男言葉やエロ話。
そんな中で礼法の授業は楔になっていると思います。
教育の価値は数字やブランドに宿るのではありません。
倍率、定員削減、東大合格者数。昨今、エデュでそうした数字に群がり、不毛な議論にもならぬ戯言と誹謗の応酬に延々と興じる様子を見ていると、どこか薄寒さすら覚えます。
桜蔭の空気の中で六年間を過ごした者にとって、そんな表層的な揺れに学校の価値を還元する視線こそ、むしろ狭く息苦しい。
桜蔭が育んできたもの。
それは合格実績のために競争心を煽ることでも、ブランド維持のために倍率を操作することでもない。礼法も家庭科も、すべては「人としての基礎を徹底して磨く」という哲学の表れ。教養と規律、そして自由。その土台の上で、それぞれが自らの道を歩んでいく。まさにそれが桜蔭の本懐。
東大合格者数が増減しようが、偏差値が上下しようが、その根は揺らがない。
外からは地味に見えるかもしれないが、内にいた者は知っている。桜蔭という場の強さは数値の動きには還元できない、と。
晁桜の同窓生にとって、この不毛な応酬はただ水面の細波に過ぎません。その遥か下には、変わらぬ水脈が流れ続けている。その静けさと強靭さに、私たちは誇りを抱いているのです。




































