在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
中国人富裕層の中学受験
中国の受験地獄を避けて子弟を日本の大学に進学させたい中国人富裕層がいる。中学受験前から来て進学塾に行かせ猛勉強させるらしい。
現に開成や桜蔭の10%ぐらいは中国人とのこと。北京大学や精華大学入学に比べれば東大合格は平易とのこと。
中国人の親に比べれば日本の親は相当にゆるゆるだそうだ。だけど緩い方が将来伸びるのでは? 勉強漬けでは自由な発想や伸びやかな感性は身につかないと思うのですが。
中国人のノーベル賞ってほとんどいませんよね。
彼らはなぜ日本に来るのでしょうか?
さすがです。
見え透いた、浅はかな渋渋サゲに即座に反応して防御してくださるMargauxさまは、渋渋OGの御親友がおいでだけあって仲間内認定させてほしいくらいです。と、上から目線な物言い、御免ください。
優秀な中国人だけでなく、世界中から優秀な人材を受け入れるには英語授業が必要だ。
今は一部の国際教養学部や理工系学部のみしか英語授業となっていないが、東大や東北大のように学部から英語授業とすることで世界中から優秀な人材を集める基盤ができる
東大工学系大学院が英語授業とし、来年から東大新学部が英語授業とする。
東大ディープテック学部構想もすべて英語授業とする方針。
東北大が国家資格を目指す学部を除いて原則すべて英語授業とする。
早稲田、上智、法政の国際教養学部系はすでにすべて英語授業。国際教養大もすべて英語授業。
上智は理工学部も3学科すべて英語授業。
都立大は再来年共創学部をすべて英語授業とする方針。
このように、日本人を含め学部からすべて英語授業とする大学や学部が増えている。
英語授業に対応できる帰国子女が中心となるだろうが、一般生も優秀な人材は英検1級以上くらいの英検授業になんとかついていける能力がある人もでてくるだろう。
できる大学や学部から英語授業で外国人留学生と共修する能力を身につけるべき。
世界の考え方や価値観、視野等含めて優秀な人材から学ぶ必要がある。日本語では中国人や一部のアジア人くらいしか入学できないのが実態。世界の優秀な人材を集めるには英語授業が最低限必要な条件。
>英語授業に対応できる帰国子女が中心となるだろうが、一般生も優秀な人材は英検1級以上くらいの英検授業になんとかついていける能力がある人もでてくるだろう。
学部生の授業なんて大学入試英語ができてれば問題なく理解できます。
大学院の授業も同じ。飛び抜けた英語力は必要ないのでご安心ください。
それより英語優位で理系に進学すると理系科目で周りとの学力の差を埋められず、苦しむ学生が多いのでご注意ください。
典型的な、手段を積み上げて目的を達成した気になっている議論ですね。
英語授業を導入する大学が増えている、という事実の列挙は、それ自体では英語授業の有効性の証明にはなりません。むしろ大学間の横並び的な政策の連鎖を示しているだけです。かつての国際○○学部の乱立や、COE、グローバル30といった政策の歴史を見ても、制度導入の多さと成果は必ずしも一致していません。
さらに言えば、AIによるリアルタイム翻訳が現実になりつつある現在、授業言語そのものの価値は急速に低下しています。講義を英語で行うこと自体は、もはや国際化の本質ではありません。むしろ重要なのは、どの言語で行われていようと、その内容が世界のトップレベルかどうかです。
もし英語で授業をすること自体が決定的な価値を持つなら、日本語で授業を行う東京大学や京都大学が、これまで世界中から研究者や留学生を引きつけてきた現実は説明できません。実際、優秀な研究室には言語の壁を越えて人が集まります。物理、材料、ロボティクスなどの分野では、日本語中心でも世界トップクラスの研究室に海外から人材が来ていたのは周知の通りです。
また、英語授業にすれば優秀な外国人が集まる、という前提も極めて楽観的です。世界の優秀層は、英語で授業が行われている大学を探しているのではありません。MIT、スタンフォード、ETH、シンガポール国立大学など、研究環境・資金・キャリアの出口が整った大学を選んでいるだけです。日本の大学が英語授業にしただけで、これらの大学と競争できるわけではありません。
むしろ現実には、英語化によって授業の深度が落ちるリスクの方が大きい。ネイティブではない教員と学生の間で行われる英語講義は、どうしても概念の精度が落ちます。特に学部教育では、微妙なニュアンスや思考の積み上げが重要で、ここが弱まると教育の質が低下します。
そして最も本質的なのは、国際性は授業言語ではなく、人材と研究環境から生まれるという点です。優秀な研究者が集まり、優秀な学生が競い合い、魅力的なキャリアパスがある。その結果として国際化が進むのであって、英語授業はあくまで補助的な手段に過ぎません。
AIが全言語リアルタイム翻訳する時代において、英語授業を国際化の中心に据える発想自体がすでに古い。むしろ言語の壁が消える時代だからこそ、日本語で蓄積された独自の研究文化や思考体系こそが差別化要因になります。
英語化すれば国際化できるという発想は、国際化の本質を理解していない証拠です。言語は入口に過ぎない。優秀な人材が本当に見るのは、その大学に来る必然性があるかどうかです。
英語という入口だけ整えても、中身が伴わなければ、優秀な人材は素通りします。むしろAI時代では、その傾向はさらに強まるでしょう。
追記。
加えて言うなら、こう言う主張をしている輩に限って、日本語しか話せないなんていうオチ。英語を理想として語るが、言語を道具として使った経験が乏しいため、言語そのものを過大評価してしまう。
私はビジネスレベルの英語と、日常生活に支障のないイタリア語が使えます。
フランスに身内がいますが、今はチャッピーでほぼリアルタイム会話ができるので、最近では身内の通訳無し、一人でお気に入りのパトリック・ロジェまで出かけて、近所のオススメフレンチを食べて帰って来られます。
つまり現実の多言語環境では、言語能力はすでに絶対的な障壁ではない。英語ができるかどうかより、何を持っているか、どこにアクセスできるかの方が重要になっている。
そういうスキルと経験があれば感じない、英語話せないコンプ、シングルリンガルの悲哀が、英語ごり押しをさせているパラドクスというコントラスト、いとをかし。




































